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月下邂逅

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「そんなに綺麗な刀身(からだ)をしているのに、何故隠すんだ?」

声を掛けられるまで、手を伸ばせば届きそうな場所に立たれていたことにすら気付いていなかった。

「・・・!」

動揺を見せるのは本意ではなかったがこの状況では取り繕えない。例え誤魔化したとしても、見透かされてしまうだろう。
実際はそんなことを頭の中で計算する間も無く、目を剥いて振り返っていた。

「部屋に居ないからここかと思って来てみたら、当たったな」

骨喰籐四郎は少しだけ目を細め、笑った、ように見えた。

「用は何だ?」

前髪から垂れた水滴が口へ流れ込む。
城内の片隅に湧く霊泉で、連戦で鈍くなってきた刀身(からだ)を癒やしていたところだった。

「いや。特には」

感情のこもらない乾いた口調で答えた骨喰が頭を軽く横へ傾けると髪が肩へ流れて、サラサラという音が聞こえたように錯覚した。

「部隊長とちょっと話してみたいと思っただけだ」

数日前に配属されてきたこいつは俺の事を銘ではなく、部隊長と呼ぶ。

「たまたまお前が入った時に隊長だっただけだ。すぐに変わるかもしれない」
「では、何と呼べば?」

山姥切、と略されて呼ばれるのが嫌いだと誰かから入れ知恵されているのかと勘繰りたくもなるが、そんなこと等どうでもいいか、とも思う。

「どうとでも。好きなように呼べばいい」

骨喰は唇の片方の端だけを微かに上げて、瞬きを2、3回した。

「そうか。次までに考えておこう」

嘲笑われたのかと思ったが顔は真剣だったので、もしかしたら戸惑ったのかもしれない…?

「・・・俺がここに居ると良く分かったな」

互いの呼吸(いき)の音しか聞こえない静寂に耐えかねて問うと、また目を細めてこちらを見つめる。こんな仕草や女子の様に優しげな姿形は柔らかい印象を他人に与えるが実際には全く逆で、口数が少なく、無愛想で情動を表に出さない。

「月が美しかったから、かな」

言っている意味が分からずただ睨み返すと今度は本当に、笑った。

「貴男の高潔な刀身(からだ)には月光が映える」

微笑む骨喰の視線が俺の視線を外して流れるような動線で宙へ動き、それに釣られるように夜空を見上げた。
そこから霊泉の水面に目を戻すと満月に近い月は明るく周囲を照らし、俺の刀身(からだ)を濡らす水滴をも輝かせていた。

「高潔、か。ハッ!」

自虐的な感情が一気に噴き出してきて、鋭く言い捨てる。

「俺は写だ。本物ではない。だが偽物でもない。そんなどっちつかずで高潔も何もあるまい」

陰鬱な迷いや憎しみが刀身の輝きを濁らせ、静かだった水面が揺れて出来た水紋が深い闇の色を描く。

「美しいと感じたから綺麗だと言っ…」
「綺麗なんて言うな!」

骨喰は唇をぎゅっと結んで俺のことを凝視した。
その顔には一見何の感情も無く見えたが鈍色の瞳の中に赤い濁りがゆらりと生じ、こちらが気付いたと解った途端、それは消えた。ほんの一瞬の、一呼吸する間くらい短い時間の出来事で、勘違いだったかもしれないが。

「怒らせに来たのではない。気分を害したなら謝る」

数分間の気まずい沈黙を破ったのは骨喰の方で、何故だか妙にホッとした。

「俺も感情的になった。怒鳴って悪かったな」

真っ直ぐに俺を見てゆっくりと瞬いている瞳には、もう先程の曇りは無い。

「水」
「あ?」
「冷たいか?」

しゃがみ込んで手のひらで泉の水を掬い、指の隙間から細く落としてから勢い良く立ち上がると服を脱ぎ始めた。唐突な行動に目のやり場に困って背を向けると、後ろで、ちゃぷん、と水音がした。

「ああ。これは気持ちが良い」

振り返ると、骨喰はこちらへ半分背中を向けたような格好で泉に浸かっていた。

「骨喰・・・」

呼び掛けると腰くらいまでの水の中にしゃがんで頭の先が見えるくらいまで沈み、ぷはっ、と息を吐きながら顔を上げた。

「なんだ?」

立ち上がると柔らかそうな髪の先から滴った雫が、その刀身へと真っ直ぐに流れ落ちた。

「・・・意外と骨太なんだな・・・」

服を着ていると細くて柳腰に見えるが、しっかりした骨格に薄いがちゃんと筋肉がついている。

「元は薙刀だったらしいからな。その頃の記憶は自分には無いが」

記憶を失っていることは聞いてはいたし、その話題は禁忌だと予め聞いていたのに。予期せぬ答えに口ごもると、骨喰が手を伸ばしてきた。

「貴方は触れただけで切れそうだ」

その指が腕に触れる寸前に、反射的に身を引いてしまった。それに対して骨喰は、ほんの少し目を丸くした後で静かに微笑んで、

「記憶なんてものが無ければ誰も苦しまなくて済むのに」

そう言いながら一歩だけ前に出て、俺の腕から紙一枚程度離れた所を爪先でつーっと撫で下ろす真似をしてから、もう一度深く水に沈んだ。

「綺麗だな・・・」

鋼色の髪が水面に広がり月の光をキラキラと集めているのを眺めていたら、一番嫌いな言葉が自然に口から出ていた。

「自分が言われると怒るのに、他人(ひと)には言うのか?」

無防備に笑う骨喰を見ながら、こいつが笑ったのを見たのは今日が初めてだったと気付く。

「さっきの」
「?」
「・・・いや、さっきはすまなかった」

ずっと、先程瞳の中に見えた赤い揺らぎが気になっていたのだが、今はまだ聞いてはいけない気がして、止める。

「もういい。忘れた」

いつもの顔に戻った骨喰はぶっきらぼうに言い放つと、勢い良く立ち上がった。

「話せて良かった」
「待て・・・!」

泉の縁に足を掛けて出ようとする後ろ姿へ声を掛ける。

「あ、や、何でも無い」

振り返って薄い笑みを口元に漂わせると、水から上がって濡れたままで躊躇無く服を着始めた。

「本当はもう少し話してみたいとも思う。今から貴方の部屋へ行っても構わないか?」

自分から言い出したのに骨喰は僅かに迷いを見せて、俺の反応を伺っている。

「そうだな。昼間の連戦で気が高ぶっていて眠れそうにない。晩酌に付き合ってもらえるか?」

瞳だけ俺を見て横顔でニヤリと笑うと、つっ、と手を突き出してきた。

「あまり遅くなると鯰尾が五月蝿いから、ほどほどに、なら」

目の前の白い掌がふわりふわりと軽く上下に動いているのをぼんやりと見ていたら、呆れた顔をされた。

「いつまで水浴びしてる気なんだ?」

その手が自分へ向かって差し伸べられているのだと、そんな風に言われるまで思い付きもしなかった。

「あ、ああ」

華奢に見える手を握るとグイッと引かれ、全身が一気に泉から引き上げられる。

「意外と力が強いんだな」
「骨太だからな」

言葉尻を取られてもムカつかないのが不思議だ。

「それに、こんなに喋るとは思ってなかった」
「貴方は『意外と』鈍いんだな」

骨喰の細められた瞼の奥で、瞳が綺麗に笑っていた。

―終―
作品名:月下邂逅 作家名:乾かのえ