二人ぼっち
臨也は全てに陶酔しているかのように真っ黒い空を大きく仰いだ。まるで大きなカラスが翼を広げたようなその姿に静雄は怒りと共に恐怖も感じた。
「池袋って小さいよね。小さいのに人間はあわただしく行き交う。人間ってのはさ小さいよねえ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「俺はそんな人間が大好きだよ!人間ってのは簡単に俺に動かされながら噛み付くこともある。面白い!面白い面白い!なんて世界は綺麗なんだろうね!」
空に向かって大声を上げる狂人に静雄はただ目をそらすことなく視線を送り続ける。
ぽつぽつと大粒の雨が降り出し二人の服、顔、身体をぬらしていく。体の体温を奪われるのも気にせずに臨也は天を仰ぎ続け、静雄はその臨也を見ていた。
「手前は自分が好きなだけだろ」
「・・・・・・・・・・どういうこと?」
静雄は雨の中煙草をくわえ、ライターで火をつけようとする、一度、二度。火がなかなかつかず三度目にして煙草に火がともった。白い煙が吐き出される。
「人間を愛してるって手前は言うが愛してるならボランティアでもしろよ。ゴミ拾うだけで感謝されるぞ。手前が愛してる人間からよ」
その言葉に臨也は高笑いをした。面白かったのか腹を抱えてくつくつと笑う。静雄はなぜか怒りを感じなかった。怒り以上に理解の出来ない相手に対する恐れが勝っていたのだろうか。
――――――いや、恐れではなかった。それは哀れな人間に対する憐れみ。
「馬っっっっっ鹿じゃないの?俺がボランティア?なにそれウケ狙ってる?」
「・・・・・・・・・・・・いたって真面目なんだけどな」
煙草を右手に持ってはぁ、と静雄は白い息を吐き出した。
「・・・・・・・・・・・・・・・だろうね。シズちゃんが俺と会っているのに攻撃してこないなんてさ。今夜はこのままどしゃぶりかもね」
「手前はさ、手前の知恵に踊らされる人間が好きなだけなんだよ」
「違うよ。俺は人間が好きなんだ。その証拠に俺は俺の手のひらから逃げ出す人間が大好きだ」
目の前でくるくると臨也は回る。ダンスでもしているかのように雨つぶと一緒に回る。
「・・・・・・・・・逃げ出した人間がいるってことは手前はその人間をどうにかしようとする。その人間がお前の手に落ちたとき、お前はより強い快感を覚える。お前はただゲームをしているだけだ」
臨也はピタリ、とダンスを止める。雨の音はさらに激しくなり二人の輪郭はぼやけた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・饒舌だね。シズちゃんが饒舌なんて珍しいんじゃない?」
「手前があまりにも可哀相だったからな」
雨で消えてしまった煙草の吸殻を靴で消しながら静雄は言った。臨也のことなど眼中にないかのように煙草の火が消えたことを確認した。
「可哀相・・・・・・・・・?」
「俺は手前が大嫌いだから言わせてもらうがな。手前はよっぽどなナルシストだよ。自分しか愛せないんだろ?哀れ以外のなにがあるってんだよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・誰にも愛されない男がなにを言うんだよ。シズちゃんのほうがよっぽど哀れだ」
臨也は珍しく低い声を出す。感情が表情に出ることのない男の顔に確実に不快な表情が見て取れた。
「理屈をこねくりまわすのは嫌いなんだ」
ただ一言。たったそれだけの答えを返した。なんの答えにもなっていない言葉を。
「ははっ・・・・・・自分でも分かってるんだ。愛されないってことがさ」
「・・・・・・・・・・・・・」
その言葉には静雄は返答しなかった。そのまま苦笑いをして金色の髪の毛をくしゃりとした。水で重く濡れた髪の毛は静雄の手に絡みつく。
「分かってるけどよ。ま、いいんだよ俺はさ」
まるで自分に言っているかのように静雄は言った。臨也は顔をゆがませたまま静雄から目をそらそうとはしない。
「そうなんだ」
「・・・・・・・・・・なぁ、ノミ蟲。手前は自分が誰かから愛されてると思ってるか?」
「・・・・・・・なはずないでしょ。人間は俺を愛するべきだというのに俺を愛さないんだから」
「・・・・・・・・・・・・・・人間は手前を嫌うだろうな。でもよ、化け物は手前を案外好いてるかもしれないぜ」
ス、と静雄はサングラスをとると臨也に向かって目を細めた。険しい軽蔑の視線ではなくそれは優しげな目線だった。
「・・・・・・・・・・・化け物・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・手前は愛されてる自覚を持つべきだ。俺とは違うんだからよ」
制御の利かない強い力のせいで誰からも愛されなかった。そしてこれからもこの力がある限り静雄は愛されはしない。ただ、こうは考えられないだろうか。愛されはしなくとも、誰かを愛することだけはできるのだと。
「シズ、ちゃん?」
「黒いカラスのことを好きなんていう物好きはどこの誰だから知らねーがよ。愛されたくても愛されない俺よりは手前のほうがいくから哀れじゃねってことだ。さっき手前は言っただろ。俺が哀れだってよ。俺は認めるよ。事実だからな」
哀れな人間は哀れな人間を愛する。孤独な人間は孤独な人間を愛する。それは慰めあう友人ごっこなどではなかった。臨也がこの言葉をどう受け取るかなど知りはしない。それでも、確実に一人は折原臨也を愛する人間がいるのだ。
それは自分自身が知っている感情。
「あぁ、やっぱり駄目だ。理屈ってのは俺に合わねぇな。いい言葉が見つからねぇや」
理由を探しても見つかりはしなかった。この感情は理屈じゃない。だから理屈しか知らない臨也には知ることが出来ないだろう。
「俺たちは哀れだよな」
そう問いかけると臨也は小さくうん、と返した。
「俺が愛されてる、ね。嘘じゃないとしたらシズちゃんが俺を好きってことだろうか」
「・・・・・・・・・・・・・答えは言わねぇけどな」
「だろうね」
ひどく冷たい雨が二人を包み込む。真っ黒く濁った空が二人を見下ろす。
「きっといつまでも人間ってのは独りなんだよ。誰もが誰も独り。だから多くの人間とつながっていたいと思うんだ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「こうして考えてみるとなかなかにシズちゃんとは深い繋がりかもしれないね。早く死ねばいいよ」
臨也は毒をはくと静雄の横を通り過ぎた。静雄は振り返りもせずに臨也を見逃す。
「二人ぼっち、かもね」
通り際に臨也は一言言った。そのまま軽やかな足取りでネオンが光る町へと消えていった。残された静雄は真上の黒い空を眺める。まるで彼の姿のような黒い空。
「二人、か。悪くはねぇな」