わたしは明日、明日のあなたとデートする
私は高志の肩に頭を乗せて目をつぶった。赤ん坊の頃の高志、初めて歩いた時の高志、小学生の時に私が出演した映画を観て複雑な顔をしていた高志、中学生の時に友達とケンカをして真っ赤に目を泣き腫らしていた高志、高校の部活の大会で決勝戦で負けて声を殺して泣いていた高志、大学に合格して快心の笑顔を弾けさせた高志、初めて瞳さんを家に連れてきた時の照れくさそうな高志、産まれてから今までの高志の顔が私の脳裏をよぎっていき、同時にそれぞれの顔を見た時の私の感情も蘇って通り過ぎていった。
遠くで爆発音がして、私の記憶の渦が消えた。
顔を上げると、高志は私に小さく頷いた。
外でドアが開く音がして、バタバタという足音がドアの外を通り過ぎていった。
「よし、行くぞ」
高志がドアノブに手をかけた。
「高志、瞳さんを大切にしてあげてね。浮気なんかしちゃダメだよ」
「もうそんな話をしている時間はないぞ」
ドアを開けて廊下を小走りに守衛室に向かう。
高志に続いて私も廊下に出て、守衛室の前を通り過ぎてゲートに向かった。
ゲートに辿り着き、カードキーをセンサーに当ててゲートを通過する。振り返ると高志が守衛室の窓から顔を出していた。
「母さん。幸運を祈るよ」
「高志も元気でね」
ドアを開けて外に出た。ドアを閉める時、高志が親指を立てた拳を私に向けているのが見えたが、すぐに閉まったドアに遮られて見えなくなってしまった。
林の中を道が緩やかに登っている。最低限の街灯があるので足下は何とか見えるが、とても薄暗い道だ。
一人になると急に心細くなった。背後の建物には高志がいるはずなのだが、冷たいドアと白い無機質な建物からは人の気配を感じない。今すぐドアを開けて戻りたい衝動に駆られた。唇を噛んで前に進む。
暗い道を進み、小さな丘を越えると旅行センターからの道に合流した。何度も歩いた道に出たのに、暗さと一人きりという状況は心細さを軽くしてはくれなかった。
少し広くなったが相変わらず暗い道をしばらく進むと、二階建ての小さな建物が数多く並んでいる広場に出た。ここが旅行者の宿泊施設だ。
私は高志に教えられた部屋に入った。その部屋は他の普通の部屋なら置いてあるベッドがなく、替わりにデスクとロッカーが所狭しと並んでいた。
高志のデスクはすぐわかった。瞳さんと愛の写真が飾られているデスクの引き出しを開け、腕時計型の端末を外してカードキーと一緒に入れた。端末に無線接続して使うタブレットも同じ引き出しに入れた。
端末を外した時、今まで生きてきたこの世界といよいよ縁を切ろうとしていることが急に実感として押し寄せてきた。不本意にもここに戻ってきて、再びこの端末を身に着けることになるのだろうか。それともこの端末は、高志にこっそり回収されることになるのだろうか。
この引き出しがこの世界との、高志との最後の接点になるかも、と思うと高志に何かメッセージを残したくなった。デスクにメモ用紙があったので、何を書こうかとしばらく思い悩んだが、気が利いた言葉が思い浮かばなかった。
「高志へ
産まれてきてくれてありがとう
母より」
結局、こう書いたメモ用紙を入れて引き出しを閉めた。
さあ、あとはすぐそこにある境界線を越えるだけだ。
私は部屋を出て広場を抜けた。道はずっと続いているように見えるが、すぐそこに境界線の標識が見える。
私は歩みを緩めず、ためらわずに境界線を越えた。
作品名:わたしは明日、明日のあなたとデートする 作家名:空跳ぶカエル