【同人誌】残照の面影〈下〉【サンプル】
――俺は、一度、死んだのか?
泰衡からの問いかけに、望美は表情を凍り付かせた。
それが答えだろう、と彼は思った。
けれども、
「違います……っ!!」
叫ぶような声だった。
切迫した甲高い声は、発した言葉そのものを否定するかのようだ。さらに、泣き出しそうな顔を見せられては、彼女の答えを疑うしかない。
彼女に伸し掛かった状態のまま、しばし望美の顔を見下ろす。そこには、彼女らしからぬ不安の色ばかりが覗く目がある。
一年の間、あるいは彼女が知る限り、藤原泰衡は死んだのではないか。
(俺が、逆鱗をもって、ここまで戻ってきたように……)
泰衡を死なせまいとして、逆鱗を用いて時空を渡り、運命を変えはしなかったか。
じっと、望美を見つめる。彼女もただ、泰衡を静かに見返すばかりだ。
息を細く吐いて、泰衡は身を起こす。いつまでも、この体勢でいても意味はない。
ふ、と彼女も安堵したように息をついた。ゆっくりと、泰衡の動きに合わせ、彼女も起き上がる。
泰衡は何と言ったものか、思いつかない。そもそも、ここで彼が口にすべきことなど、あるだろうか。
否定する様子がおかしい。だから、本当は自分は死んだのではないか、本来は死ぬはずだったものを、あなたがその運命を塗り替えてしまったのではないか。
しかし、それを問うべきなのか。訊ねたところで、どうするべきなのか。
(俺が戻ったことを、話す訳にはいかないのだから)
あなたは七年後に死ぬ、などと明かせるはずもない。
ここで望美が知る未来は――決まったと思っても良いことは――、まだ、泰衡と望美が夫婦になるということだけだ。
いっそのこと、全てを打ち明けてしまえば、何かが変わるだろうか。何度も、そう考えてみるものの、できるわけがないと改めて、己の思考を否定する。
「泰衡さん……」
不安に揺れる声で、彼女は呼びかけてくる。
視線だけそちらに寄越すと、彼女の表情はともかくとして、その目は、もう挑むが如くの色合いだ。
気の強さばかりは、今も昔も――既に何年も後のことを知る彼から見れば――、変わらない。
「本当です。泰衡さんが、死んでしまったことなんてありません」
嘘はついていない、と訴える。
虚実を語るのは、苦手な性質の人だ。必死になっているところを、怪しんだところで、それが分かっているのだから、信じるべきなのだろう。
(だが、それに近い何事かはあったのではないか?)
泰衡が、ではなくても。たとえば、誰かの命が失われるようなことが、あったのではないか。彼女の過敏とも言える反応には、疑わしきがある。
「分かった」
それでも、頷く以外にあるだろうか。
ほう、と彼女はまた一つ、安堵の息をつく。
***********(中略)**************************
「守るよりも、生きることに目を向けるべきだな」
泰衡はそう告げて、口を閉ざした。
え、と彼女が声を上げても、応えるべき言葉もない。
彼にとって、望美は既に死んだ人間でもある。命を失い、瞼を閉じ、動かなくなった彼女を知っている。冷たい体で物言わぬ妻は、生前とまるで違う様子で、だからこそ、その死をまざまざと実感させられた。
それをもう一度、経験したいとは思わない。あるとしても、もう数十年先にして欲しい。
望美は、ふと口を開く。
「それなら、私は泰衡さんを守りますから、泰衡さんは私を守ってください」
それでいいでしょう、などと言う。否定しようにも、し難い心持ちのする言葉だ。
望美は泰衡を守ると、言い続ける。口先だけでなく、実際に行動する。泰衡が彼女を守ったことはあったのか。
――守らねばならなかったのだと、今さら思う。
何故、突然倒れたのか。そして、急に死んでしまったのか。分からずにここまで来て、過去を変えてはならないと思いながらも、変えてしまいたい気持ちになる。
(俺が今、守るということは、決まった将来を変えてしまうことだ……)
人の死をなかったことにするなど――。
「泰衡さんだって、無理しないで、自分が生きてることもちゃんと考えてくださいね」
彼女は考え込む泰衡に、畳みかけるように告げる。お互い様だと、言っているかのようだ。お互いに、己の命を省みろ、と。
確かに、そのとおりだろう。しかし、泰衡が命を大事にしようがしまいが、数年したら、彼女は死ぬ。
――運命は、神子に優しくない。
過去へ旅立つ直前、白龍は独り言のように呟いた。
人間に肩入れし過ぎた神の発言を、どう捉えるべきなのか考えても、答えは出ない。
(運命が、神にも変えられないものならば、何故、ここに龍の逆鱗があって、時空を越えさせたのか。……彼女が過去にどれほど、この罪を犯したか、龍神が知らぬとも思えない)
禁じられたことなら、人がこれを手にすることなど、許されるはずもない。この逆鱗は、望美が白龍から手渡されたものと聞いた。
何より、白龍は泰衡にこれを託したも同然だ。過去を、未来を、運命を変えてしまうかも知れないとしても、構わないと――否、変えてしまうことを期待して、と言う方が正しいか。
***********(後略)**************************
作品名:【同人誌】残照の面影〈下〉【サンプル】 作家名:川村菜桜