なんて不愉快な事実かしら!(米と日/APH)
喜怒哀楽が大げさなアメリカ人からすれば、菊のあの無表情さは感情というものが一切合財欠如しているとしか思えない。笑う時ですら、よほど注目をしていなければ見逃してしまいそうなほどに、小さく小さく菊は笑う。声を立ててげらげら笑うところなんて見たことがない。
いや、かつて一度だけ気が触れたのかと思うような(実際に気が触れかけていたのかもしれない)哄笑を聞いたことがあるが、その笑いは後にも先にもその一度だけだ。白い軍服を自身の血と返り血に斑に染めて、頬を煤で汚し哄笑する菊の姿は異様だった。異様だったが故に今もよく覚えている。物覚えの悪い、よくいえば過去に頓着しないアルフレッドですら忘れられないほどに、それは異常な光景だったのだ。
その過去を思えば、穏やかに微笑む菊の笑い方は菊によく馴染むのだが、あんまりに菊の喜怒哀楽の平坦さをアルフレッドがつまらないと思うのも仕方のないことだろう。アーサーもアルフレッドに対してはあんまり見せないが、それなりによく笑う。見えないお友達に対してなので、それはそれで異様でしかないが声をあげて笑う。フランシスなんかは何時だって笑っているし、総じて欧州の人間はよく笑うし、よく怒る。喜怒哀楽がはっきりしているから、相手の感情も把握しやすい。
でも、そういえば同じ亜細亜人の王耀もヨンスは喜怒哀楽がはっきりしていたなとアルフレッドは唐突に思い出す。王耀もヨンスもよく笑うし泣くし怒るし楽しむ。ヨンスなんかはアメリカ人以上に感情表現がオーバーすぎる嫌いがある。菊だけが何かにつけて規格外だ。
アルフレッドが何かをしでかして怒る時も、まぁそれなりにぷすぷすと怒るのだが、その怒りもそんなに持続しない。最後の最後はしょうがないですねぇと笑って流してしまう。そんなんだから、アルフレッドは菊の感情が読み取れずに戸惑って、どこまで踏み込んでも大丈夫でどこまで踏み込んだら駄目なのかわからないのだ。わからないけれど、どうしようもない。教えてくれないのだから、どうしようもない。
だって相手が感情を出してくれないんだから、どうしろっていうんだ。
感情を表してくれなきゃ、相手の気持なんか察しようがないじゃないかとアルフレッドは思うのだが、菊はそうではないらしい。表情に出していないつもりでも、よくアルフレッドは菊に感情を読み取られ先回りされる。
爺さんですからね、丸くもなりますよと菊はいうけれど、それはちょっと違うんじゃないかなとアルフレッドは菊の言葉に思い切りに顔を顰めてみせるのだが、菊はやはり穏やかに微笑んだままアルフレッドの言葉を聞き流している。
笑っているけれど、笑っているのかわからない。
君はわかりにくいねとアルフレッドが言えば、貴方はわかりやすいですねと菊が返す。
口角は吊り上っているけれど、茫洋とした黒い瞳はやっぱり感情が欠片程度も読み取れなかった。
Very it is home truth!
(なんて不愉快な事実かしら!)
作品名:なんて不愉快な事実かしら!(米と日/APH) 作家名:ふちさき