憂鬱ホリデー
彼の寝顔に出会うのは、今日が初めてだった。
笑わないこいつはまるで別人だし、そんな古泉も嫌いではない。調子を狂わせるあれはハルヒが望んだから演じているだけで、あれは生来のものではないはずだった。しかし隙間を厭い体をあわせるようになっても、そこから笑みが消えることはなかった。彼曰くもう癖になってしまったのだという。笑っていないとおかしな感じがすると、困ったように古泉は語った。
昨日は狭いベッドに男二人して乗っかってきしませては、馬鹿みたいにお互いをいじりあった。行為に及ぶのは必ずといっていいほど古泉の部屋で、そしてこのベッドだったから、今みたいに何もせずただ眠るなんて想像できなかった。いつもならどれだけ遅くなっても家に帰ったし、セックスをした後の汚らしいベッドで眠るなんて自分に許さない。精を吐き出すまではどんなにだらしない格好でもためらいなくとれるのに、深い快感を得た後に理性の端を掴めば、すぐにそれを恥じてしまう。あのときのほうが、よっぽど自分達は自然だ。何故ならそれ自体とてもシンプルで、そこにまさかハルヒの意思など反映されることはない。古泉のハルヒに対する崇拝は全てが不自然なまでに大掛かりで、この家のこの部屋の中くらいでしか彼は素顔を見せなかった。もしかしたらまだその素顔は何層に折り重なっているかもしれない。しかし一番近いところに自分がいるという確信はあった。古泉は戯れで男を抱くほど頓狂ではない。俺が苦手とする、意識的に避けてきた恋愛感情でしか人を抱くことはないと分かっている。それはまるで潔癖な少女のように性に対して彼は真摯だった。抱かれる側の俺がひるんでしまうくらい。
そう、昨日帰りそびれたのはその真剣な表情のせいだった。今までいくら泊まってゆくように勧められても断り続けていたのに、ただ小雨を理由にして俺は帰らなかった。以前貸した傘を返すように言ったけれど古泉は拒んだ。裸のまま抱きしめてくる腕の強さがいつもよりも強くて、情緒が安定していないことを知る。何も苦しみなど感じないとでもいうようないつもの余裕はなかった。あれは本当にハルヒのために作られたものなのだ。ただ十六歳の女の子一人のために大掛かりに作られた、人格だった。拒むことは出来なかった。それは裏切りであるように思えたからだ。そして古泉もそう導かせた。つまり正しい解答は引き止める古泉に従うほかなく、また残念なことにそう望んでしまう自分もいたことは確かだ。俺は腕の強さに引き止められてしまった。
視線をはずさず、もつれた髪をといてやる。妹がまだ小さかった頃、こんな風に撫でてやったのを思い出す。もう一日妹を見ていない。いつもなら嫌というほどまとわりついてくるあの甲高い声は、この部屋にはなかった。かわりに与えられたのは、俺よりも大柄な男だ。
古泉の体温は、思ったよりも高かった。セックスの最中なら同じ高さまで連れられてゆくのに、ひとたび終わってしまえば体温はきちんと分離する。水と油、そんな言葉が浮かんだ。いや、そんないいものじゃない、もっと生々しいやつじゃなきゃいけない。俺たちは綺麗なものではいけなかった。綺麗なものはハルヒに見せればいい。あいつが望むのは、不自然な時期にやってきた転校生の美しい秘密だった。そいつが持つ残酷な口ぶりも、嗜虐的な笑みも、自分の行動に傷ついて泣き顔を作ることも、そんなものハルヒは必要としない。それを知るのは俺くらいでいい。とんだ独占欲に笑ってしまう。与えるふりをして奪っているのはこちらなのに、ああ引きとめられると必要とされていると感じてしまうじゃないか。
古泉の瞼はぴくりとも動かない。深い眠りにいるのだろうか、夢は見ていないのだろうか? 古泉の髪を指でといてゆく。頭を抱えるようにして抱きしめて丸まる。
雨の上がった空はもう少しで明るくなるだろう。いっそ学校を休んでしまおうか、あぁ、休まないまでも午前はこのままじっとしておきたい。教科書はどうせ学校におきっぱなしにしてあるし、部活に間に合えばハルヒの奴もうるさくはしないだろう。
瞼が下がる。俺は満たされ、幸せな結末の錯覚に足を浸す。意識無意識の間を何度も渡れば、その度に眠気が襲ってくる。眠れば夢は見るだろうか、抱きしめてみる夢はどんなものだろう。
名前を呼ぶのは気恥ずかしく、だから唇だけ動かし名前を呼び、瞳を閉じた。