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アトウンメント

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『お前に言ったんじゃねぇよ。』

そう言って、仔太郎が犬っころを撫でながら皮肉気な顔で笑う。

この幼子は自分の真似をして、冗談の心算でその言葉を口にしたに違いない。
しかし名無しは、それが本心だったら…と、心の何処かで願っていた。





長らく戦場に身を置いていた所為か、名無しには自分の身体の状態が手に取るように解った。
だからこそ、今、彼の戦いで負った傷痕に、彼自身が驚いていた。
これまで幾多の死線を潜り抜けてきたが、ここまで深手を負ったのは初めてだ。
それ以前に、苦戦を強いられた事さえ、数える程だったのだ。

必死に顔には出さないようにしているものの、少しでも気を抜けば持って行かれそうな意識の境で、名無しはぼんやりと辺りを見回した。
死屍累々とした瓦礫の山。彼方此方で上がる焔。立ち篭める死臭。
このままここで朽ち果てるのも悪くはない。
むしろ今まで自分のしてきた事を思えば、それが分相応ではないか。
そんな事を考えた。

その時、不意に甲高い声が鼓膜を揺らし、名無しを現実へと引き戻す。
「ほらっ、こんな所に居たってしょうがねえ。さっさと行こうぜ。」
声の方へと目を遣れば、自分の半分程の身の丈しかない幼子が、不自然な笑みを浮かべながら名無しを見つめている。
信頼する者に裏切られ、つい先刻まで異人に捕われていた挙句、自らの死の淵を目の当たりにした子供。
その心には、恐怖の色が深く刻まれているに違いない。
だが、それでもこの幼子は、気丈にも名無しに笑顔を向ける。
追う者が居なくなったとしても、身寄りも無く、行く宛も先立つ物も無い。そんな身の上のこの子にしてみれば、例え付き合いは長くなくとも、名無しは既に仲間の様な存在だと感じているのかもしれない。
それを思えば、不用意な事を、今この場で言い出す事は出来ないと思った。

もし仮にこの子と一緒に行くとして、どれ程自分は持つだろうか。
一日か、半日か。或いは一刻にも満たないかもしれない。
自分の身体が、それ程に逼迫した状態だと名無しには解っていた。
一緒に行く事で、余計にこの子を傷付ける事になるかもしれない。
そうも考えた。
だが、今ここでこの子に別れを告げる事は、あの戦場で、藩主の子を手に掛けたのと同じ事のような気がした。
恐怖と不安に慄く子供を、この手で突き放す。
そんな事を、自分はまた繰り返そうというのか。



名無しは逡巡した後に、答える。
「ああ、そうだな。」
その言葉に、目の前の子供の表情が僅かに緩むのが解った。
それだけで名無しは、多少救われる様な心持ちがした。
それが只の自己満足だと知りつつも…
作品名:アトウンメント 作家名:akr