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二の腕

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「ひぃあっ!!」

 可愛らしくもか細い声が、広い体育館に響いた。
 ボールをかき集めていた谷地が、転がって来たボールに躓いて転んでしまったのだ。たまたま側でボールを拾っていた影山がボールをその辺に転がし、谷地に近づく。

「大丈夫っすか?」

 この人は、本当に危なっかしい。最近、特にそう思うようになってきた。以前に比べてサポートは頼りになると思っているものの、行動がすごく危なっかしい。
 ガバリと顔を上げた谷地は誰に向かって言っているのかわからないように叫んだ。

「はいぃっ! だいじょ――」
「谷地さん!?」

 腕に力が入らなかったのか、影山の目の前で立ち上がれず顔面から地面へと突っ伏す谷地。
 鈍いといわれる影山でも、これは大丈夫でないと気づく。そして、影山の大きな手のひらを、細い谷地の二の腕に伸ばした。

「ほら」
「わわっ」

 腕を掴んでぐいと引っ張りあげれば、谷地から驚いたような声が上がる。
 体勢を崩しそうになった彼女を自分の胸で受け止めると、影山は小さく大丈夫かと尋ねた。

「わり、強く引っ張りすぎた」
「い、いえ、ダイジョブです! むしろ影山くんにご迷惑を……!」

 慌てて身体を離して掴まれている腕からほどこうとした手のひらに、優しく力が込められる。
 何かを確かめるように触れられ、谷地の身体は硬直したように止まった。

「えと、影山くん……?」
「谷地さんの腕、すげー細いんだな。あと、柔らかいし」

 触ると気持ちいい。
 影山の考えが漏れていたのかは分からないが、肉を揉まれているのだと気づいた谷地は顔を真っ赤にしてその手を振り払った。
 あ、と戸惑うような影山の声の先には行き場をなくした手が空を切る。

「た、たるんだ二の腕で申し訳ございません!!」
「え?」

 叫び声に驚いた部員の視線を集めていることに気づかず、その場にしゃがみこんだと思えばそのまま手をついて頭を下げる谷地。いわゆる土下座の格好をして小さな身体を震わせている。せっかく引っ張り上げた影山の行為は無意味になっていた。

「マネージャーと言えど運動部に所属する身でありながら鈍らな身体のままでいようなんて甘い考えですよね。すぐに鍛えますのでどうかクビだけは……!!!」
「クビ!? 谷地さんがクビになったら困る!」

 練習のときにドリンクを用意してもらったり、休憩のときにタオルを手渡してもらったり、自主練のボール出しを手伝ってもらったり。谷地に世話になっていることは多く、今更いなくなるなんて考えられない。
 どうすれば谷地さんがクビにならなくて済むのか考える。

「ちょっと影山、谷地さんに何してんだよ!」
「あぁ!? なんもしてねーよ!」

 背後から飛んできた声に返答したのは、脊髄反射と同じレベルだった。振り返れば、平均身長よりも低い無造作に跳ねた頭の同い年のチームメイトがそこにいた。

「谷地さん大丈夫? 影山にへんなことされてない?」

 土下座している谷地よりも、影山が余計なことをしたのだろうと推測するのは谷地の性格と影山の日頃の行いから推測したのだろう。
 ガバリと顔を上げた谷地の表情は涙目で、予想外の谷地の表情に影山の心臓が跳ねる。何とかしていつもの顔に変えなければと口を開こうとするが、谷地のほうが先に声を上げた。

「ち、違うんです! 私がだらしないばかりに影山君にたるんだ二の腕などという不快なものを触らせてしまって……」
「え? 二の腕?」
「わざわざ引き上げてくださったのにむにむにとした二の腕をですね」
「ちょ、谷地さん落ちつ――」

 バシン、バシン。少し軽めの良い音が辺りに響くと同時に、影山は頭に痛みを感じた。プラスチックのクリップバインダーで叩かれたと気づいたのは、怒りを顕わにしている清水の姿を確認できたからだった。
 なんで俺まで、と嘆く日向の横で影山はなぜ叩かれたのか分からなかった。
「ほら、仁花ちゃん二人は放っておいてこっち来て」
 谷地を立たせると手を引っ張り、連れて行く清水。日向は恨めしそうに影山を見つめ、影山は首を傾げるしかなかった。

「王様さぁ、ホントなにやってんの」
「あぁ!?」

 声に反応すれば、月島が少し高い目線から見下ろしてきた。
 いちいち何の用だと切り返せば、月島の表情が険しいものになる。

「女の子の二の腕触るとかセクハラでしょ」
「あ? セクハラってなんだ」

 ぎょっとする日向を差し置いて、言葉を切り返した。まずはそこからかとため息をつく月島を影山はにらみつける。
 言葉の意味が分からなくても馬鹿にされていることは分かった。

「女の子に性的な嫌がらせをするって意味」
「せいて……は?」
「二の腕って胸の柔らかさと似てるらしいよ」

 戸惑う影山に月島は追撃した。
 顔を真っ赤にして、声にならない悲鳴を上げる日向。対して影山は、どうして突然そんな話をし始めたのか分からない。
 そして、影山は右手で自分の左腕を握り、その後に自分の胸を触った。

「どこが似てんだよ。全然違うじゃねーか」

 そもそも、形状も違えば付く鍛え方の違いから筋肉の質も違う。当然、左腕の筋肉のほうが硬い。
 何を嘘を教えているんだと月島を見上げれば、苦虫を潰したような表情をしていた。知っている、これは“ドン引く”というヤツだ。

「天然なの? 無知にしてもほどがあるでしょ」
「もう、影山は谷地さんに近づくの禁止な! 二の腕に触るのも禁止!!」
「はぁ!? 意味わかんねぇよ!」

 日向に出された突然の禁止令に殴りかかる影山。日向はソレをひょいとかわす。
 遠くから先輩たちに生暖かい視線を送られていることに気づかず、一年生はいつも通りの騒がしさだった。
作品名:二の腕 作家名:すずしろ