煙草
からころとドアのベルが鳴り、純太が手を小さく振りながらこっちに来る。
「久しぶりだな、青八木! 元気してたか?」
あ、一、って呼んでくれない。
「いやー、急に呼ばれたからびびったわー。なんかあった? あ、そーいやオレ夜食ってねぇんだ。パスタでも頼もうかな」
純太はぱらぱらとメニューをめくりながら、ううんと唸っている。
そういや、こいついつもメニュー決めるの遅いんだった……。
「なんにしよう。なあ青八木、なにがいいと思う?」
「ミートソース」
「お前そんな味の趣味してたっけ」
「さあ」
「じゃあ、それにしよう」
純太はぱたりとメニューを閉じて、店員を呼び注文をするとこっちに向き直った。
「あのさ。煙草吸っていいか? ここ、喫煙席だし」
「…………」
煙草、か。
ああ、親父が吸っていたな。銘柄はなんだったかな。
今は禁煙しているから、パッケージはおぼろに思い出せるのだけれど名前がわからない。
「ハイライトだ」
純太はライターをかち、と言わせて慣れた手つきで煙草に火をつける。
そしてふうーっ、と煙を吐き出した。白くて不透明なそれは、換気扇に吸い込まれて見えなくなっていった。
「お前の親父は、ハイライトを吸ってたんじゃなかったか」
ああ、その青いパッケージは、そうかもしれない。
純太はにっこり笑うと、また煙草を吸って、ふうっ、と息を吐き出した。
「あー、青八木の前で吸うと気遣わなくていいな」
店内で鳴っているジャズが、妙にくっきりと聴こえる。
「会社の先輩に勧められて吸ってみたんだよ。格別うまいもんではないけど、ストレス発散にはなるよ」
「純太と同じ煙草、吸ってみようかな」
純太は少し驚いた顔をしながら、灰皿にとんと灰を落とした。
「いいもんじゃねえぜ。一本で5分だったか、命が縮まるって言うしな。俺も高校の時は身体を鍛えて肺活量もあったが、今同じ事をしろと言われたら絶対に無理だ。せっかく付けた筋肉が泣いてるぜ」
その言葉を煙と共に吐いた時、店員がパスタを運んできた。
純太は煙草を灰皿にくゆらせ、フォークを手にしてパスタを口に運んだ。
「今日いきなり呼ばれた時は驚いた。でもお前のことだから特に大した用事はないんだろ」
コク、と頷く。
「最近、どーなの」
「そういう純太は」
「おいおい、質問を質問で返すなよ」
「ごめん」
「……まあ、最近あった大きいことと言えば彼女と別れたくらいだな」
「……彼女」
「そ。手のかかるやつだけど好きだったし可愛かったよ。って、未練タラタラみたいだなこの言い方だと」
純太が顔も知らない女を抱いて、名前で呼ばれて、いろんなところへ出かけて、という事を考えるとなんだか心に違和感のようなものが生まれた。
高校の時の純太を知っているからそう思うのかもしれない。
きっとそう。
「暗くなりそうだから話題変えるか。田所先輩とかはどうだ?元気してる?」
「パン屋を継いだ」
「主語がないぞー。まあ、お前らしいけどその癖直せな」
「うん」
純太は最後の一口のパスタをくるくると器用に巻きながら言った。
「肝心のお前のこと聞いてねえぜ」
「…………」
「言いたくないことでもあったか?」
純太はしっかり頑張ってるなあ、と思って、自信失くした。
「んー。オレが頑張っててお前が頑張ってないことはないだろ?」
たしかに。
「まあ、何があってもオレらはオレらなんだからさ」
「じゃあ、」
純太と同じ煙草吸っていいか。
遠くにいても、近くにいても、チーム二人の絆を感じ合っていたい、とは言えずに心の奥にしまっておいた。
「ははっ、いいよ。ジジイになっても同じ煙草吸ってようぜ」
拳を突き出し、純太は目つきを鋭くした。
「チーム二人、必勝! 頑張ろうぜ」
……うん。
拳をぐっと合わせると、少し力をもらえた気がした。
「んじゃ、また暇があったら呼んでくれよ。今フリーだし」
純太はにっこりと笑いながら手を振って帰っていった。
オレも、できる限りの笑顔をして見送った。
高校を卒業してから、笑うことがあまりできていないなあ、と思った。
帰りに、自販機で煙草を買うことにした。意外と高い。
ハイライトを選択し、さあ吸おうと思ったところで、……ライターがない。
……コンビニ寄って買うか。
煙草をポケットにしまうと、チーム二人の鼓動が、汗が、涙が、溢れ出るような熱さを感じた。
どうしてだろう。
あの夏。炎天下。風のざわめき。
こんな小さい箱で思い出せるなんて安いもんだな、と思いながら暗い帰路に着いた。