鍋、友の会
「ええと」
正直なところ、帝人は困惑していた。彼は鍋が嫌いではなかったが(何しろ一回の食事で一日に必要な栄養素をたやすく取ることが出来るので、栄養が偏りがちな一人暮らしには必需品と考えている節があった)そう頻繁に食べたいかと言われるとそうでもない。育ち盛りの少年は当然、野菜よりも肉を好むからだ。
「鍋とカセットコンロあるよね?」
「はあ、まあ、ありますけど」
「じゃあ、これ渡すから鍋の用意してくれる? 俺は野菜切るからさ。っと、お邪魔するね」
「はあ、どうぞ」
そう言って渡されたのはどこからどう見ても鍋の素であった。この液体に野菜やら材料をぶちこんでぐつぐつと煮れば手軽に鍋を作ることが出来るという代物だ。寄せ鍋、とパッケージに書かれたそれを抱えて、まるで自分の家であるかのようにふるまう彼の後を追って台所に向かった。
どうにもこうにも不可解ではある。が、断るタイミングは過ぎていた。野菜は洗われ更に適度な大きさに切られていて、鍋にぶちこむ他ないように見える。そうすると、少年に出来ることは、臨也の言うことを聞いてガスコンロの上に鍋を設置するだけに思えた。
この鍋の素は何度か自分でも使ったことがあるので、要領は得ている。一人用にはいささか大きい鍋をガスコンロに置き、なみなみとスープを注ぐ。いつも通り、ちょうどいい量が鍋の中満たされた。ここまで来ると不思議なもので、鍋食べる気がしませんと突っぱねる気はなくなっていた。夕飯時にはまだ早いが、食べようと思えばいくらでも食べられる年代だ。
「ところで、臨也さん、どうして鍋なんですか」
「そういや君、食べられないものとかある?」
「え、ないですけど」
「そりゃ、いいことだ。好き嫌いする子は大きくなれないって言うからねえ。シズちゃんなんて馬鹿みたいになんでも食べるからあんなに縦に長くなっちゃってさあ」
「いや、あの、臨也さん聞いてますか?」
まったく聞いていないようだった。鮮やかとも言える包丁さばきで野菜と肉を切り分けると、臨也は帝人を無視して豪快にスープの中へ材料を投入する。野菜も、肉も、上手いバランスで切られていたが、どうやら鍋の時に具材を入れる順番などは知らないようだった。そのまま問答無用とばかりにスイッチを捻られ、鍋と言うよりただのごった煮と言った方がいい料理になりそうな目の前の器からそっと目をそらした。
「帝人くんさ、鍋とかよくやるの?」
「え、ま、まあたまに」
「へえ、一人で?」
「一人の時もありますし、友達とか、知り合いとかともやりますよ」
「ふうん」
鍋の中はぐつぐつと暖まりいい感じになってきていたが、それを取り囲む彼らはそうではなかった。臨也の口元こそは楽しげに笑っていたが、目は違った。鍋から立ち上る湯気を通して、ひどく冷めた目でこちらを見やっている。おそらく、何らしかのことに対して怒りをおぼえているのだろうけれど、帝人の方にはその心当たりは一切ない。大体、怒っているのならば、なぜ鍋をやろうと誘うのか。一般的な考えからすると、あまり怒りの対象となる人間と鍋を囲もうとは思わないだろう。帝人だってそうだ。だけども、臨也は鍋をしようと言った。材料すべてを集めてまでも食べたいと望んだ。
「・・・・・・そろそろいいんじゃないかな?」
確かに、スープのいい匂いが漂ってくる。見たところ白菜は上手い具合にしんなりしていたし、肉はまだ微妙なところだが、野菜を食べている内にちょうど煮えるだろう。
「あーと、臨也さん取りますか?」
「じゃあお願いするよ」
「ええと、お肉まだ煮えてないので、とりあえず野菜からですけど、大丈夫ですか」
「任せるよ」
まずはじめにざっとアクを取ってから、器になるべく均等になるように色々な野菜を入れていく。最後に四角く切られた豆腐を上に乗っけて、その上からスープを入れればおしまいだ。臨也に渡すとうれしそうな顔をして、それから手慣れてるねと呟いた。
「いや、別に、普通に盛っただけじゃないですか」
「誰も責めてないけどねえ。手慣れていて悪いことはないし」
どうにもこうにも刺々しい。理由はわからないまま、けれど反論するのも面倒そうなので、手早く自分の分を盛る。さて食べようと、彼を見れば、どうやらまだ箸をつけていないようだった。
「? どうしたんですか、臨也さん・・・?」
「いただきます」
「え、あ、はい、いただきます」
合掌して、早速食べ始める。食べたことのある味ではあったが、決して不味くはない。相手がどうあれ、誰かと一緒に取る食事というものはそれだけである程度の補正が利くのだから。食べ進めると俄然食欲が沸いてきて、無言で帝人は食べた。食べ続けた。そうして、自分の器が空になったところで、彼は気づいた。臨也はまったく箸を付けていないようだった。たぶん、いただきますと言ったからには食べる気はあるのだろうけれど、頬肘をついて、帝人を見るだけだった。おかしい、どう考えてもおかしい。大層深いという訳でもない仲であったが、それにしても彼の様子がおかしいことくらいは、分かる。静雄さんに殴られて、頭のネジを一本か二本ほど吹き飛ばしてしまったのかもしれない。
「あのー…」
「美味しいかい?」
「あ、はい」
「そりゃよかった」
うんうんとうなずく彼からは、ようやく剣呑な光が消え、戸惑う帝人を放置したまま食事を始める。しばし、無言であった。お互い何も言わず、鍋を食べ続ける。
疑問も何もかもも、暖かい鍋が溶かしてすっかり胃に収めてしまう。帝人は考えることを止めていた。鍋は美味いし、目の前の人とご飯を食べるのも悪くない。それでいい、今はそれで。
「臨也さん」
「何? 最後に残った豆腐ならあげるけど、豚肉はあげないよ」
「また、鍋しましょうか」
折原臨也という男は、帝人が知る限り他人にどういう風に見られるかを計算して表情を作る。だからその時の、彼のぽかんとした隙のある表情というやつを始めてみたのだが、いつもの鋭い顔と比べるとなんだか可愛らしく帝人の目に映った。そんなことを言ったら臨也は怒るかもしれない。だから、そこそこに賢く空気が読める帝人は口を噤んだ。
「……まあ、いいんじゃない」
「じゃあ次はキムチ鍋ですかね」
「考えとくよ」
少し奇妙な団欒はゆるりと過ぎていく。
この後、雑炊党とうどん党とで熾烈な戦いが繰り広げられることとなるがそれはまた、別のお話。