狼と赤
一般的に有名な童話。内容を知らない、もしくは覚えていなくとも、一度は耳にしたことはあるタイトルであろう。多くの子供がその物語を読み聞かせてもらい、大人になれば子供に読み聞かせる。
狼に騙され食べられてしまった子供と、その子供を救い出す猟師のお話。子供は純粋で、おばあさんだと思っていた狼に食べられた。それが優しいおばあさんではないとは知らずにだ。
思ったものだ。丸呑みなんてしなければいいのに。そうすれば、猟師だってお腹を掻っ捌かなかったかもしれない。生きていなければ、彼女は助けを求めない。猟師だって諦めて助けようと思わなかったのかもしれない。
だから俺は思った。自分に差し出された赤ずきんちゃんは、粉々に噛み砕いて食べてあげよう。牙という名の宝刀で、白く柔らかい肌をズタズタに切り裂いてあげよう。復讐という名の空腹を満たすための餌でしかなかったはずだ。
「ねぇ、ガイ。助けられた赤ずきんちゃんたちはどうなったんだー?」
物語を読み聞かせ、あどけない表情でルークは言う。絵本の最後のぺージを読み終え、それを閉じる。知らないことだらけで、全てが疑問でしかないルークは俺に尋ねる。
ねぇ、おばあさん。おばあさんのお耳はどうしてそんなに大きいの?
まるで、童話の少女のようではないか。何も知らず尋ねるその一幕のようだと、俺は感じた。さしずめ、この髪がずきんの代わりか。赤いずきんではなく、赤い髪。俺の人生を狂わせた血の色。赤いそれがよく似合う子供。
「狼が死んで、猟師と赤ずきんとおばあさんの三人は、仲良く平和に過ごしたんだ。」
「なぁ、ガイ。死ぬって、なんだ?」
何も知らない子供。何も知らずに、何もわからないまま、狼に食べられる子供。
ここが森なら良かったのにね。そしたら、誰かが助けに来てくれたのかもしれない。でもここには、狼を倒す猟師はいない。
内心で、応えてやった。森なら良かったのにね。そう、何度もだ。
「死ぬっていうのは、何もかもが終わってしまうんだ。」
「終わったら、何があるんだ?」
適当にはぐらかしても、子供は次の疑問をぶつけてくる。だから、そっと細い首に手をかけた。絞める描写を連想させるような手つきの愛撫に、ルークは目を見開くだけで不思議そうに俺を見つめていた。この子は俺を、優しいおばあさんとでも思っているのだろう。自分を食べようとする狼だなんて、微塵も考えやしない。
「終わりになったら何も無いさ。無くなってしまうんだ。」
お前は俺が殺してあげるよ、ルーク。全てを終わらせてやる。
だが今はその時ではない。その時ではなかったから、そっと腕を退けた。お前がもっともっと大きくなったとき。死という終焉を、俺の手で与えてやろう。
まだ幼い俺の赤ずきんは何もわからない。それが自分を騙す狼と知らず、懐き、尋ね、笑顔を見せる。ここが森であったなら、今頃きっと食べられてるのに。
飼い殺しにされた赤ずきんは、何も知らずに狼に甘える。腰に纏わり、笑う。だから俺も微笑み返してやる。
「よかった、俺にはガイがいる。何も無いことは無いから、ガイが一緒なら大丈夫。」
何も理解できない、理解していない赤ずきんは、それでも一人納得して微笑む。幸せだと言わんばかりに。ガイと一緒なら大丈夫と、それが狼だと気づかずに。ここが森ではないから、猟師がいないから、大きくなってから食べられるとも気づかずに。
誰もお前を助けてくれやしない。食べられたら、おしまいなんだよ。ルーク。
「ガイと一緒なら、狼が来ても怖くないな。」
「……ああ、狼なんかにお前を指一本触れさせやしない。だから、お前も狼に騙されるなよ。」
髪を撫でてやれば、嬉しそうに笑い転げる赤ずきんに、俺は内心付け加えた。俺以外の者に、殺させやしないと。
……それは俺と赤ずきんの物語のプロローグにしかすぎないと、誰も気づいていない。