この関係の虚しさに気付いてしまったら終わりだ。
それは大概は独り自室で眠りに着く少し前で、何もすることがなくて暇だったりぼんやり過ごしてるとき。
用もないのに携帯を開いて、アイツからメールが来ないかとか、待ったりする。
自分がおかしくなりそうだ。
頭を抱えて、イライラしたままの気持ちを持て余して眠りに着く。
激しく互いを求めれば求めるほど、この気持ちの行き着く場所の不確かさに眩暈がする。
気だるい身体がその行為の激しさを物語って、言い表すことの出来ない幸福感が全身を覆っている。
隣に眠る年相応のあどけない寝顔に、満たされていたはずの心が急激に冷たくなっていくのを感じた。
この生産性のない関係に、なんの意味があるのだろう。
そもそも、男にこの関係を望むことがおかしいんじゃないか。
「好き」のその言葉に騙されているんじゃないかと思う。
意味なんて無限大に広がるんだ。
「(先輩として)好き」
「(sex friendsとして)好き」
まだまだ意味なんて広がっていく。ただ自分が都合のいいように理解しただけ。
それでもその「好き」の言葉の意味に騙されて、好きになってしまったんだから。
「好き」さえ言えば、身体を繋ぐことを許してしまうんだろうか。
最近はその「好き」さえなくて、ただ互いの身体を繋ぐだけ。
「(あなたが)好き」が欲しくて、その言葉の意味が聞きたくて、身体を開くことを許してしまう。
この感情の意味はなんだ?
男女の「好き」のように、本能的に惹かれ合うものではなく。
きっとそこには純粋な気持ちなどではなく、どす黒い利潤を求めようとする感情があるんだろう。
この関係を望んだわけじゃない。むしろ、望んでなどいなかった。
純粋に、どんな意味が隠されていたとしても「好き」と言ってくれた気持ちは嬉しかった。
出来ることなら、男女の恋愛のように身体を繋いでいたとしても、どこか清い関係になりたいのだ。
利潤や利益を求めるのではなく、「好き」の言葉を素直に信じられるような。
この生産性のない関係に、純粋な気持ちを求めるのは無理なんだろうか?
なぁ。
教えろよ?
04,10,13
作品名:この関係の虚しさに気付いてしまったら終わりだ。 作家名:夏見冬夜