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一週間フレンズ 桐生将吾と山岸沙希~追憶~

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「おい、山岸、筆箱忘れてるぞ。」
 教室移動の際、クラスメイトたちがぞろぞろと教室を出る中、将吾がいつもの気怠げで無機質な声で沙希に呼びかけた。
「えー。あーほんとだー。なんか私だけ持ち物少ないかなーと思ってたんだー。えへへ。ありがとう。えーと、クラスの人ですかあ?」
「ああ。」
 クラスメイトの名前を覚えていないというのは、少し異常なことのように思えるが、山岸沙希を知っている人間にとってはそれは普通のことであり、慣れていることだった。
 将吾もこれまでに沙希と一緒にいることは割とあったので、名前を覚えられていないということに怒りは全く覚えなかった。
 怒っているような口調は将吾のデフォルトだ。
 名前を覚えられていなかったことに対して怒りは感じなかったが、少しだけ寂しさはあった。それは沙希と将吾が、ただのクラスメイトという関係ではなかったからだ。沙希は覚えていないようだが、2人は小学校も同じで、小学6年生の時には同じクラスだったのだ。
 そして将吾にとっては、そのことはただの客観的事実ではなく、いくつかの思い出もあった。
 あいつは覚えてないんだな…
 小走りで友達を追いかけていく沙希の後ろ姿を目で追っていると、ふと小学生の時の記憶がよみがえってきた。
 
 キーン、コーン、カーン、コーン。…ガララ。
 チャイムが鳴ると、すぐさま教室を出る姿があった。将吾は一番後ろの席で、ドアから一番近い席に座っていたので、振り返ってその後ろ姿を目で追った。
 肩にかかるくらいの少し長い髪を揺らして走るその少女は、まるで自分を脅かすものから逃げるように、それを見たくないというように、目を伏せながらぱたぱたと廊下を走り、階段へ続く曲がり角へと姿を消した。
 あれは確か…山岸…だったか?
 将吾は普段人とつるむタイプではなかったが、クラスメイトの顔と名前は認識していたし、覚えていないやつはいなかった。
 しかし沙希の名前がパッと出てこなかったのは、彼女がおとなしく、目立たない子だったからだ。いつも少し下を向いていて、顔は髪で隠れており、友達と話しているところは見たことがなかった。
 将吾が言えたことではないが、少し暗い子だという印象しか、思いつかなかった。もちろん笑顔は見たことがなかった。
 だからといって嫌いだったということはない。
 普段から人を好き嫌いという基準で選り分けたことはなかったし、人と話さないことが、その人間を悪いやつ、嫌なやつだと決定づける根拠にはなり得ない。
 自分も帰ろうと思い鞄に教科書と筆箱をしまい、立ち上がった。その時なんともなしに、将吾の2つ前の、沙希の机が目に入った。そこには薄い赤の筆箱が残っていた。
 忘れていったのか。
 今時の女子が使うにしては、控えめな色だと思った。
 普通の小学生の女子というのは、蛍光色のようなピンクといった、派手な色を好むものだ。
 現にクラスの女子の3分の2はそういう色の持ち物や服装で身を固めていた。
 それに比べると、沙希の筆箱は随分地味な色合いだ。まるでできるだけ自分を周りの目から隠そうとしているようだった。
 めんどいけど、持っていってやるか…
 ランドセルを背負い、1人で教室を出た。
 沙希の家は、将吾の家から学校に行く道のりの途中にあった。
 何度か沙希が家を出るところを朝に見かけたことがあったので家は知っていた。
 でも声をかけようと思ったことはない。別に親しいわけでもなかったし、朝から人と話すのなんてかったるい。
 学校を出て5分ほど出て沙希の家に着いた。インターホンを押す。
「はい?」
「あー、山岸さんのクラスメイトの者です。山岸さん、帰る時筆箱忘れてったんで。」
「あらあら、それはご親切に。ちょっと上がってかない?美味しいケーキがあるの。食べてって。」
「いや、そういうの大丈夫なんで。ただ筆箱届けに来ただけで…」
「いいからいいから。さ、早く上がって。鍵は開いてるから。」
「…わかりました。」
 インターホンに出た沙希の母親の声は、おっとりした声で、とても明るそうな印象を受けた。それにとてもマイペースだ。
 沙希とは似ていないと思った。沙希の声はいつも小さくて、元気に話しているのは聞いたことがなかった。
「おじゃまします。」
「はい、いらっしゃい。」
 沙希の母親は手を後ろで組み、ニコニコして将吾を出迎えた。
 中に入ると、玄関の脇の靴箱には靴が綺麗に揃えられて置いてあり、リビングのテーブルの上にはおしゃれな小物があったりして、とても清潔な感じがした。
「ちょっとリビングで待っててね。沙希を呼んでくるから。」
 そう言って彼女は2階に沙希をよびにいった。
 
 
「ごめんねー、お待たせしちゃって。」
 そう言いながら山岸母がリビングのドアを開けて入ってきた。
「沙希がちょっと恥ずかしがっててね。お礼を言うように言ったから、すぐ降りてくると思うよ。ケーキでも食べて待ってて。今紅茶も出すからね。」
 その顔は相変わらず笑顔だったが、さっき見たよりは少し小さい笑顔に見えた。
 特に山岸母と話すこともなかったので、将吾は黙々とケーキを食べた。
 すぐ来ると言ったわりに、沙希は降りてこない。とうとうケーキを食べ終えてしまった。
 2人とも黙っているので、どうにも気まずい空気が流れた。その沈黙に耐えかねたのか、山岸母が立ち上がった。
「あれ〜、ごめんね。沙希どうしちゃったのかなー。ちょっともう一回呼んでくるね。」
「いや、わざわざ無理に呼ぶ必要もないんで。俺、そろそろ帰ります。」
 どちらにしろ、彼女がきたところで、会話が弾むとも思えない。
「そっか。ほんとにごめんね。あとで明日学校でお礼言うように言っとくから。今日は沙希のためにどうもありがとう。」
 山岸母は微笑んでいるとも困っているとも言える笑顔で言った。
 それじゃ、と挨拶をして将吾は外に出た。数歩歩いたところで、上の方から微かに声が聞こえた。
「あの…あ、ありがとう…。」
 振り返って沙希の家の2階の窓を見上げると、窓に手をかけ、ほとんど隠れるようにして顔を覗かせている沙希の姿があった。少し怖がっているように見えた。
「ああ。」
 それだけ返事をして、将吾は前を向いて歩き出した。
 初めて沙希の顔をちゃんと見た。暗いというイメージとは違い、思っていたより可愛いらしく、明るそうな顔をしていた。
 顔、もっと見せればいいのに。
 将吾の呟きは、さっと顔を引っ込めた沙希の耳には届かなかった。