かじみちつめ
OPE.6のあと
加地は国立高度医療センターのガラス越しに外を眺めていた。
そこに。
「よっ」
戦略統合外科の外科副部長に対しては気安すぎる声がかけられた。
隣に立ったのは、すらりとした長い脚を短いスカートから挑発的なぐらい華々しく見せている美人。
「デーモン」
加地は思いっきり苦い顔を作って、未知子に向けた。
ちなみに、デーモンと未知子を呼ぶのは加地だけである。それについて、周囲は子供っぽいと、まるで気になるあの子を振り向かせたくて意地悪してしまう男の子のようだと思っているのだが、なにしろ加地秀樹五十歳だ、みんな、おもしろいのと微笑ましいのとで、加地と未知子には言わない。
「聞いたわよ」
にーっと未知子は笑う。
美人、だけれども、なんだか可愛い。
なんて思ってしまったことを、加地は即座に否定する。
デーモンが可愛いなんてあるはずない! そんなことを自分が思うはずがない!
「あのセレブ社長の手術で、私が無理って切るのやめたとき、大門未知子、敗北って言ったんだって?」
「……ああ」
「そのとき、ものすごーくショック受けた様子だったそうね」
加地はぎょっとする。
自分の姿は鏡でもなければ見られないので、あのときの自分がどんなだったかはわからない。でも、まわりから見た自分はそんなふうだっただろうと思う。
未知子に向かってフリーターとバカにしたりはするが、加地は未知子の手術の腕を認めている。
腹腔鏡の魔術師と呼ばれる自分よりも上ではないかとさえ思っている。もちろんそんなことは未知子には言わないが。
だから、あのとき、眼のまえの光景が信じられなかった。
嘘だろ、と思った。
頭の中が真っ白になった。
悪い夢でも見ているように感じた。
だがしかし。
「そんなわけないだろ!」
ここで肯定するわけにはいかない。
加地は跳ね返すように否定した。
しかし、未知子のからかうような笑顔は崩れない。
未知子は人差し指を加地に向け、言う。
「実は私のファンなんでしょ?」
「バッ、バカ言うな!!!」
加地は全力で否定した。だが、なんだかやけにあせってしまって、取り乱しているのがバレバレな声になってしまった。
だからだろう、未知子は楽しそうに笑う。
「素直に認めたらー?」
「認めるもなにも事実じゃない。俺は素直だ」
「じゃあ、素直に認めたら」
未知子は長い睫毛に縁取られた大きな眼で加地をのぞきこむように見て、軽やかな声で告げる。
「食事に一回つきあったげてもいいよ」
「!」
思わず、加地は眼を見張った。
そんな加地を未知子は、さあどうするの、と問いかけているような表情で見ている。
さあ。
どうしよう?
加地は悩む。
自分がデーモンのファンだなんて!
そんなこと認めるわけにはいかない。
だが。
これはチャンスだ。突然ふってわいた、もう二度と無いかもしれないチャンスだ。
でも、外科副部長としての、男としての、プライドというものがある。
だが、しかし、けれども。
加地は悩みに悩んだあげく、口を開く。
「俺はおまえの」
だって、このチャンスを逃したくない。
「ファ」
「加地先生!」
原が声をかけてきた。
加地は開いていた口を閉じた。
「……残念、じーかーんーぎーれー」
そう無慈悲に宣告して、未知子は近づいてくる原と入れ替わりのように去って行く。颯爽とした足取りだ。
隣まで来た原はきょとんとした顔をしている。
「時間切れってなんですか?」
「なんでもないよ」
素っ気なく返事をし、加地は歩き出した。未知子が去って行ったのとは違う方向へと。