不器用な愛おしい人
「…久々知くん…?」
ゆっくりとまぶたを開けると、大好きな恋人の優しい瞳が僕を見つめていた。
あぁ。そうだった。昨日は久々知くんに勉強を教えてもらって、そのまま二人一緒の布団で眠ったんだ。
僕らが「こういう関係」になってから結構な時がたつけれど、二人っきりで目覚める朝は、やはりどこか気恥ずかしくてくすぐったくて、いまだに慣れることはない。
「…あ、すいません。起こしてしまいましたか…?」
久々知くんはあわてて僕の髪に触れていた手を引っ込める。
そんなことしなくてよかったのに。むしろ…
「久々知くんに髪の毛に触ってくるの、僕、好きだよ…なんか、大切にされているって感じがするし…」
寝起きのせいか、うまくろれつが回らない。それでも、僕の言葉はちゃんと伝わったようで、久々知くんは照れくさそうな顔で、ぽりぽりと頭をかいている。
「…い、いや…タカ丸さんの髪って触り心地がいいから、ついつい触ってしまうんですよね…。」
どこか恥ずかしそうに伝えられた言葉は、まだまだ寝ぼけ眼だった僕の頭をしゃっきりさせるには十分だった。
「えへへ…やっぱり髪の手入れには結構気遣ってるもんね!」
美しい髪のに心ひかれ、傷んだ髪が許せないのは、髪結い師を志す者として、当然だ。そしてまた、他人に言うだけでなく、自分の髪の手入れにも力を入れるのも当然だった。
「お花って、綺麗になぁれ!って思いながらお世話すると、綺麗に咲くでしょ?」
突然の僕の言葉に、久々知くんは少しついていけないのか、きょとんと目を見開いている。
そんな彼の様子を見て、僕はさらに言葉を続ける。それは、父さんから何度も言われてきたことだった。
「髪だって同じなんだよ。「綺麗になぁれ!」とか思いながら可愛がってお世話したら、ちゃんと綺麗になるんだよ。」
「そうなんですか。…さすがタカ丸さんですね、そんなことご存じなんて。」
「…まぁ、これは父さんの受け売りなんだけどね。」
久々知くんの率直なほめ言葉に照れてしまい、ついつい父さんの言葉であることをばらしてしまった。久々知くんは一瞬あっけにとられた顔をしたけど、すぐに噴き出して子供のような笑顔を見せてくれた。そんな彼の姿を見て、僕も照れくささを隠すようにクスクスと笑った。
でも、本当にその通りだと思う。いろんなお客さんを見てきたけど、最後には僕ら髪結い師の手入れではなく、お客さんの「綺麗になろう」という気持ちが、その人の髪を美しくしていくのだ。
――そして、僕自身も。
久々知くんを好きになってから、少しでも彼に見てほしいと思い、僕は内面も外面も、自分磨きを頑張った。そして、今でも頑張っている。
特に髪の手入れには、己のこだわりが強いこともあり、人一倍の神経を使った。その甲斐あって、自分でいうのもなんだけど、今の僕の髪はとても輝いていると思う。もっとも、観察眼が鋭いうえに、自身の美意識も高い仙蔵くんには、
「おや?最近斉藤の髪はやたら艶々してるが…なにかあったのか?」
なんて、にやにやしながらで言われちゃったりもしたのだけど。
久々知くんは再び僕の髪に触ってきた。髪全体を梳くようにしたり、毛先を指に絡ませるようにしたり…それはどこか神聖な儀式のようでもあって、その慈しむような触り方に、僕は改めて彼からの愛情を感じた。
しばらくは久々知くんのされるがままに身を任せていたが、ふと、ちょっとしたいたずら心がむくむくと湧いてきた。
「ねぇ、久々知くん…僕の髪触るの好き?」
「え、…ええ、好きですけど。」
突然の僕の問いかけに、久々知くんは少し戸惑いつつも返事をしてくれた。
そんな彼の返事に、僕は目を伏せ、さびしそうな表情をつくった。そしてどこか悲しそうな声色で、ぼそりとこう呟いたのだ。
「…そんなに、僕の髪「が」好きなの…?」
「が」にアクセントを置いてみた。色恋ごとに疎い彼でも、僕の質問の意図を正しく理解してくれるように。
本当は、そんなことに不安を感じたりなんてしていない。僕の手に触れる彼の手つきは何より雄弁だ。そもそも、少しでも不安を感じていたら、怖くてそんな質問できないだろう。
久々知くんは、唐突すぎる僕の言葉に、かなり戸惑っているようだ。それまで丁寧に僕の髪に触れていた手は動きを止め、固まっている。おそらく彼の全神経は今、僕に言うべき言葉をひねり出すため、脳細胞に集中しているのだろう。
正直、その姿だけで十分だと思った。
彼が僕のくだらない寂しさを癒すため、真剣に問題と向き合ってくれている、それだけで、僕のささいないたずら心は満たされた。それどころか、真面目な彼をからかうような真似をして、なんだか申し訳なく思った。
「やっぱりいいよ、気にしてないから。」と僕が言おうとしたその瞬間だった。すっかり難しい顔をして固まっていた久々知くんの口が、ためらいがちにゆっくりと開いた。
「別にタカ丸さんの髪「が」好きなわけじゃありません。…タカ丸さんの髪だから、好きなんですよ…。…っ!」
久々知くんはそう言うなり、もう耐えられないといった様子でそばの枕に顔を突っ伏しってしまった。それでも、枕や髪からわずかに覗く耳たぶは、熱で赤く染まっている。今の久々知くんの顔全体も照れて真っ赤になっていることは、想像に難くない。
僕が知る限り、久々知くんは口下手な人だ。僕らが恋人同士になってからだいぶたつけど、彼から甘い愛の言葉をささやかれたことなどほとんどなかった。
そんな彼だけど、僕が不安に襲われた時は、ストレートすぎる物言いで、ちゃんと僕の欲しい言葉を与えてくれる――そんな彼の不器用な優しさに、僕の心がじわじわ温まって、鼓動が徐々に早くなるのがわかる。
さて、不器用だけど誰より愛おしい恋人に、僕もちゃんと自分の言葉を耳元で囁いてあげよう。
「僕も久々知くんの全部が好きだよ。髪の毛からつま先まで全部大好き。」と。
シャイな恋人は、きっと僕の言葉にますます頬を染めることだろう。
いや、ここまでストレートな表現だと、言っている僕の方も恥ずかしくなってしまうかもしれない。
二人して真っ赤になって愛の言葉をささやきあう絵面は、かなりまぬけだけど、それ以上に幸せあふれる光景だろうなぁ…。
そんなことを考えながら、僕はいまだに枕で赤い顔を隠す恋人のもとに、そっと近寄った。