レイニーブルー
Trapped
背後から抱きしめられた。腰にまわされた腕は桃子を拘束して離さない。背中から伝わる熱が不快で、桃子は腕を引き剥がそうと両腕に力を込めた。
「ちょっと離してよ!」
じたばたと無意味な抵抗を重ねる桃子をからかうように、響は空いた手を桃子の首に滑らせた。動脈を探る指の動きに桃子は動きを止めた。警戒と不安が滲む彼女の様子に響は残酷な笑みを浮かべる。
「付き合ってると見做されたらお前との打ち合わせも楽になるだろ。女避けにもなるし」
「あんたの花嫁に頼みなさいよ、そんなこと」
響が喉の奥で笑った。そこに皮肉気な音を感じて、桃子は落ち着かなかった。一刻も早く離れなければならないと、拘束された体を捩り、背後の身体を押しのけようとするが叶わなかった。
「花嫁は、今はいない」
「今は――ね」
桃子の声が冷たい音を宿す。
「響……自分の花嫁を捨てたんでしょ」
神経質な桃子の声に、響はおどけるように眉を動かした。大方、由紀斗と律辺りから聞きだしたのだろうと、推測する。それがどうしたと返答すると、面白いぐらいに桃子は動揺を見せた。強張る身体を抱きしめながら、背後からでは表情が見えないのが残念だな、と嘆息する。
「言っただろう。俺は刻印に縛られない」
「じゃあ……印なんて付けなければ良かったじゃない。どうせ捨てるなら、なんで――――」
「別にあの女は刻印を不満に思ってはなさそうだったがな。むしろ、そのお陰で随分と自尊心を満たしていたようだが」
それが行き過ぎて、響にまで称賛と配慮を要求してきた。愛されることに慣れ切った女。随分と違うものだと、野良猫のように爪を立てて抵抗を見せる桃子を見て可笑しくなった。しかし、鬼の花嫁は多かれ少なかれ、響が捨てた女と似た精神構造を持っていた。桃子や神無の方がむしろ例外だった。
「あんた達は皆そう。人を何だと思ってるのよ」
響の見下した発言は今に始まったことではないが、それはいつも桃子にとって癇に障るものだった。その高慢な態度に、はじめて鬼ヶ里に連れてこられた日のことを思い出してしまう。広間に座った鬼たちの値踏みするような視線と嘲笑。隣に座った鬼の嫌悪の視線と罵倒。事情を知る鬼の憐憫の視線も耐え難かったが、響の傲慢な態度もまた腹立たしい。
「俺を他の鬼と一緒にするな」
侮辱されたと感じたのか、響が声を尖らせた。それが何だか馬鹿馬鹿しくて、威圧を撥ね退けるように桃子は吐き捨てるようにして笑った。
「あんたなんて大嫌い」
華鬼がいなければ鬼頭に選ばれただろうと言われる響に対して、桃子は平然と罵倒し、抵抗する。殺されても不思議ではないような状況でも一向に構わず刃向かってくる。桃子が響と会うようになって久しいが、彼女は響にちっとも気を許そうとせず、それでいて服従もしない。向う見ずな振舞は、彼女の性格に由来するというよりは生い立ちに原因があるのだろう。いくら威圧しても桃子は従おうとはしない。ならば、と響は桃子をより強く抱き竦めた。
「俺は割と気に入ってるよ」
己の無力さを痛感しながらも諦めない女に甘く囁く。だから壊してやろうと。