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恥ずかしいけど言いたくて

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 実験も一段落ついて、潤はふう、と息を吐きながらソファにもたれた。静かな室内にはカチカチという時計の秒針が刻む音のみが響く。
 一人だ。部屋が広い。
「………」
 ここにはもう、軽口を叩く助手はいない。独りで実験をしていると、数年前までの意見交換しながら実験をすすめていたときがひどく懐かしくなるときがある。
 のろのろとした手つきで、手元にあった雑誌を開く。
 ―――異端の天才料理人 葉山アキラ
 そう、雑誌にはでかでかとかかれている。左ページには、包丁を持ってポーズをとっている葉山―――もとい、汐見アキラの写真が掲載されている。そして、その隣にはモダン調のレストランの内装が並べて載せられている。隅には、「葉山氏が経営するレストラン。連日昼時になると行列ができる」と簡素な説明文がつけられていた。
「葉山か……仕事用の名前はそのままだからしょうがないんだけど、これじゃアキラくん独身みたい」
 葉山が独立して自分の店をたちあげてから二年が経とうとしていた。幸いにも経営は順調で、葉山は多忙は生活をおくっている。
 その分、いかに結婚していようが会える時間が減った。学生と教授、実質的な養母と養子という関係を考えると、今の状態のほうが自然なのは分かってはいるが、それでも少し寂しいと思う。
 雑誌のインタビューを目で追うと、料理を極めようと決意したきっかけを問われていた。
 ―――愛おしい人に、世界で一番美味しい料理を食べさせたかったからです。それは今でも変わっていません。
 そう、答えている。隣にはおすまし顔でインタビューに答えている葉山の写真が掲載されていた。
「……恥ずい」
 成人を迎えて交際をし始めてから、葉山はタガが外れたように人前でも躊躇なく愛を語るようになった。人生を半分以上日本で過ごしているとは思えないほどの甘い言葉を繰り出すので、以前薙切アリスからは「葉山くんってほんとはイタリア人じゃないの?」と言われていた。今や「愛妻家”すぎる”人」として一部で有名になりつつある。料理に関係ないからと断りをいれたが、バラエティの愛妻家特集に出演しないかという誘いを受けたことがあった。
 あまりに年齢差がある故に、潤が下衆の勘繰りを受けないために年下である葉山がベタ惚れであると周囲に示すというねらいもあるが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしいし、親しい周囲の人間からは「若い子っていいわねー」とニヤニヤされることもあった。
 それに、なによりも、
「こんなこと私に言ったことないくせに……」
 ぶつぶつと、文句を言う。
 人前ではためらいなく愛を語るが、二人きりのときはそうでもない。交際前よりは好きだのかわいいだの言うようになったし夜の行為のときは人前のときと同じようなかんじでという例外はあるが、二人のときは学生時代とあまり変わらない生意気ぶりだった。
 インタビュー記事を読み進めていくと、「妻のことを愛しています」と書かれている。
「……直接言ってよ」
 ほしい言葉を雑誌に載って知るというのは空しいことだった。
「んー、愛してるってそんな言うことじゃないのかなー」
 ふと、気になった。思えば躊躇なく愛を語る葉山がほとんど言ったことがない言葉なんだから、通常使う言葉ではないかもしれない。恋愛経験が葉山一人で比較することができない潤は、スマートフォンでインターネットを開いた。
「やっぱそんな普通に言うことじゃないのかな」
 検索すると、やっぱり愛していると言うのには勇気がいる、という意見が多数だった。眺めていくと、ある一つの言葉が目に入った。
 ―――愛していると言われたい奴は、自分は恋人に愛してると言っているのか?
「…………」
 胸に刺さった。
 潤本人は葉山と違って愛を言葉で語ったりしない。恥ずかしいからだ。その分手を繋いだり抱きついたりというボディランゲージで示している。
 だが、つき合ってから一回も、愛しているとまでは言ったことがない。
「…………」
 なんと自分はわがままだったのだろうか。反省した。
 愛を求めるのだからまず先に愛を示すというのは当たり前の話だった。
「愛してる、か」
 誰もいない空間なのに、言葉にすると少し恥ずかしい。
「練習しようかな……」
 部屋の隅から、「アキラくん」という名札が土にささった鉢を一つ持ってくる。研究用に育てている香草で、育てるのが難しい。アキラという名札は「高価で貴重なものだ。絶対枯らすな。これを枯らしたら俺を殺したと思え」と真顔で言い放った葉山が刺したものだった。代わりには、ちょうどいいかもしれない。
「愛……愛……あー……」
 植物相手だというのに、対象が在るというだけで気恥ずかしさが大幅にあがった。香草はじっと佇んで、潤に向かい合っているだけなのに。
「……愛、し……うあー」
 こんなんでほんとに言えるのだろうかと、頭の片隅で思った。


*****


「ただいま。あー、疲れた」
 葉山が玄関の扉をあけると、リビングから半身だけ出してこちらをじっと見つめる潤と目があった。
「何? お化けの真似?」
「い、いや、ちょっと」
 そういって、潤はリビングへとひっこんだ。何かやらかしたな、と葉山は長年のつきあいからくる勘で察知した。
「ほら何か白状しなきゃいけないことあるなら言え」
 リビングに入りながらそういうと、潤は「えー、あー」と呟きながら何かを差し出した。
 白い封書だった。消印や住所、宛先といったものはない。代わりにハートのシールで封がしてあった。
「何これ?」
「こ、これ私からだからっ。よ、読んでねっ!」
 そう言うがいなや潤は寝室へとダッシュで逃げ込んだ。ピシャリとドアは閉められて、リビングには葉山と封書だけが残された。
「何だよ……」
 口に出せないようなことやらかしたのか、そう思いながら封書を開く。中には便せんが一枚。それにはたった一文だけが記されていた。
「へえ……」
 頬がゆるんだ。
 寝室へ突撃すると、潤が布団をかぶって丸まっていた。「潤」と名前を呼びながら布団を剥がす。中にいたのは顔を赤らめて恥ずかしそうにしている潤だった。
 潤が何かを言う前に、唇で口を塞いだ。舌も絡めて、たっぷりと一分はキスをする。
「……何? どういう風の吹き回し?」
 ニヤニヤしながらそう聞くと、潤はもごもごと言いにくそうに、昼間の経緯を話した。
「でも恥ずかしくて絶対言えないし手紙もありかなーって……」
「で、ラブレターか」
 ラブレター、という響きが恥ずかしかったのか潤は顔をそらした。
「「言ってほしい」って言ってくれりゃいくらでも言うのに」
「だって私も言わないと不公平だし……」
 言いながら、潤は葉山の顔を直視できないのか必死に布団を奪い返そうとする。それをかわしながら、葉山は言った。
「単に好き好き大好きで十分だと思ってただけだけどな。愛してるってなんか口語ってより文語的だし」
「そりゃ実際言うことあんまないらしいけど……うわー」
 布団の主導権を握ろうと奮闘し、バランスを崩してベッドから落ちそうになった潤を葉山が支えて抱え込んだ。こうなればもう潤に為すすべはない。葉山が額に唇を落として、服の中をまさぐると手の甲をつねられた。