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深いみどりを歩いた獣、その鼻歌

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 ぱちんと弾けた小枝の音に火の影が揺れると、森全体がその大きな図体を揺らした。
 大きな真夜中は小さな影に手を引かれ、子供のように、朝へと歩く。

 「あ、目ぇ覚めた?」
 聞えの悪い耳に届いたその声に、ユーリは現状を理解しようとして何度か瞬いた。けれど自分がそれまで目を閉じていた、という事実を理解するのにすらえらく時間がかかって、何を見ようと瞬いたのかなんて無意識の反応は、もう少し後になってから理解できることだった。
 しかしまあ、同行者はお構いなしだ。
 ほっと胸を撫で下ろした安堵の声が立ち上がる。
 「だったらちょっと水くらい飲んでよ。危うくおっさん、人生で3本の指に入るくらい大事な選択をしちゃうとこだったんだから」
 目覚めたばかりの頭に大概うざったいその声に、ユーリは胡乱となって近づく気配に目を凝らす。そして此処はどこで、自分が何をしているのかが脳裡を過ぎり、頭の芯がさあっと醒めていく中、目覚めと同時に感覚的に掴んだ時間経過が思いのほか狂っていることに気がついた。霧が晴れるのは一瞬だ。目の前にあるものすべてが、現実になる。
 辺りは、暗闇に沈んでいた。
 深い森の夜の温度が首筋に触れる。湿っぽく、生い茂る緑の匂いが深深とする中、ユーリは無意識に動かした手に敷いてあるレイヴンの羽織が触れて、ああと思って体を上向ける。
 夜空が見えた。
 焚き火に暖められたオレンジ色の空気が暗闇を押しやるその境界で、寡黙な鳥が枝葉に身を寄せ木に止まっている。夜の獣は静かだ。森も静かだった。
 「……どんくらい経った?」
 「半日も経ってないわよ」
 「置いてけよ、ばかだな」
 天心に丸い月が見えて、眩しさに、ユーリは目を瞑る。
 体の何処にも痛みはなかった。ただ気だるく、夜気が芯にしみた。
 レイヴンがユーリの傍らに腰を下ろして、けたけた笑った。
 「そんな薄情にゃあ、もうなれなくてねえ」
 そうやって心底愉快そうに言うから毒気も抜かれる。毒が抜けたら、今は軟なもんしか残らなくて、息苦しくなってユーリは即座に返答ができなかった。

 落ちてくる黒い幕の裏側にいた。
 手を伸ばそうとして、空気がその指先をかすめた。
 後悔が、鮮やかに焼きついた。

 年を追うごとに増えて、減っていくものがある。
 どうしようもないのだ。
 どうにかしようとするのに、どうにもならない。
 どうすればいいのか探る先には何もない。

 ふと目を開けると、立ち上がったレイヴンが真上を遮って覗き込んでいた。
 いつもどおりのゆるくてやわい笑みを乗っけて、開け切らない目で促す。 
 「………何だよ?」
 「動けるんなら顔でも洗ってきなさいよ。夜が明ける前に、雨が降るよ」
 「…ああ、わかった」
 近くに清流があるから、とレイヴンの差し出す水は、口を近づけるとほのかに涼しい真水の匂いがした。正確に言えば水に匂いなんてないから、その葉を織り込んだ即席の水受け代わりの青くささなのかも知れない。けれど冷えた匂いだった。胸の奥の淀みまで沁みてきて、それを薄らげるような。
 「なぁ、どうして」
 「んー?」
 「こんなに」
 「うん」
 手元の水鏡にあやふやな月が映る。
 子供をあやすように打たれたレイヴンの相槌は、それ以上の言葉をユーリの口から遠のかせた。手元の水の話などではない。思考の深みにあるものはこの比ではない。
 レイヴンは言わなくてもわかっているのだろう。それでもユーリが言おうとするのなら、初めて聞く話のように聞くのだろう。人に、モノに、時に、何が必要であるのかを理解できる人間というのは、老いた犬のように静かでいて、賢しいものだった。その賢しさが疎ましくも、居心地がいいのだと、ユーリもわかっていた。吠える力がなくとも、力というのは別にあり、歩くことが儘ならなくても、進むことはできるのだと、老いた犬は知っている。同情や優しさとは別のものを抱いて、受け入れることへの摩擦に知らないふりをして、穏やかな眠りの場所に寝そべっている。
 卑怯だ。
 そして利口だ。
 「―――――――青年?」

 しばらく会っていない親友も時折そう見えた。
 そういう風にいてくれた。
 声が聴きたいと、ぼんやり思って、目を閉じる。
 そして砂時計のように落ちていく時間を静まり返る世界に感じた。

 何かを成し遂げようとすると、生き急ぐように足は逸った。
 感覚的な時間は加速度的になった。
 時間は無限ではない。朝はきても、迎えられないかも知れない。
 いつだったかそれを言ったらレイヴンは若いからだと言った。
 時間はいくらあっても足りないようにできていると笑った。

 自分自身に時間がないのでは、ないだろうけれど。
 ただ、時間には何処かに限りがあって、立ち止まらない。

 人もまた、立ち止まれない。

 「ねえ、青年」
 焚き火に向き直り枝をくべていたレイヴンは、水を手にしながら口に運ばず、結局それから黙り込んでしまったユーリをちらりと見てから、中腰の姿勢を崩してその場に腰を下ろした。羽織のない両腕を軽く抱きしめてさすりつつ、呼気で笑う。
 「早く帰ってあったかいごはん食べたいね」
 ゆっくりと歩いてくる雨の足音と、逃げていく真夜中の足音が聴こえてくるようだった。
 ユーリはその言葉を噛み締めて、なさけなく、そうだなと小さく笑った。