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【タグ企画短編】百面相と透明人間/スティレオ

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「調子はどうだい衆愚ちゃんたち!」
 今日も今日とて最悪な暇つぶしが開幕した。
 異変はライブラ内部でも発見され、事態の飲み込みは悲しいくらいに速かった。
 いつの間にか潜り込んでいた小さな蜘蛛がスティーブンの腕に巣を作っていたのだ。蜘蛛自体は反射的に潰してしまい、堕落王の仕込みとあって迂闊なことをしたのではないかと焦ったが、モニターから流れる解説によれば親蜘蛛の駆逐事態は問題ない。
 これは堕落王のゲームなのだ。すぐにゲームオーバーではつまらない。民衆が足掻いた末に大きな被害を受けるまでが娯楽だ。
「君たちが軽率に潰してしまっているだろう蜘蛛は巣に卵を残しているはずだよ。最低二人以上の腕の間にね。僕の蜘蛛ちゃんは普通の蜘蛛より優秀だから糸も丈夫だ。だけど離れすぎるとさすがに切れて巣は地面に落ちるだろう。だがそれは避けた方が身のためだ。脆い殻が割れた途端に眠っていた子蜘蛛ちゃんが湧きだして手当たり次第に糸で巻きつくしちゃうよ。もちろん捕まえた生物は餌として食べつくし、子蜘蛛ちゃんは成長して親より大きくなっていく。世界が糸だらけにならないよう気を付けてくれたまえ!」
 スティーブンは恐る恐る腕から伸びる糸の先を視線で辿った。
「ス、スイマセン……」
 堕落王のゲームに巻き込まれることにおいて非凡な確立を誇るレオナルド・ウォッチが糸の絡みついた腕を挙げた。
 とんでもないことになった。だけど相手がザップなどでなかっただけマシだ。身体も小さい分連れまわすことになっても都合がいいだろう。
 タイミングが悪いことに、こんな日に限って人と会う予定が詰まっているのだ。街の外から太いスポンサーがやってくるのでキャンセルは極力したくない。
 それに加え今回の仕掛けはずいぶんと良心的だった。魔獣爆弾を抱えて上空から落下させられたり、どこで発動するかわからないゲートから一瞬で出現した腕にあたり一面を真っ二つにされるような緊迫した状況ではない。逆に言うと誰かが子蜘蛛を起こさない限りどこに巣が張られているかさえ観測が難しいのだ。
 小細工で対処できない堕落王のゲームに限っては常に武力行使をとってきた。その力の矛先を絞れない面々を見渡し、何人かに巡回監視を指示した。残りは騒ぎが観測されたらすぐ対処できるように各自待機。つまり出たとこ勝負に備えて連絡は必ずつくようにしておけということだ。
 スティーブンはスポンサーの接待を選んだのである。
「相談があるんだレオナルド。先日の一件で義眼の力で相手の視界を誤魔化せることが分かったわけだが」
 皆まで聞くまでもなくレオナルドは理解した。糸が切れない距離を維持すべく接待に同行させるが、相手にレオナルドの存在を察知されないようにしろってことだ。相談などという前ふりであっても断る選択肢などない。
 透明人間となったレオナルドは高級レストランで異常に愛想のいい上司の横、透明人間故に椅子は用意されないため床に座り、黙ってじっとしているというぬるい苦行を引き受ける羽目になった。
「ええ、おっしゃる通りです。先日の発表も拝見しましたが非常に素晴らしかった」
 カンペキなまでの太鼓持ちぶりでよくしゃべる。対する上等なスーツを着た老紳士は満足そうだった。
 予定は他にもあった。先週から探りを入れている案件の情報収集のために女性とデートして、ちょっとだけ冷たい男を気取る。先ほどとは打って変わって多くは語らず女性のお喋りの聞き手役に回った。彼女は時折挟まれる誘導セリフにまんまとはまって、恐らく口外してはいけないことまでペラペラしゃべった。
 移動の途中ではクリエイター風の中年男性に呼び止められ、親しげに世間話をして別れた。誰とでも上手くやれそうな人当たりの良さだった。
 彼の“なるべく外したくない予定”を消化しきった頃に子蜘蛛被害が相次いで報告されるようになり、同時に連中には電撃が有効という報告が上がってきた。
 ライブラで電撃と言えばママさんスナイパーK・Kだ。卵を正確に撃ち抜いて「最初からこうすればよかったのよ」と軽々しく言ってくれるが、近距離で銃を構えられると直接自分に向かっていなくても変な汗が出るレオナルドとしては覚悟のいる処置だった。労いのつもりで言った「お疲れ」に対し「アンタがフラフラしてるうちにこっちは散々走り回ってたんだから」と文句をつけられたスティーブンもだ。冗談でも「疲れで手元が狂うかも」なんて言わないでくれ。
 比較的穏便にケリがつき、早々に解散となった事務所でスティーブンは報告書を作成していた。事件が終わっても事務仕事が残っている限り終わりではないのだ。
 ソファーセットでその様子を眺めていたレオナルドに気づいて一度顔を上げた。
「帰らないのかい、レオナルド」
「いえ、ちょっと……貴重な体験だったなって思い出してて」
 こんな年齢も立場も低い人間が上司の接待に密着することは普通だったらありえない。聞いちゃいけないことも聞いたし、その件についてはスティーブンからよく口止めされている。されなくても口に出来ないようなマズイことだったけど。
 それ以上に貴重だったのがスティーブンの七変化ぶりだ。知っている上司の顔さえ素ではないのか疑っている。
「スティーブンさんの素ってどんなかんじなんですか?」
 ついつい尋ねると、スティーブンは一度眉間にしわを寄せてから深い溜息と一緒に力を抜いた。
「こんなかんじだよ。今日は全く変なところを見られてしまったな」
 疲労感たっぷりの顔の中で唇を尖らせる。
「色んな顔を使い分けるのだって仕事の内だ。だけどここでは別に取り繕う必要がないからな。今君の目に見えるものが全てさ」
 明るくもなくフレンドリーでも気障でもなく、好意の大きさも敷居の高さも調節していない、自然と出る形で苦笑した。そんな上司の顔をまじまじと眺めていたレオナルドはヘラッと笑った。
「良かったです。今のスティーブンさんが今日見た中で一番好きです」
 なんだいそりゃ。平和で呑気な少年につられてスティーブンの頬も緩む。「素の貴方が好き」なんて素を見せたこともない女になら何度でも言われているが、本当の本当に言われたことは初めてだ。存外いい気分だった。
「よし。ひと段落して腹も減ったことだし、食事に行こうと思うが、また同行してもらえるかな」
「椅子に座れるヤツだったら」
「勿論、ちゃんと向かいに座ってもらうよ」
 書類を置いて車のキーを引っかけて、透明人間と自分を労いに事務所を後にした。