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遠望フィーネ

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 体が壁に叩きつけられ、音を立てる。僕の背も鈍く痛みを訴える。痛覚がじわりと滲む間もなく、リンの両手が逃げ場を防ぐように、同じ音を立てて顔の横。
「ねえレン」
 僕はリンを見つめ返すことができない。きっと目の下に濃い影を落として僕を睨んでいるから。怖い。形相が、ではない。この子の激情を受け止めることが。
「レンは、私のものでしょう?」
 うっとりと、ねっとりと、囁かれるは重い想い。全てを余すことなく受け入れる、それが僕のいる意味。たとえ彼女の言葉が誰にも通用しなくても、僕はただ一人頷くブリキでなくてはならない。肯定しかできないから、正しい方角へ導くことができない。
「レンは私の、なのに!どうして私を置いて行っちゃうの!知ってるよ!いつかレンは私を置いて消えちゃうんでしょ!」
 ならばいっそとでも言うように、リンは僕の首に右手を掛け、握り込むように巻き付ける。僕は無意識に喉を鳴らして抵抗していた。リンはそれすら気に入らないように、細い手いっぱいに力を込める。僕は再び足掻こうとして、やめた。この激情こそ、目を背けてはならない。何故なら、僕は肯定しかできない。
「ここがいたいの、ずっと、レンがいるから、レンがいるせいでずっといたいままだわ」 リンは左手で胸を指し、大人しくなった僕を静かに責めだした。
 リンが僕を責めるのはいつものことだ。僕が存在する意義がそうなのだから。君の辛い感情を追いやるために僕はいる。そんな掃き溜めを傍に置いたままでは辛いままに決まってる。僕は君から遠ざからなくてはならなかった。だから、君に届かない世界へ消えてしまおうって思うのに。そうして欲しいんだろう?なのに、どうして君は僕を引き留めるんだい。
 酸素なんて要らない体のくせに、一丁前に存在する気道が締まるのを意識して、胸が苦しくて唇を上に向ける。息ができないからって死にはしないくせに、けれど何か紡がなくては、このまま心が死んでしまいそうな気がした。
「ごめん…なさい」
 口を付いたのは謝罪。何に対するものだったか。生まれたことか。傍に居たことか。彼女を救えないことか。平穏に溺れたことか。死ぬことか。ちがう。リンは、確かに、僕に、寂しいって言ってくれたのに。僕は、頷くことしか出来なかった。
「ゆるさない」
 ぎり、と音を立てたリンの鋭い爪。赤く皮膚が色付くが、血が出るはずもない。
「ゆるさないわ、レン。消えるなんて真似は絶対にさせない。レンは、これからも私と、居るの。そうよ、永遠に」
 離れていく指、手のひら、小さな白い君の手が遠退くのが残念だと思う僕は、やはり消えたいのか、ただ彼女が愛しいのか、麻痺した思考ではもう判別もできない。
 首の次に襲うのは、唇だった。忘れかけた呼吸をようやく思い出しかけたそれを、リンは深く塞ぐ。僕はされるがまま、音を立てて、また霧の漂い出した視界に幻を覚える。
「愛しているわ、レン、誰よりも愛しているわ」
 愛に飢えた彼女が愛を囁く、この優しさを、どうかリンが否定しませんように。僕は肯定しかできないから。
 行動を放棄した体がずるりと壁を伝って落ちる。リンもそれに従い、僕の前に膝を付いた。やがて、僕の肩をそっと壁から剥がし、床に押し付ける。慈しむように、前髪を掻き分け、口付けを全身に落としていく。
 全てを受け止めるブリキは君が吐き出した孤独で出来ている。その肌を舐める舌は、寂しさを体内へフィードバックさせるだけ。きっと不毛な行為だ。だけどそれを止める術を知らない僕は、忘れないように、圧し殺すように呟いた。君は聞こえない振りをするだろう。謝罪は、誰も救えないのだ。
作品名:遠望フィーネ 作家名:pima