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未来福音 序 / Zero―邂逅―

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その日はよく晴れていた。
 無視してもよかった。
素性もよくわからない男から紹介された人間が俺の心を救うなんて、夢物語もいいところだ。それでもここに来てしまったのは、黒桐幹也のあの人柄と、俺の心のどこかに潜む変化を望む思いと、名刺の裏に書かれた場所の奇妙さが合わさった結果だ。
「ここで合ってる・・・・・・よな」
 正面から見ると、その建物はL字をしていた。
 本棟と別棟が隣合わせとなったその建物の横をなだらかな坂道が走っている。その坂の上からは、建物が馬鹿に広いことがよくわかった。
『観布子病院』
建物の最上階にあたる壁面に、そう書かれていた。
そう、ここは市内でも最大級の病院だ。
黒桐幹也の名刺には、ここの住所は記されていたが、病院名は書かれていなかった。ただ番地の後に部屋番号と思しき三桁の数字が並んでいたので、てっきりマンションか何かだと思い込んでいた。ただの気まぐれで、建物だけ確認してすぐ帰るつもりだった。
ところが、ここに向かう途中に見かけた救急車が、まさに自分の目的地に停車したものだから、欠片ほどもないと思っていた俺の好奇心が少し首をもたげた。
一体ここに誰がいるというのか。病室を指定された以上、その人物は患者に違いないわけだが、皆目見当もつかなかった。

『水原真鮎』
四一五号室の病室のネームプレートにはそう書かれていた。知らない名だった。
引き戸に手をかけると、扉は滑るように軽く動き、その向こうから光が漏れた。その眩しさに目が眩んだ。
窓際に取り付けられた銀色の手すりに反射した太陽の光のせいだ。だが、それにしてもこの部屋は明るすぎた。部屋の全てが白く塗りつぶされているのではないかと錯覚したほどだ。実際には、調度品はメープル色をしていたし、カーテンも淡いクリーム色をしていたので、無論そんなものは気のせいにすぎなかった。
件の人物は、部屋の奥にいるに違いないと思い、恐る恐る、光を湛えたその部屋に足を踏み入れた。その先に―――
純白の空間を損なうことなく、その人物はベッドに抱かれて眠っていた。
これまた、一点の曇りもない真っ白な服を着て、色素の薄い、透き通るような白い肌をしたその少年を目にした後では、さらにこの部屋の輝度が増したように思えた。
 まるで、一枚の巨大な名画を前にした気分だ。もし、本当にこれほど多幸感に満ちた穢れない絵画を描けるとしたら、それは余程熟達した画家に違いない。
 それすなわち、今ここにいる俺こそがこの部屋の穢れだった。無垢な空間に突如侵入した異物に反応したかのように、音を立てたわけでもないのに少年が目覚めた。
「あ、もしかして君が、介護の人?」
 ぎょっとして動けない俺に、少年は有り得ない問いかけをした。
「は?」
 今この少年は何と言ったんだ?
「あー、すっかり寝ちゃった。コクトーさんも言ってたけどかなり若いね、お兄さん」
 ベッドから上半身を起こして伸びをした少年は、俺を見てそう言った。
「待て、あんた俺を誰かと勘違いしてないか?」
 俺を救えるとかほざく誰かさんに会いに来たんだ。それが、どうして病人の介護をすることになる。本末転倒もいいところだ。
「ん? 君、瓶倉光溜さんじゃないの?」
 純真な瞳が不思議そうに見つめる。正視に耐えない。
「確かに俺は瓶倉光溜だ。だが、俺はあんたの介護に来たわけじゃない。俺は―――」
 救われに来た、なんて情けない台詞がどうして吐けるだろう。
「ほら、やっぱり。近々、うだつの上がらない好青年が君の介護に嫌々やってくるって。コクトーさんが言ってた通りだ!」
 なるほど、あの黒桐ってやつ、ああ見えて随分と狡知に長けるらしい。
「そうか。残念だけどあんたの期待には応えられない。生憎と、人の面倒見るほどの度量の持ち主じゃないんでね。恨むなら、黒桐幹也を恨んでくれ」
 そう言って病室を後にしようとした。
 が。
「あ、待って。って、っとっとっとっと、うわっ」
 後ろで盛大に鈍い音がした。振り返れば、そこには無様にもベッドから転げ落ちた少年の姿があった。
「あたー、やっちゃった」
 ニヘラと笑いながらへたり込んだ水原は、ベッドに戻ろうという素振りも見せない。
「あんた・・・・・・」
 なぜ今の今まで気づかなかったのか。ベッドの側には折りたたまれた車椅子があった。
 同情、なのだろうか。地べたに屈しながら、自身の迂闊さを隠す照れ笑いを浮かべる様に、憐れみを感じなかったと言えば嘘になる。だが、そこには他の感情も入り混じっていた。
 そう、つい手を差し伸べたくなるような、水原が纏った陽だまりのような安堵感に、きっと俺は絆されたのだろう。
 俺が差し出した手を、水原は躊躇いなく掴んだ。そこまではよかった。
「ありがとう。折角の好意を台無しにするみたいで申し訳ないんだけど、手を掴んでもらっても、僕足が動かないから立てないんだ」
 水原はアハハと力なく笑った。
 顔が熱くなる。好意や善意から取った行動が空転すると、これほど恥ずかしいとは知らなかった。恥ずかしさは、しかし怒りに変わることはなかった。水原の屈託ない笑顔を見ていると、とてもそんな気分にはならなかった。
「すまない、俺には、やり方がわからない」
 ただ、自分の無力さを痛感する。これまで誰かを助けようなんて考えたこともなかった。今思えば、あの力を誰かを救うということに使うことだってできた。光沢とだって、もう少し上手くやれたはずだ。
 ああ、どうすればいい。俺は、どうすれば―――
「そりゃそうだよ。だって、知らないんだから」
 水原は、そう言って、また笑った。
 何を当たり前のことを言ってるんだ、と。
「一つ一つ覚えればいいよ。ほら、僕が言うとおりやってみて」
「……ああ」
 俺がそうつぶやくと、水原は何がそんなに嬉しいのか人懐っこい笑顔を浮かべた。
 俺は言われたとおりにした。
水原の脇に手を差し込み、体をこちらにもたせかけるようにして持ち上げる。脇だけで支えられるのか不安で、つい背中に手を回してしまう。自然と互いの体が密着した。だが、恥ずかしさ以上に、なんとかやり遂げようという思いが心を支配していた。
 そして体は熱を感じていた。それまで透き通る硝子のようだと思っていたのに、支えた水原の体は、確かに血の通った熱を帯びていた。
 人肌の温もりに触れたのは、これが初めてだった。