敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女
南極点
ヒビ割れた地面に黒い点が見え、それがみるみる大きくなる。まるでゴキブリか何かの虫のようだった。黒い虫が猛烈な速さで地を這い進んでいるように見える。
虫ではない。それは影だ。自分の影。〈ゼロ〉の影。古代が〈ゼロ〉で遠い太陽を背にするように冥王星の地表に近づき、もはや機体が落とす影が白夜の地にクッキリと映って見えるようになったのだった。古代は機を水平にし、周囲に広がる冥王星の光景を見た。
太陽はほぼ真上にあり、地平に下弦(かげん)の半月としてカロンが見える。冥王星の南極点すぐ上空に古代はいた。
22世紀末の現在、冥王星の南半球は夏の盛りだ。この星では極地こそが最も〈暑い〉夏の中心。古代はそこにいま辿り着いたのだった。
レーダーマップに目玉焼きのような二重丸。その中心の黄身の部分に、南極点を基点にした蚊取り線香のような渦巻が描かれている。〈ココダ1〉。これから古代が敵基地を探して辿るべきコースだ。
その周りの、目玉焼きで言えば白身の部分に、まるで蛸(たこ)がクルクル回って出来たような八重の渦巻線が赤青黄緑と色分けされて描かれている。タイガー隊のためのコースだ。古代はすでに白夜の周りをグルリと一周してまわり、その渦巻のひとつひとつに八つの隊が取り付いたのを確認していた。加藤以外は顔もろくに知らない部下達。
すまないな、と思う。本当に、おれなんかが隊長で――彼らの背を見送りながら、できるものならそれ全部おれひとりでまわってやりたいと古代は思った。各編隊が路(みち)に着くまで、〈ゼロ〉で後ろを護ってやるしかできないなんて。
下からは対空ビームをひっきりなしに撃ってくるが、〈ゼロ〉のレーダーの探知性能を以(もっ)てすればかいくぐるのはわけもない。そして管制能力でタイガー隊にも弾幕をくぐらせ、それぞれの〈ココダ〉の入口に送るのも――後は各隊のリーダー次第だ。
恐れていたのは敵戦闘機による迎撃――いくら〈ゼロ〉や〈タイガー〉に比べて性能が劣るとは言え、百機が待ち構えていてワッと出てこられたら、基地を探すどころの騒ぎでなくなってしまう。対空ビームを躱すのも当然ままならなくなって、一機二機と殺られておしまい――。
だがそんなことはなかった。これはどういうことだろうと古代は思った。まさか、逃げる船団と一緒に、戦闘機乗りも全員逃げてしまったのか?
まさかな。仮にそうだとしても、無人戦闘機か何かが出迎えてきても良さそうなものだが――。
とりあえずそれもない。ビーム弾幕をくぐってしまえば、後はせいぜい散発的にミサイルがやって来る程度だ。これはさらに避けるのは容易く、ほとんどまっすぐこの極点に到達することができた。
ここがおれの〈ココダ〉の入口――後は九つの渦巻のうち、外の八つをタイガー隊が八巻の少しずつズラして並べた蚊取り線香に火を点けるようにして縁から中心を目指して巡り、おれが真ん中から外に向かってグルグルと回る。そのクジ引きのどこに敵の基地があり、誰がそれを引き当てるかだ。
レーダー像の後方に山本が乗る〈アルファー・ツー〉。そもそもが警戒管制機としての任務をこなすべく造られている〈コスモゼロ〉は、味方の背中を護る能力は〈タイガー〉を大きく上回る。ゆえにアルファー隊は二機でも条件は他と対等と言っていいはずだった。そしてまた、味方を護衛し周囲を警戒、なんて仕事は経験がモノを言うものだから、付け焼刃のおれにこなせるわけがない。だから背中は山本に任せて、おれはただ基地を探して前を見るのに集中する――。
すまないな、とまた思った。何から何まで山本におれは面倒かけっぱなしだ。本当は山本こそが敵基地を叩くミサイルの引き金を引くべき。おれにはそんな資格ありはしないのに。それが昨日はおにぎりまで握らせちまって。
とにかく、今はこの任務を果たすだけだ。地を這うような水平飛行に古代は〈ゼロ〉を移らせた。
途端に機がガクリと揺れた。翼がバタつき、〈ゼロ〉は強風に煽られた雨傘のように機体をもっていかれそうになった。暴れる機の姿勢をどうにか進むべき方向に向かわせながら、古代は、「なんだ、こりゃあ?」と言った。キャノピー窓に砂煙のようなものが叩きつけてくるのがわかる。
「なんだこれ。ガミラスの罠か?」
後ろを見ると、山本機も翼をグラグラ揺らしている。
『極地風でしょう。予想はしていなくもありませんでした』
〈糸電話〉と呼ばれる通信システムで山本の声が入ってきた。微弱な信号を僚機がいる方向にだけ放ち合い、それでやりとりを交わすのだ。近距離でのヒソヒソ通信であるために敵にはまず傍受されないとされている。しかし、
「何風だって?」
『極地風。つまり、何十年も続く白夜で太陽光を地面が浴び続けた結果……』
「ああ、なんか言ってたな」
思い出した。そうだ、確かにそんな警告は受けていた。冥王星の環境では、白夜の極地は炎天下の真夏なのだ。ただし、マイナス二百度の。それでも地球でドライアイスを陽の光にさらしたように、地面から窒素やメタンが気体化して立ち上(のぼ)る。これが極周辺で嵐となって吹き荒れるのだ。地球の南極のブリザードのように――。
とは言っても希薄で弱い気流なのだが、時速何千キロもの速度で飛ぶ〈ゼロ〉の翼はその影響を激しく受けることになる。結果として凄まじい振動。
「まいったな……この中を飛べってのかよ」
『こういうところだからこそ、基地がある可能性も……』
「そうか」と言った。「そうだな」
古代は正面を見据えた。まるで小舟で荒海に乗り出しているように感じた。子供の頃に三浦の海で見かけた波に揉まれるヨット。今はこの〈ゼロ〉があの小さな舟で、おれはあの帆の綱を掴んでいるのだと思った。それとも、風に敗けるまいとして羽根をバタつかせていた海鳥か。そうしながらも獲物を探して眼は波を見ていたあいつら。
今はおれがあの鳥だ。そう思ったとき、前に明るい光が見えた。空を横切る一本の光線。
なんだ?と思った。レーザービームのように見えたが、遥か高くを抜けていった。自分達航空隊を狙ったものとは思えない。
「山本、ビームを見なかったか」
『見ました……けれどまるっきり見当違いのところを飛んでったようですね』
「やっぱりそう思うか。なんだと思う?」
『さあ……ちょっと待ってください。データを調べてみます』
言ってしばらく過ぎた。やがて山本の声が言うには、
『対艦ビームみたいですけど、でも……』
「〈ヤマト〉はまるで反対にいるはずだよな」
『ええ。どう見ても死角のはずです。デタラメに撃ったものとしか……』
思えない。その通りだと古代も思った。〈ヤマト〉は今、丸い星の向こう側にいるはずなのにそれを狙うビームがここで見えるわけあるか。
しかし、とも思う。さっきの妙な衛星といい、何かおかしい。敵は思わぬ方向から〈ヤマト〉を狙える手段を持っているとしか――。
それでもとにかく、自分としては、ただ前を見て飛ぶしかなかった。古代は〈糸電話〉で山本に告げた。
「同じものがまた出ないか注意してくれ。ビームが来た方向がわかれば基地の位置もわかるかもしれない」
『わかりました』
と山本は応えた。
作品名:敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女 作家名:島田信之