敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目
いつの間にか、あの親のために、わたしもこの世が終わるのを望むようになっていた。そうだ、滅んでしまえばいい。人類など地球ごと。自然もそこに生きるものもまとめて消えてなくなればいい――そう願って本当に地表はその通りになってしまった。今の地球はわたしが子供の頃にずっと願っていたそのままだ。ガミラスはわたしの夢を叶えてくれた。
次はわたしが神に代わって救われる者を選ぶ番だ。〈ヤマト〉に乗って船務長の任に就いているのだから、まさしくそれができる立場ということだろう。〈ヤマト〉が地球に九ヶ月で戻れるか、縮めて八ヶ月になるか、それとも果たして十三ヶ月かかってしまうか、わたしの働き次第だから。
いいんじゃないのか。十三ヶ月かかったとしても――森は思った。どうせわたしは地球に友はいないのだから。けれどもこの〈ヤマト〉に乗るのはみんなわたしの仲間なのだ。わたしと同じマジメな人間。女もたくさん乗ってるのだから、地球を〈浄化〉しこの〈ヤマト〉のクルーによる新しい人類社会を作ればいい。次の地球に生まれるのは、わたし達の子供だけで……。
違う、と思った。まただ。わたしはなんという恐ろしいことを考えているのか。心の奥で本当にそんなことを望んでいるのか? まさか、そんなはずがない。これから先の十年間に人がバタバタ死んでいくのを横目に見ながら自分達だけ子を育てると? そんなことが平気でできるつもりなのか?
もしそうならば、それこそわたしはあの親どもと変わらない。この〈ヤマト〉のクルーでいる資格はない――そうだ。わかっているからこそ、周囲に言っているんじゃないか。一日でも早くコスモクリーナーを持ち帰り、人を救わなければ、と。それ以外の余計なことを考えるヒマはないはずだ、と。
それなのに、また古傷がうずくのだった。お前には悪魔が取り憑いていると叫んだ母の顔が甦る。
ひょっとすると、あのとき母は正しいことを言っていたのじゃないか――思いながら船務科の室に入ると、
「こいつ、絶対、変なものに憑かれてるよな」
コンピュータに向かって何かやっていた部下が、隣りの者に言うのが聞こえた。
ドキリとした。わたしのことを言ってるのかと一瞬思ってしまったけれど、ようすを見るに違うらしい。「どうしたの?」と聞いてみると、
「いえ何、おっぱい都知事ですよ。またいつもの『〈ヤマト〉よ、十一ヶ月で戻れ』」
「ううう」
呻(うめ)いた。聞くんじゃなかった。原口(はらぐち)かよ……。〈おっぱいナチ〉の異名を取るキモヲタ東京都知事の顔を部下が見ている画面に認めて、なるほどこりゃあ脳におかしな虫が巣くってるに違いないわと考えた。自分の席に着いてから、しかしあれに比べたらわたしはマシかなあと思う。地下東京の現知事・原口裕太郎(ゆうたろう)は〈ヤマト〉出航以来ずっと、『政府がワタシの意見を聞かずに勝手に決めた九ヶ月の日程など守る必要はまったくない。〈ヤマト〉は十一ヶ月で帰還すべきである』との持論を公然と述べていた。
なぜか。人はあと三百何十日で最後のひとりが死ぬと言うが(註:この知事は〈滅亡の日〉の意味を完全に誤解しており、説明には耳を貸さない。ヲタクの魔窟と化した都庁で人がうっかり正しい意味を口にすると、テロリストと疑われてとても怖い思いをするとか)、オタクは選民であるがゆえに死ぬのは最後の最後となる。アニメをバカにする者は十ヶ月目くらいに皆バタバタと死ぬであろうがそれでいい、という考えで、〈ヤマト〉が十一ヶ月で戻ればちょうどオタクだけ生き残り、自分が夢見るおっぱいとロボットだけの理想社会が出来上がると信じているのだ。だから『市民よ、助かりたくばオタクになれ』というのが彼の政治的主張なのだった。
むろん東京都政など〈ヤマト〉船務科の知ったことではないが、
「首相にしてもこいつにしても……」部下のひとりが額を押さえて、「ホント信じらんねえ。なんでこんなのが選ばれんだか……」
「そりゃあここまで社会がガタガタになっちまったっていうことだろ」と別のひとりが言う。「地下じゃマトモな人間はもう選挙なんか行かないのさ。行くのは変なやつだから、変なやつに票が集まる。もともとそういうもんなのが、ここへ来て……」
「わかるけどさあ」
「まあね」
と森は言った。それから思った。人類社会は柱がグラついてしまっている。この〈ヤマト〉ではわたしが柱だ。この都知事と五十歩百歩……いいえ、そんな、大丈夫よね。いくらなんでもこの五十の差は大きい。わたしは決して十一や十三ヶ月で戻るなど本気でやろうとすることはない。
そうだ、鬼でも悪魔でもない。わたしは大丈夫、狂ってなんか……しかしまた古傷がうずいた。傷跡の残る右腕をさする。
指を動かしながら思った。大丈夫よ、大丈夫……。
作品名:敵中横断二九六千光年2 ゴルディオンの結び目 作家名:島田信之