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屋根裏部屋の窓から這い出た屋根の上に異界の飛行生物が羽ばたいた風が吹きつけて、よろめいたところを長い腕で引っ張り上げられた。
「大丈夫か、少年」
 よくもまあスーツに似合う革靴で不安定な足場を踏みしめていると思えば、靴底から屋根に氷を根付かせて足場にしている。必殺の特殊能力が地味なところで便利に使われているものだ。
 なんとか掴まれる場所まで登って落ち着くと、眼前に見たことのない景色が広がった。いや、一度か二度ある。突然のトラブルに巻き込まれて落下している最中だとか。こんなにしみじみと眺めるのは初めてだ。
 遠くを見渡すと霧の壁にぶち当たる、限りのあるヘルサレムズロッドの街並み。
 暮れかかる空の不思議な色と街に落ちる陰影に目を奪われて、ほんの一瞬任務でそこにいることを忘れた。その景色を写真に収めたくて。
「すいません、ゲームの開始まであと何分くらいですか?」
「十分はあるな」
 堕落王の気まぐれゲームは突然だ。今回は特別な趣向があるらしく、事前にアナウンスがあって開始時刻を予告された。結末が世界の崩壊に設定されているとわかり切ったゲームの阻止に、秘密結社ライブラは大忙しだ。
 各自の持ち場に散っている。その一つがこの屋根の上。空から始まるという何かを司令塔と一緒に監視する仕事を仰せつかった。今のところはどの方角も平和そのものの絶景だ。
 首から下げて服の内側に入れていたカメラを引っ張り出す。一番きれいだと思った方向にレンズを向けてシャッターを切った。紫がかった夕焼け空に飛行生物のシルエットが横切る、この街でしか見られない景色を。
「相手は堕落王だっていうのに余裕だな」
 責める色なくスティーブンさんが揶揄する。こちらも反省の気持ちのこもらない「すいません」で応じた。
「昔から、高いところに登ったら写真に収めなきゃと思うんすよ」
 インカムで総員配置についた知らせを受け、一旦仕事をやり切った彼にちらりと視線をやると「続けて」と促される。まだ雑談するだけの余裕がある。
「妹が。視力を失う前から足が悪かったんで。車いすで行けるところならどこにだって連れて行きましたけど、さすがに抱いてはしごは登れなかったから、屋根に上がれたのは俺だけだったんすよね」
 羨ましいと言いながら、彼女はそれで落ち込んだりはしなかった。屋根の上の景色は父の肩車より高く刺激的で、そこまで連れてきてやれないことを悔しく思って写真を撮り始めた。なんだって写真に収めれば見せてやれる。
「今は見せることもできないんすけど。習慣で。目が見えるようになったときに写真を山にして押し付けてやろうと思って」
「この間はザップたちのこと撮ってたな」
「男前に撮れってうるさかったっすね」
「その割には内面が隠し切れない顔で写ってたようだがな」
 ジャーナリストである撮影者の腕の賜物である。
「俺にも見せてくれるかい?」
 首から外した愛用のデジカメを快く手渡す。景色ばかり撮影していたカメラも、最近は仲間や友達の写真が増えて賑やかになっている。異形もたくさん写っているから、目が治った妹にいきなり見せたらびっくりするだろう。
 スティーブンさんはカチカチとテンポよく方向キーを押して面白そうに見ていた。メモリを一周する頃に手を止め、
「……俺も撮っていいかな」
 カメラが物珍しいわけでもないだろに、断りを入れてきた。この人でもこの絶景に感動したりするのだと思って頷くと、きれいな空とは反対側にいる僕に向けてシャッターを切った。不意打ちでさぞやアホ面で写ったことだろう。
「な、なんなんすか!急に!」
 慌てふためいた拍子にバランスを崩して、慌てて体勢を立て直す。その最中にも写真を撮られて、起き上がるとすぐに返された。
「折角撮ったんだ。消してくれるなよ?」
 堕落王じゃあるまいし。どんな気まぐれだよ。写真を確認すると、思ったよりはマシな顔だった。空の中にいるかのような開放的な背景のおかげでごまかされているのかもしれない。
「じゃあ、代わりにスティーブンさんも撮っていいですか?」
「もちろん。俺の写真がろくにないなと思ってたところだよ」
 さぁ、と角度を決めて流し目をくれる。そんな風にされるとやり辛いが、ここで撮らないのも具合が悪い。余裕たっぷりのキメ顔を控えめに撮った。
「もっと撮っていいのに」
「むしろ、あんまり撮られたくないタイプかと思ってました」
 なにしろ秘密結社のリーダーの右腕だ。秘密結社の割に派手に暴れ回っている組織ではあるが、頭脳派というポジショニングのお蔭かザップさんなんかよりはよっぽど日陰の人だ。少しでも個人情報を持ち出されたくないというこだわりを持っていてもおかしくない。
「誰でも自由に撮っていいとは言わないが、愛する妹に見せたいという理由だったら積極的に協力するさ」
 頼んでないですけど。
 答えようとしたとき、霧の天井にいくつかの光が星のようにまたたいた。
「きます!」
 通常の目には正体の掴めない落下物を特別な眼で視認してインカムに叫ぶ。同時に落下地点を予測したスティーブンさんが指示を飛ばし、僕を小脇に抱えて屋根を滑り降りた。こんなの打ち合わせになかった。予想はあったけど。
 命綱なしで地上の人がゴミクズのような高さから落下したと思えば氷で吸着させた外壁を駆けおりる。
 頭脳派だなどと言っても、この人も所詮超人変人精鋭部隊ライブラの一員なのである。
 喉がかれるほど悲鳴を上げて、やっとケリが着いた頃にはボロボロだった。お互いに。
「写真を撮っておいてあげようか」
 親切な上司の申し出を辞退して代わりにカメラを向けた。残念ながら男前は多少ボロボロで瓦礫の中にいても絵になる。悔しいことに。
「いいのが撮れたら遠慮なくミシェーラ嬢に見せてくれ。こんな仲間と世界のために戦ってたんだぞ、ってな」
 ファインダーの中の背景に、倒壊した建築物とスクラップになった車両の間から人類なのか異界人なのかもわからない誰かの腕から先がはみ出しているのを見つけた。この街によくある風景の一部として。
 この街では弱い者から死んでいく。弱者ながら僕が無傷なのはこの人に庇われていたからだ。
 ほんの数十分前に屋根の上から眺めた景色の一部は早速様変わりしている。
 今同じ場所でシャッターを切ったら別の景色が写るだろう。
 一度はピントを合わせたカメラのシャッターを切らないままで下ろし、服の中にしまい込んだ。
「なんだ、撮らないのか?」
「はい。どうせ目が治ったら直接会わせますから、その時に顔なんかいくらでも見れるでしょ」
 そっけなく言うと、彼はちょっと眉を上げて「それもそうだな」と笑った。
 撤収作業の合間に確かめたカメラの中には、鏡で見るのとは違った、他人の目を通した自分の間抜けな顔があった。
作品名:Photo 作家名:3丁目