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未来福音 序 / Zero―欠けてなお―

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私は瓶倉光溜という男が嫌いだ。
 九月に突然定時制高校にやってきたその男は、生きることを諦めていた。
 まるで自分には未来がないかのように、何事にも心を動かさず、何事につけても自分というものを出そうとしない。きっとあいつに人生とは何かと問えば、
「無意味な役割を与えられた三文芝居」
 とでも答えるだろう。
 そんなつまらない男が私に関心を向け始めたことは、カナブンが入り込んだ靴下に足を突っ込んだ時よりはるかに不快だった。
 きっかけは、教室で起きた、下らない、本当に下らない些事。
 前々から頭の悪さならこの教室で一二を争えるなと思っていた、二人の男子が私にちょっかいを出してきた。まあ、それ自体は最悪だったのだが、私が吃りであることをいじる人間は山ほどいたし、こちらが反応することこそ向こうの望む行為だと理解していたので、無視を決め込むつもりだった。
 だけど、私は母のこととなるとつい見境なくなってしまう。瓶倉ではないが、私だってこの世界に対して夢や希望を抱けるほどのメルヘン思考じゃない。そんな私がこの世で唯一、愛し、憐れみ、敬い、憎む存在がいるとすれば、それは私の母なのだ。
 確かに、母は下らない男に捕まってしまったと思う。ロクに働きもせず、ギャンブルと酒に溺れる典型的なクズに引っかかったことについては、母に何の責任の所在もないかといえばそうではないだろう。だが、それを非難できるとすれば、外部の人間だけだ。母の娘である私は、同時に父の娘でもある。私にはクズの血が流れているのだ。そのことに思い至ったときには、自分の血液を全て抜き出して代わりにトマトジュースでも入れてしまいたいと切に思った。
 だが、人はあやまちを犯す生き物だ。人の価値を計るなら、あやまちを犯した後の行動を見よ、とはよく言ったものだ。母は男のもとから決死の覚悟で逃げ出した。そうして、今は昼夜問わず働いている。昼はスーパーマーケットでパート。夜はクラブでホステス。それも、全て娘である私のためだ。
 母はクズである私を愛してくれた。認めてくれた。吃りでも頑張って生きるあんたは立派だと言ってくれた。外では吃りでいじめられ、家でも父の暴言と暴行に晒されていた私は、母によって救われていた。
 私を悪く言うのは構わない。けれど、母を悪く言うのは許せない。みぞおち辺りから熱いものが込み上げて頭を沸騰させる。気がつけば、私は男子の一人を組み伏せてカッターを突きつけていた。自分でも本当に刺すつもりがあったのかは定かでないが、脅しとしては十分で、男子二人はすっかり尻尾を巻いてくれた。
 この騒動以来、私に関わろうとする者はいなくなった。にも関わらず、やたらと私を注視する人間がいた。
それが、瓶倉光溜だ。本人はバレないようにこちらを窺っていたようだが、これまでの生い立ち上、私は人の視線には敏感になっている。アイツの視線にはすぐ気づいた。
 この学校には変わった人間が多い。誰もが避けようとする人間に、自分だけはお前を理解できると根拠の無い自信を持って近づく人間もいる。はじめは、瓶倉のことをそういう手合だと思っていた。だから、猫の晩餐会を見られた時には運の悪さを嘆いた。まさか、帰る方向が同じだったとは!
 すっかり動転した私は、瓶倉の前で失態を演じた。ごまかすために、する気もない挨拶までした。振り返ると、多分これがよくなかった。アイツは私の方にも関心があると思ったに違いない。それから瓶倉は、学校でも私に近づこうとしてきた。
 こんな格好のネタを同級生が見逃すはずもなく、すぐに噂が立った。面倒な話になりそうだったので、私は早々に手を打とうと考えた。強めに拒否すれば、この軟派な男のやわな精神を折ることなど造作もないだろうと思った。
 結果的に、瓶倉の心を折ることはできなかった。考えてみれば、誰かとまともに話をするのは久しぶりで、何を話せばいいのかどうにもわからなかった。頭の中では言いたいことがグルグルしているのに、口がそれに応答しない。
ここは一時撤退と立ち去ろうとした私に、アイツはあろうことか私の誕生日を尋ねてきた。なんだかそれまで警戒してきたのが馬鹿みたいで、もうこいつは無視していいだろうと、その日から警戒解除と相成ったわけだ。
警戒を解いたからといって、心を開いたわけではない。私の歯牙にもかけない態度に、しかし瓶倉が懲りることはなかった。相手にされなくなっても、瓶倉は腰巾着のように私の側にいた。何か話しかけてくるわけではない。気を引こうと、奇行に及ぶわけでもない。
瓶倉はただそこに居続けた。何かされても無視しようと決めた相手が、望み通り何もしてこないわけだから、私から何をするわけにもいかない。結果として生じたのは、沈黙の男女という奇妙な光景だった。
正直な話をすると、この関係性は不思議と苦ではなかった。吃りの私にとって、話さずに済むことが楽だったから、ではない。
それだけなら、元々この学校に話す相手がいなかった私にとってはいつもと変わらない。瓶倉は、アイツは、私が吃っても表情一つ変えなかった。より正確には、変えまいとしなかった。
私の愚痴みたいになって恐縮だが、私が吃ると大抵の人はよくわからない笑みを浮かべたりして、何かを誤魔化そうとする。別にあなたが吃ることに負の感情を抱いていませんよ、という意思表示なのだろうと思う。気を使わせておいてこう言うのもなんだが、そんな取り繕いが私は嫌いだった。なんとか平穏を装おうと、力が込められて揺れる表情筋が気持ち悪かった。そうした態度が普通だってわかっているけれど、なんだか鏡を見ているみたいでとても嫌だった。
ただ、瓶倉はその当たり前とは違った。アイツは、なんというか、何も示さなかった。私が吃ろうが吃るまいが、彼の態度は何も変わらなかった。どこを見ているのかわからない目も、押せば簡単に倒れてしまいそうな力ない姿勢も、全てそのまま揺らぐことがなかった。そのことが、有り体に言えば、少し気持ちよかったのだ。
たとえそれが、彼の無関心や諦念によるものでも、私は一向にかまわなかった。
無言という環境が私の心に隙を作ったのか、私の方から瓶倉に話しかけたこともあった。雨降りの日の帰り道、中身の無い会話だったが、珍しく瓶倉が感情を表に出したことを覚えている。未来を知ることができればという私の戯言に、アイツは真面目に答えた。
ああ―――やはりこいつは他の奴らと違う。
この頃、もはや私の中の瓶倉への猜疑心はすっかりと薄れていた。ようやく、友人と呼べる存在が手に入るのかもしれないと、柄にもなく心が昂ぶっていた。

私と瓶倉の友達ごっこは半年間ほど続いた。
ぎこちない関係は悪くなかった。言葉を交わさない日なんて珍しくない。全く、それなら一人でいるのと変わらないはずなのに、それでも私達は一緒にいた。
瓶倉はほとんど自分の話をしなかったから、自然と話題になるのは私にまつわる話だった。
―――だが、いつだって私は遅い。

 言葉を紡ぐことも。
 思いを言葉に置き換えることも。
内なる思いに気づくことも。
私の吃りは全ての過程において現れた。
己の感情の発露に気づくことも遅ければ、他人の感情に対する認識も余りに鈍かった。