Helter Skelter
あ、また来てる。
ちらりと見えた客の姿に、フェリシアーノ・ヴァルガスはそんなことを思った。同僚から頼まれてちょっとしたお使いを熟してきた、その帰り道でのことである。エレベーターホールから長身の男と華奢な女が歩いてくる。女の方は余り記憶にないが、男の方は強く記憶に残っていた。
白金の髪に赤みの強い紫の瞳。肌の色も女顔負けに白く、元々色素が薄いのだと知れる。それだけでも十分に存在感を発揮する姿であるのだが、男は服装で更にそれを加速させていた。この界隈で間違なくトップクラスと言われているレストランには不似合いな程の──派手なスーツ。趣味は決して悪くないのだが、着熟しが如何にもホストだ。というか実際に、そうなのだろう。彼は見る度に違う女を連れている。
店の入口に辿り着くのは、どうやら彼らと同じ頃合になりそうだ。フェリシアーノは少しだけ歩調を速め、入口の脇でぴたりと止まる。そして丁度店の前に辿り着いた二人に向かって腰を折った。
「いらっしゃいませ。いつも有難う御座います」
「…、お前この前鍵届けてくれた奴だろ? 助かったぜ」
ありがとな、さらりと言われて、フェリシアーノはついまじまじと顔を見つめてしまった。
確かに以前、彼を追い掛けていって席に忘れられていた鍵を渡したことがある。たまたま手が空いていたから買って出たのだ。幸運なことに彼はエレベーターが上がってくるのを待っているところで、すぐに追い付くことが出来た。帰ってしまっていなくてよかったと胸を撫で下ろしたものだ。
そんなことがあったとはいえ、まさか厨房に引っ込んでいることが多い自分を覚えているとは。元来感情を素直に現わしてしまう性質の為、フェリシアーノは驚きを隠すことが出来ない。頑張って表情筋を平素のように保とうとするのだが、真面目な顔になるのはなかなか難しかった。
そんなフェリシアーノを訝る風もなく、男は女をエスコートして店内に消えていく。その背中を見送って、フェリシアーノはほぅと息を吐いた。さて自分も厨房に戻らなくてはならないなと思った、その時。店内から足早にやって来る、これまた長身の人影をフェリシアーノの目は捉えた。
足早に近付いてくる、制服の黒タキシードをきちりと身に纏っている彼の名は、ルートヴィッヒと言う。フェリシアーノの高校時代の級友だ。強面のせいでまるでマフィアの様相を呈しているが、これでも歴としたウェイター、そして同い年である。
「あ、ルート。ねぇねぇあの人また来てるんだねー」
「あの人? あぁ、あの客のことか」
ルートヴィッヒの視線が滑り、窓際の席に着いている男に向けられる。直接接する機会が多い彼は、フェリシアーノよりもよく男のことを覚えているのだろう。その顔にはうんざりしたような表情さえ浮かんでいる。
店に出ている時にルートヴィッヒが感情を表に出すのは珍しいことだ。普段も起伏が激しい方ではない為、余計に珍事に見える。
何か嫌なことでもあったのだろうか。
男は悪い人間には見えないが、ルートヴィッヒと反りが合わなさそうだ。何気なく掛けられた言葉に気を害されたのかもしれない。それとも単に、私生活で問題でも起こったのか。
もしや友達の一大事では。真面目に考え込むフェリシアーノの頭を、ルートヴィッヒが軽く小突いた。
「というか、どこに行っていたんだお前は…使いにやったらなかなか帰ってこないと厨房の連中がぼやいていたぞ」
「ヴェッ? そうだ俺今日ドルチェ任されてたんだった…!」
「こら走るんじゃない!」
うっかり自分の役目を綺麗さっぱり忘れてしまっていた。フェリシアーノは慌てて厨房に駆け込む。抑えたルートヴィッヒの怒声が背中を追い掛けてきたが、聞こえなかったことにしておいた。その方が何かと都合がいい。後でしこたま怒られそうだけれど。
完全に厨房に引っ込む前に、ちらりと客席に視線を投げる。そこではやはり悪目立ちしているあの男が、連れの女ではない誰かを熱心に見つめていた。
作品名:Helter Skelter 作家名:久住@ついった厨