初夏の風
扉を開けて入って来た人物を見て元就の神経質そうな眉が寄る。
彼のその表情を見て取ったその人物もすぐに不快の色を露わにし、苛立った舌打ちをこれ見よがしにした。
元就のいる音楽室に入ってきたのは隣のクラスの長曾我部元親である。
授業が始まっていると言うのに音楽室に何の用なのか。
それを言ったら元就も同じなのだが、元親が体育の授業をサボる理由が見当たらなかった。
「あんたも授業サボりか」
ポケットに片手を突っ込んだダラダラした態度で元就のそばに歩み寄ると元親は隣の席の椅子を引き出してドカッと座った。
何故隣に座るのか。
元親のすることが何もかも気に障ってしまう元就は彼を横目で睨んで鬱陶しいと小声で文句を言った。
「何か言ったか」
「……何をしに参ったのだ。授業に出て来れば良いだろうが」
「あんたこそ。次は合同じゃねえか。さっさと着替えてグラウンド行けよ」
「貴様が行け」
「俺はサボると決めたんだ。行かねえよ」
言い切ると元親はくわあと欠伸をして寝心地いい姿勢を探り出す。
寝るなら保健室で寝れば良いものを、と思うのだが、それは元就も同じ事である。
そもそも元親と顔を合わせたくなくて合同授業をサボったと言うのにこんなところで彼と出会してしまうとは。
サボった意味がまるでなかった。
「あんたいっつも真面目に勉強してんのな」
机の上に広げた元就の数学の参考書を見て元親が呆れた呻きを上げる。
「寝るのではなかったのか」
「あんたに俺のキュートな寝顔見られたくないだろ」
「……百万円積まれても見ぬから安心するが良い」
「よだれ垂らして寝ないとも限らねえしな」
「だから、見ないと申しておろうが」
カラカラと豪快に笑う。
この男の馴れ馴れしさが元就は本当に嫌いだった。
「二十分経ったら起こしてくれ」
「知らぬ。と言うか目障りだ」
「おやすみ」
「………」
死ね、と心の中で呪詛を吐いて、参考書に意識を戻す。
文字を目で追うが文章が頭に入って来ずに苛々した。
参ったな、と頬杖をつきながら壁の時計を見上げる。
今から二十分後と言うと十一時ちょうどぐらいか、と無意識に時間を数えながら、何をしてるんだとはたと気付いて一人でわたわたと慌てる。
元親の頼みなど聞く気もないのだ。
もう一度死ねと呟きながら隣の彼をこっそり横目で見るとさっき喋っていたばかりなのに元親はもう熟睡していた。
涎はさすがに垂らしていないが軽い鼾を立てている。
「……貴様」
わなわなとシャープペンシルを握り締め、また「死ね」と呪詛を四回程繰り返し、それでも飽きたらずに頭の中で元親に散々制裁を加えた。
「…………」
それにしても良く寝る。
起きていれば煩い男だが、寝ている姿は静かなものだ。
彫りの深い目鼻立ちに目が止まる。
心臓が疼いた自分の反応が信じられず、元就は彼から慌てて視線を逸らし、勉強に戻ろうと参考書の文章を何度も読み返し、意識を集中させようと努力した。
「……目障りな男め」
シャープペンシルの端を唇に押し当てながら溜め息を吐く。
元親が座っている右側の半身に意識が集中して勉強どころじゃなかった。
横目で彼をまたこっそりと盗み見る。
彼が瞼を閉じているのをいいことに顔の造形を観察した。
元就の口元がほっこりと緩んだが、彼以外それを見咎める者はいない。
惰眠を貪る元親の寝顔を安心して眺めながら、机の上で頬杖をついた。
end
20150711