レイニーブルー
夢見草の咲く前・由紀斗
由紀斗は手元の桜の写真と書類に目を落とした。早朝の薄青い霞の中、八重紅枝垂が浮かぶ幻想的な一枚。書類には例年の開花記録と、今年の開花予想が貼ってあった。
耳に押し当てた携帯電話から聞き慣れた声が響いた。
「じゃあ、そこに行くかな」
主人の声に含まれた喜色に、由紀斗は渋面を作った。
響が桃子に興味を示していることは気付いていたが、しかし同居をするほどとは由紀斗も律も思っていなかった。桃子の向う見ずな発言を響が許すのはあくまでも鬼頭襲撃のためだと思っていたし、遅かれ早かれいつか桃子は響に殺されるだろうと二人は踏んでいた。それなのに、である。
先日響から久々に命じられたのは花見の場所の探索だった。桃子が好みそうな、と無茶な条件を付けてこられて、由紀斗は驚き呆れた。由紀斗も律も響が春先に不機嫌になることは承知していた。その響が桃子のために花見など、到底信じられるものではない。それでも命令だからと調査結果を報告するが、依然として釈然としないものを感じていた。
「随分と楽しそうだな」
漏らした一言に、響はからりと笑った。
「楽しいさ。俺の言うことなんてちっとも聞かない。何しても喜ばない。根は素直なのに捻くれていて歪んでいて、反発ばかりで暴力的で、弄っていて楽しい」
それのどこが良いのだ、と由紀斗はますます眉根を寄せた。
「理解できないな」
「結構なことだ」
満足そうな声とともに通話が途絶える。ツー、ツー、と電子音が鳴るのを聞きながら、溜息と共に携帯電話を閉じた。近くに座っていた律が目を上げた。
「響、何だって?」
「特に。あの女と花見に行くみたいだな」
律は不思議そうな表情を浮かべる。彼も響が桃子に執着する理由が掴めずにいるのだろう。
「まだあの女といるのか?」
鬼の審美眼的に言えば醜い女だ。それだけならばいざ知らず、桃子は短気で口煩く、暴力的だった。事件後、病院に詰めていたときも、こちらがひやひやするほど響に対して強気な態度だったが、そんな桃子に響は楽しそうに構っていた。耳障りな大声で響を罵倒し、時には手まで出す。そんな女に執着する響の姿は、彼をよく知るからこそ、由紀斗と律の二人には信じがたいものだった。
由紀斗は釈然としない様子の律を見下ろす。おそらく自分も同じような表情を浮かべているに違いないと考え、それから手元の桜の写真に目をやった。春、特に桜を厭う主人が、自分には向かう女に根気良く付き合って花見に行く。何か裏があるに違いない、と思いつつも、その真意は由紀斗には計りがたかった。
「……嗜虐趣味が過ぎて、とうとう自分まで弄びはじめたんじゃないか?」