まぼろしだなんていわせない
立向居や綱海は高校への進学を機に上京したが、両親もおらず祖父母の家で暮らしている吹雪はそのまま北海道で進学することになり、それを寂しそうに告げる電話越しの声に俺はそうかと返すことしかできなかった。
自分の口下手さは昔からだが、こんな時にはやはり円堂のように励ますことができれば、と思うのも昔から変わらない。
そして、それでも変わらずに話し続ける吹雪も変わらない。
メール、毎日するから
おう
電話も、したいんだ
おう
でもあんまりしちゃうと堪え切れなくなっちゃうから我慢する
おう
一週間に一回、交代で掛けよう?
おう
染岡くん
おう
だいすき
…おう
そうして三年が過ぎて。
雷門の高等部にそのまま進学して、また円堂と同じ学校に通うことになった俺の高校生活に相変わらず平穏はなかったが毎日送られてくるメールと毎週の電話だけは途絶えることはなかった。
吹雪が学校であったことを楽しそうに話し、俺も円堂たちの様子を話す。よく続いたな、と思うがそれは相手が吹雪だからだ。言ったことは勿論ないが。
だが、三年間続いたやり取り――それがこの三ヶ月間全く途絶えていた。
『お掛けになった電話番号は――』
「クソッ!」
もはや聞きあきた機械音に、一つ舌打ちをして乱暴に携帯をジャケットのポケットの中につっこむ。
最後にあの声を聞いたのはいつだったか。
年が明ける前だっただろうか。
勉強ばかりでサッカーができずに自分も円堂たちも嫌気がさしている、と笑って。北海道はどれくらい雪が降っているのかとか、お互いに風をひかないようにしようだとかも他愛もない話をして。
それが最後。
それからの染岡の調子は円堂にすら気取られる程悪く。
受験勉強まっただ中の円堂の気を散らせるなと、風丸からは怒られた。(あの男も昔から変わらず円堂馬鹿だ)(ようやっと勉強させているのに!、と叫ぶ風丸にお前は母親かと突っ込んでやりたかった)
案外そういう他人の機微に鋭い豪炎寺にも気を使わせてしまった。
だが、吹雪と何かあったのか、そう問う豪炎寺に相談するのは憚られた。恥ずかしさもあったし、数ヶ月連絡がつかないだけで大げさな、と言われたらという思いもあった。ストライカー同士はりあってきた身としては、余り弱みを見せたくないという見栄も。
たまにしか会わない鬼道にすら気づかれてしまったのだから相当だったのであろう。
だが結局誰にも相談することもできず、何度も電話をかけてはあの柔らかな声とはかけ離れた無機質な機械音に落胆する。その繰り返し。
はあ、と一つ溜息を吐き空を見上げる。
右手には先ほどコンビニで昼飯にと買ってきた弁当。
染岡は、今一人暮らしをしている。
吹雪と連絡が取れないからといって、受験というものは容赦なくやってくるもので。
否が応でも勉強に打ち込まなければならないという環境は逆によかったのかもしれない。
それ程自分の成績とは見あわぬところを選んだつもりはなかったが、吹雪のことを考えぬように考えぬようにと必死で勉強した。
結果として、染岡は第一志望の大学に合格することができた。(そこには染岡の様子に気づいた豪炎寺と鬼道の助けがあったのだが)
家から然程遠い場所ではなかったが、これを機に染岡は一人暮らしをすることにした。
一人暮らしというものをしてみたかった、という年頃の男子らしい理由もあったが染岡は少しだけ、夢を見ていたのだ。
――卒業したら二人暮らししたい
いつかの晩、交わした他愛もない夢。
北海道に帰ったばかりで寂しがってばかりの彼と交わした会話。
その夢を、染岡は柄にも無く大事に大事にしていたのだ。
カン、カン、と一歩一歩踏み出すたびに音の響くアパートの階段を重い足取りで上る。
吹雪は、どうしているのだろう。
短気な自分には珍しく、怒りは湧いてこなかった。
ただ、どうしようもなく声が聞きたかった。
そめおかくん、と甘ったるく自分を呼ぶその声が。
そうして、笑って欲しかった。
へにゃりと、その垂れた目を更に下げて。
そめおかくん、と笑いかけて欲しかった。
「そめおかくん」
幻聴、だと染岡は思った。
階段を登りきったその先。
視界に入りこんだ白色。
安さと立地だけで選んだボロアパートの二階、その一番奥の部屋の扉の前で膝を抱えて。
顔だけこちらを向けて声を掛けた彼は、呆けたままの染岡によいしょ、と立ち上がった。
「えへ、来ちゃった」
小首を傾げて、へにゃり、と垂れた目を更に下げて笑って、彼はそう甘ったるい声で言うのだ。
弁当の入った袋の落ちる音が聞こえた。
知ったことじゃないと思った。
「そめおかくん」
この甘ったるい声と、
この頼りなさげな笑顔と、
この腕の中に収まる華奢な体の感触以外は、
知ったことじゃないと、染岡は思った。
作品名:まぼろしだなんていわせない 作家名:レイジ