群青日和。
ざああ、ざざあ、ざあざあ。コントローラを失くした雨が、ひっきりなしに降り続く。それがばさばさと窓を叩いて、非常に煩い、煩わしい。がりり鼓膜を引っ掻かれる感触が如何にも疎ましくて、両手でぎゅうと耳を覆った。カーテンからは仄かに灯りが漏れ出ているものの、部屋全体は薄暗く、何処か寒々しい。然しそれで良かった。それで良いのだ。何者も、仄暗い安息などを与えてはいけない。この陰鬱として、息の根さえ止めてしまいそうな雰囲気を、俺は一身に受けなくてはならないのだ。それは誰ともなしに決まっていて、ある種の義務感すらも感じられた。背骨が寒さに軋み、腹部が空腹に鳴こうとする。然し俺は動けない。重苦しい何かが咽元まで蔓延しきってしまっていて、如何にも此うにも動けないのだ。苦しい。苦しい苦しい苦しい苦しい苦しいいい。とつとつと広がる孤独感や虚無感に、指の先までもが浸っている。冷たかった。ぶるぶる震える手先はそれでも、耳を掴んで離さない。嫌気が差す。
罪悪感、にも、良く似た。それが何なのかには、別段、興味は無かった。ただ、息が巧く出来ずに。心臓がぐぐぐと鈍く痛むのだ。頭がぐあんぐあんと揺れているような錯覚。あああ、煩わしい。意識もぼんやりと覚束ない。もう全てを投げ出してしまいたかった。今、世界で一番に、自分が最も汚らしい物の様に思える。くだらない。何を頑張るのだ、自分は。逃げたい、行きたい、何処に?ワケの判らない窒息感に、えづく。辛い痛い苦しい寒い淋しい淋しい淋しい淋しい淋しい淋しい淋しい淋しい淋しい淋しい、淋しい。しんでしまいたくなるよ。これだから、雨は嫌いだ。胡散臭い自分の存在の不確かさを、洗われて、晒されて、問い詰められているみたい。なんて息苦しいんだろう。呼吸が、巧く、出来ない。何故、今、俺は、独り、なの。ねえ、誰か、誰か、誰か、誰か、誰、か。
そ、と。背中を撫ぜられる感覚。驚いて咳き込むと、おい。と、ぶっきらぼうな声が聞こえた。ふいと見上げれば彼。え、あ、なん、で。お前どんだけ自分が外出してねえのか考えろよ、普通、変だって思うだろ。彼は半ば呆れてしまった様なカオをして、眉尻を思い切り下げる。俺は酷く居た堪れなくなって、ぼおん、と彼を突き飛ばした。それは余りに脆弱な物ではあったのだけれど、彼はすっかり気を抜いて居た様で、簡単に後ろへと倒れ込んだ。っ、手前、いきなり何すんだよ!やだ、よ。はあ?やだ、やだ、こっち、くんな。お前、何言って。彼の動揺が伝わる。心配して居るのに何を、と思って居るのだ。俺にだって判らない。ただ、無性に嫌だった。見られたくなかった。こんな、無様で、弱い、俺を。途端、涙腺がぶわと緩んで、まるで阿呆みたいに泪が溢れて来た。彼はいよいよ困惑して、けれど再び拒否される事を恐れておろおろと慌てている。
ねえ、醜い、よ、俺は、醜い。良いようにべらべらと理論ばかりを捲し立てて、都合の良い表情ばかりを繕って演技して、係わり合いを持たずに、嘘だけを言及して、作り笑いばかりが巧くなって、呼吸の仕方は下手になったよ。ねえ、ねえ、ねえねえねえ、君も、そうなの、かなあ。俺ばかりは醜いの?誰かの所為にしたくなるんだよ。如何し様も無いんだよ。当事者を回避して、傍観者のカオをして、興味が在ったって、据え膳の完成を待って。ろくでもないんだ。ねえ前に俺が君に嘯いたよ、冬の雨は、泣きたい気持ちが連なって齎されて居る物だって。そのときに何の疑いもせずに、そっちの方が良いと、嘘だって良くて、沢山の矛盾が丁度良いと、そう思えるのが羨ましかったんだよ、とても。ねえ、今、降っている雨は、誰の泪なのかな、あ。俺は泣きたいよ、ねえ、苦しいよ、ねえ、呼吸がままならないよ、泣きたいよ、泣きたいよ、泣きたい、よお。ねえ、俺を、教育して叱って、よ。
だくだくと、纏まらない俺の丸裸の感情を、しっかと聞き漏らすまいと拾ってゆく彼の目は、とても真剣で。俺はぼろぼろと泣き続けて。雨が煩い。止まらない、何も、何も止まらずに、流れてゆく。彼は何故だか泣きそうな、だけれども泣けない様なカオをして、そうして、俺の耳を挟み込んだ。何か言い掛けて、けれど、やっぱり言わないで、酷く戸惑ったようなカオのまま、耳から手を離して、その指で瞼をぐいぐいと乱雑になぞった。けれど、俺の泪は止まらない。それでも彼は飽きもせずに、ただ、拭い続ける。延々と。止まらなかった。止まるものは、何も無いのだ。泪は、まるで2人を溺れさせるかの様に、ただ、滾々と、流れ続けた。ああ、寒々しい。
蒼く、冷えてゆく、東京。
(冷え切って、枯れて、何も残らずに。)