そだちドリーム 001
一千万分の一。
この数字の意味するところは、つまり、今年の秋の宝くじを一枚購入した場合に、その一枚が一等に当選する確率らしい。
一億三千万枚の限定販売で、一等の本数は十三本。
一枚の宝くじの持つ、一等への可能性は、いずれも美しく一千万分の一の確率になる。
等しく、平等に。
人間という素晴らしくて馬鹿馬鹿しい生き物に誕生し、たった十八年(十八年“も”なのかな?)生きてきた。
歩き続けてきた。突っ走ってきた。
けれど実際にはもしかしたら、生まれたときのまま、その場でジタバタ手足を藻掻いているだけなのかもしれない。
そう思ってしまうほど。
私は運のない人生を送ってきたと思う。
石を積んでは鬼に崩され、また積んでは崩されるのを繰り返す、地獄の河原みたいな人生だ。
たとえ鬼でも傍にいてくれるだけ、私の人生よりも地獄の方がずっとマシなんじゃないかとすら思える。
報われない。本当に。
これも全て阿良々木暦のせいだ。
阿良々木が私の積んだ石をせっせと崩すから、私の人生は報われない。悪い意味でばかり、報われる。
――報いに、遭う。
阿良々木。私は阿良々木暦を決して許さない。そして、これからも許すことはないだろう。
たとえ阿良々木が私の目の前に現れて、土下座をして雨に濡れた子犬のような潤んだ瞳で、私に許しを懇願してきても。
私の靴に額をすり合わせて、ごめんなさい育様、と一億回言っても、一極回言っても。
それでも私が阿良々木を許すことはない。
その確率は、宝くじの一等が当たる確率よりも、ずっと低い。
だって、その可能性はゼロなんだから。
私が阿良々木を許す日はこない。永遠に。
阿良々木は、私の嫌いの対象であってくれれば、それでいい。ずっと、私の心から消えずに、嫌いの象徴として、憎悪の偶像として、存在していればいい。
阿良々木のことを考えているだけでなんだかイライラしてきた。勝手に心の中に登場させて、勝手にイラついて、我ながら馬鹿みたいだとは思う。
あらためて。
宝くじ売り場に目を向ける。
オータムジャンボ発売開始と書かれたのぼりや、最大5億円と書かれたのぼりが風に揺れている。発売初日らしく、人が行列を成している。
線形代数学の行列は美しいのに、どうして人の作る行列はこんなにも醜く見えるのだろう。
……きっと、私の心が醜いからだ。
列に並んだ人の顔を眺めてみる。くたびれたサラリーマン風のおじさん、派手な虎柄の服を着たおばさん、不良っぽい若い男女のカップル、腰の曲がったおじいさん。
みんなそれぞれ、希望に満ちた顔をしている。欲に目が眩んだ顔、ともいうのかもしれない。
その表情から、一発当ててやろうという邪念が見え透いてしまうから、きっと醜く見えてしまうんだと思う。嫌悪してしまうんだと思う。
まるで、鏡みたいだから。
私も、あんな顔をしてしまっているんだろうな、と思ってしまうから。
宝くじ売り場から手元に目線を移して、1枚の紙切れを見てみる。
『全国自治宝くじ』と書かれている。
……既に買ってしまっていた。
誰よりも欲望に憑かれた心で。
あそこに並んでいる誰よりも早く、買ってしまっていた。
だって。
日ごろの運動不足を解消するために、脚の形が綺麗になるというウォーキングを試しながら(私だって女の子なんだよ)散歩をしている途中で、宝くじ発売開始ののぼりを搬入しているところに遭遇したら、誰だって運命だって思ってしまう。今こそ買い時、今並ばずにいつ並ぶのという感じだ。
一時間も並んでようやく買えた一枚に、夢を見て何が悪い。
夢を見るのは自由だ。夢を見る権利が憲法に明文化されていないのがおかしいとすら思う。内心の自由と夢を見る権利は別だ。何を考えていてもそれを表に出さなければいいですよ、なんてものは、存在しないのと同じだ。だって人が何を考えているかなんて所詮、他人には分かりはしないのだから。
でもまあ、夢を見たところで逮捕されるわけでもないのだから、一応誰にでも夢を見る権利くらいはあるんだろう。不文律的に権利が認められていて、不文律的に権利は剥奪されているんだろう。
そんなことはどうでもよくて(いいのかよ)、それにしても並び疲れた。私は運動部に所属しているわけでもなければ、恵まれた頑丈な身体っていうわけでもないから、体力は人並み以上に無い自信がある。だから、一時間も並ぶのは私にとってはそれだけで一大イベント足り得た。
そもそも、私が住んでいるところは、都心なんかと比べたら随分と田舎なので、そのくらいの並び時間で発売開始一枚目のくじを買うことが出来たけれど、有名な売り場なんかだと、もっとずっと長い時間を並ばないと買えないと聞いたことがある。
そう考えると、この時点で相当なラッキーである。
宝くじの発売日を知らずに散歩の途中で偶然宝くじ売り場を発見し、発売日を示すのぼりの搬入に遭遇し、まだ誰も並んでおらず、宝くじを買おうと決心をする確率ってどのくらいなんだろう。
なんだか自分が、とてつもない幸運の持ち主なのではないかという気さえしてくる。
今までの私の人生が不運の連続だったことも、不幸の大行列だったことも、なんだかこの宝くじが大当たりする布石だったんじゃないかと思えてならない。
よく考えてみたら、ここまで不幸な人生を送っている人って、この国にどのくらいいるんだろう。日本の人口がおよそ一億人だとして、十人いるかいないか、といったところなんじゃないだろうか。
一千万分の一。
そのくらいの不幸体質確率。
不幸体質確率の定義がよく分からないけれど。
でも、きっとそのくらい私は不幸だと思う。ここまで不幸なのに、よくもまあ自殺もせずに、出来ずに、生きてきて偉いなと思う。
愚かだな、とも思う。
生き続けることは、不幸なことだ。
それも、やっと、報われる時が来た。
私の不幸体質確率と同じ、一千万分の一という確率。宝くじの、一等が当たる確率。
ああ。
――絶対、当たる。当たっちゃうよこれ。
作品名:そだちドリーム 001 作家名:冬野祭火