自販機の恩返し
良く言えば人気商品を取り扱うものが多い、悪く言えばバリエーションが乏しいものが多い池袋駅周辺には珍しく、その自動販売機には他ではあまり置いていない種類の飲み物がいくつか取り揃えられていた。そのため、会社の近くにあるということもあり、静雄はよくその自動販売機を利用していた。
買い求めるのは、スーパーでもなかなか置いていないジンジャーエール。
炭酸が飲みたい時、冷たいものが欲しい時、喉が渇いた時。胃にたまった炭酸ガスが口から出ても構わない時分、百円硬貨と十円硬貨二枚を入れて、よく冷やされた缶を自動販売機に要求していた。
そんなある日。
いつものように会社に出勤するために歩いていた静雄は、運悪く仇敵の折原臨也に出くわした。
当然の帰結として二人の間には険悪を通り越した雰囲気が漂い、瞬く間に一触即発となった。そして、臨也の軽口で簡単に血管を浮かせた静雄は彼に殴りかかり、臨也はそれを紙一重のところでかわして逃走を図る。静雄との追いかけっこで鍛えられた俊足によって、まさに脱兎とばかりの勢いで臨也はあっという間に離れた場所に行ってしまった。
無論、そこで手を引く静雄ではない。
彼はいつものように逃げる背中めがけて公共物を投擲しようと、周囲に視線を巡らせた。
会社に向かう通りは人気が少なく、それに比例して設置してあるものも少ない。あるものといえば、一時停止と制限速度の標識にミラー、そしていつも使っている自動販売機くらいだった。
いつもの静雄ならば、迷うことなく一番破壊力のありそうな自動販売機を選んだだろう。実際、怒りに支配されていた彼は自動販売機に両腕を伸ばしかけていた。
だが、自動販売機が宙を舞うことはなかった。
視界に捉えた黒い缶を見て腕を止めた静雄は、一瞬の逡巡の後、自動販売機に伸ばしかけていた腕の方向を変えて一時停止の標識をへし折りながら引き抜いた。そして、先端にコンクリートの地面がしがみつく標識を、さながら槍投げのように遠ざかっていく仇敵の背中へと投げたのであった。
二日後。
いつものように回収の報告を終えて帰路についていた静雄は、ふと喉の渇きを覚えた。
その時、目に留まったのは件の自動販売機。静雄の足は当然のようにそちらへ向き、そしていつものように投入口に百円硬貨と十円硬貨二枚を落とした。
明かりのついたボタンを押す。がしゃんと、受け取り口に缶の落ちる音が響いた。
取り出した財布をポケットにしまってから、静雄は腰を屈めて受け取り口に手を伸ばす。がしゃんと。同じ音が自動販売機から聞こえたのは、ちょうど取り出し口から黒い缶を引き抜いたところだった。
突然のことに状況が飲み込めず、思わず首を傾げた静雄は、音が最も強く聞こえた取り出し口を改めて見る。
そこでは、静雄が手に持っているものと同じ種類の缶が横向きに転がっていた。
二本分の料金を投じた覚えもなければ、ボタンを押した覚えもない。さらに首を傾げつつ、目の前で横たわる黒い缶をジッと見つめる。それからほどなくして、静雄は眉間にわずか寄っていた皴をほどいた。
そして、空いている方の手で二本目の缶を拾い上げる。
「サンキューな」
自動販売機に灯る光は、どこか嬉しげだった。