二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

おいていくな

INDEX|1ページ/1ページ|

 
悪い夢の背景はいつも、昔住んでいた屋敷かヒマワリ畑と決まっていた。つまりあたしの中で大事なものと言えば母の思い出と父への恨みだけでそこに何かが入る隙間はなく、よしんば何かがするりとうまく入り込んでいたとしてもさっぱり気付いていなかった。
だから油断していた。

さっと真っ青な空の下の、果ての霞んだまっすぐな長い道の真ん中にあたしは立っていた。道端の小さな花がきれいだとか、小鳥の声がのどかだとか、たまの穏やかな空間をぼんやりと楽しんでいた。道の果ての先なんてのはちっとも興味はなかった。ただ、聞き覚えのある下駄の音が聞こえたもんで、蟻の行列に奪われていた視線をふっとあげた。そこにはやっぱり見覚えのある背中があって、くすんだ朱色に白く染め抜いた三角がこちらを見つめ返していた。背中はからんころんとゆるいリズムをきざみながら道の果てを目指しているようだった。
「(もうちょっとのんびりでも良くない?)」
男がそちらへ歩くのだから、もちろんあたしの行方もそちらなわけで、やれやれと渋る足に頭を下げてそろって下駄を鳴らした。まず目指すはぽっかり空いた男の隣。すぐに届く距離だった。
「(景色を楽しむとかさあ、できないんだろうなあ。
小鳥なんて食べちゃいそうだし…下手したらありんこも。)」
なんて思いながら、ちっとも情緒のない速さで歩く男の背中を追って足音のリズムを早めた。からんかつかつかつ、ころんこつこつ。
「(あれ?)」
からんかつかつかつ、ころんこつこつ。歩幅の違いは男女で差もつこうが、まるでばかみたいに急ぎ足がゆるいリズムに追いつけない。からんかっかっか、ころんこっこっ、ためしに半ば小走りになっても、距離は縮まるどころかみるみるひらいた。おいていかれてしまうと、頭のど真ん中ではっきりと感じた。
「(ちょっと…待って)」
男が振り向く気配はない。あの背中に追いつけそうにもない。待ってと叫びたいのに喉に詰まって声が出ない。広い背中があんなに小さい。おいていかれることなんていくつもあったのに、この落胆は、恐怖は、絶望感は、いったい何なのだ。まるでこれが金輪際の、…
「(…!ム、)」

べちん!
「!」
俄かに襲った鋭い衝撃に無理やり意識を引っ張りあげられる。額にじわと痛みが広がる。元凶に違いないごつごつした手。目をつむっていたって誰のものかわかる。
「~~~、あ、ん、た、よくも」
「うっせんだよ、云々うなりやがって」
ふっと離れていった手は次にぼさぼさの頭をかき回した。ほの明るい月明かりに照らされた男の顔はしかめもしかめた面だった。夜に沈んだ部屋の向こう端に目をそっとやる。そこには青白い男が寝ているはずだがそちらは起きてくる様子はない。夜目がきかずはっきりと確認できないが、ぐっすり寝こけているかあるいは、抜け出して…言わずもがな。どちらにしろ迷惑は半分で済んだようだ。一方、迷惑を被った方の男の不機嫌そうにひねられた口がちっ、と舌を打った。あーだのうーだのと苛立つ動物が出すような音を喉の奥で鳴らして、男は乱暴に無精ひげをじゃり、とかきむしった。よっぽどひどい大声だったのか。まさか。
「…うなってるだけだった?」
「ぁあ?」
「なんか言ってた、あたし?」
そこでにやり、と歪んだ意地悪そうな顔にはくらりと目が回るようだった。
「さてな、誰においてかれたんだ?」
なんてことだ、夢の中で詰まっていた声は、どうせだったら詰まったままでいればよかったものを、最悪なことに現実で垂れ流されていたのだ。顔も頭の中もカッと熱を持って、すぐにはこの感情を言葉にすることはできなかった。やりきれない思いをどうにかしてやり過ごそうとぐっとうつむくと、薄情に遠ざかって行った朱色が無造作に男の枕元に丸まっている。すでに曖昧にぼやけてはいたが、確かに、つい今しがたの悪夢は大きな絶望感で以ってでかい風穴を胸にぽかりと空けていった。そもそもあれをまとった小さな背中は今は無く、夢の中でついぞ見られなかった男の髭面はすぐそばにある。しかしその距離があってなお、胸は切なく痛んだ。この男に、こいつの夢を見ていたと知られるのは恥ずかしかった。
「…ばか」
「ぁあ?!」
「ばか、薄情モン、人否人、」
「テメ、」
「おいてくなんて」
知られるのは恥ずかしかった、がしかし、ぽろりとこぼれた言葉を止める術をあたしは残念ながら持ってはいなかった。
「おいてくなんて、あたし、あたしが、隣にいないのに」
「な、」
「あたしの喉が潰れてるのを良いことに、知らんぷりしておいてくなんて」
悪夢を見るほどあたしの中でこいつが重要視されているだなんて断じて認めたくなかったが、確かにあの夢によってあたしの胸中は無視できないほどの打撃を受けて大荒れに荒れていた。こんな騒々しいやつが気付かないうちにするりと心の奥に入っていただなんて、不意打ちにもほどがある。
「…ぶさいくな面してんじゃねえよ」
ぎゅ、と頬をひねられた拍子にぼろりと涙がこぼれる。痛いと訴えたらまたぼろりとこぼれた。それに驚いてまたこぼれる。ちくしょうなんてことだろう、この男のために泣く日が来るだなんて。悔しくてまたこぼれる。こぼれた涙が次の涙を引っ張ってまたこぼれる。そうして次から次へとこぼれる涙を男はそのたびにぬぐった。 眉根をぎゅっと寄せて黙ってぬぐい続けた。びしょぬれの手は、涙の蓋をぶち壊す程に温かい。さっきあれだけひどい仕打ちをしといて、こんなにも優しいなんてない。こんなことは言いたくなかった。弱い女を気取るなんてまっぴらだ。しかし、この男が柄にもなく優しいふりをするので、あたしもつい柄にもない真似をしてしまった。
「おいてっちゃやだよ…おいてかないで…ムゲン」

返事は無かった。ただ、ぬぐう手の力がかすかに強まったようだった。
作品名:おいていくな 作家名:鹿子