魔獣戦線―流山悠香のある日の行動
誰かが泣き言を漏らす。それを聞きながらボウガン男は顔中にびっしりと脂汗を流していた。
(馬鹿な……奴には魔術の才能なんて無いはずだ……)
辺りに張り巡らせている黒い煙は魔術的な代物で、大枚を叩いてある錬金術師から購入したアイテムの一つだ。非常に濃密で肉眼ではまず見通せない。科学的な探知も通用しない。
音も存在も気配も欺瞞する。文字通り五感を奪われた状態になる。
――勿論、あんな化物に百%が通用するとは思っていない。事実、あの女が最初居た位置は黒い煙が立ち込めていない。恐らくあの女から同じ距離だけ離れるように、且つ各呪具の間が等間隔になるように焚いたのも理由の一つだとは思うが……。ただ、それが幸いして煙に気付かれずに先手を打てたのは幸いだったが、その一撃目はあの謎の剣に阻まれた。
(あの剣も何なんだ……どうやら魔道具の一種らしいが……)
いや、剣と言って良いのかどうかすら怪しい。最初剣の見た目をしていただけで、剣になり、短剣になり、飛び道具になる。光でできているようにみえて実体があり、武器と火花を散らし弾丸を阻む。
それでもアドバンテージはこちらの方にあるはずだ。ボウガン男は最初の方こそそう信じていた。あの化物に恨みのある者を集め、煙の呪具の効果を無効化する符をそれぞれが所持して、一方的に煙の中から攻撃する。幾らあの女が化物とは言えど、からくりに気づく前に叩きのめせればいい。
噂では弱っているとも聞いた。ならばなおさらそれが治る前に……あるいは悪化しきって死ぬ前に、復讐を成し遂げる必要があった。彼は完全な勝利を確信していた訳ではないが、その他にも強力な武器やお膳立てもあり、序盤でかなりの痛手を負わせられると考えていた。
だが血気にはやった同志が一人死に、そして欲を掻いて大きく移動した同志が一人死に、怯えて逃げ出そうとした同志が一人死に……皆が動けず、さりとて足を止めるわけにも行かず、てんでバラバラな、元より欠片も無かった協調性が完全に崩壊した動きをしているうちに、ボウガン男は自分の勘違いの可能性を薄々感じ始めた。
(俺たちは……ハメられたのではないか……狩られるのはヤツではなく、俺たち……)
その恐怖を投げ捨てる。そんなふざけた話があるはずがない。あの化物は狩られなければならない。あの化物に殺されるためにこんな手の込んだ事するなぞ、そんなふざけた……。
大きく投げ捨てようとした恐怖は、ボウガン男の目の前を通りすぎようとした同志が滅多刺しになって燃え上がった時、完全に彼から離れなくなった。
そこで仲間が燃えたから、ではない。その燃え上がる紅い焔の向こう側で、決して向こうからは見えないはずの煙の向こうで、まっすぐにこちらを見て嗤っている。美しくも恐ろしい、ドラクルがいたからだ。その笑顔にボウガン男は理性の糸が燃えて切れる音がした。
「うおおあああ!!」
ボウガン男は発狂し、ボウガンを構える。撃つ。弾かれる。装弾、撃つ。弾かれる。装弾。撃つ。弾かれる。飛び込んだ同志が斬られ、燃える。装弾。撃つ。弾かれる。装弾。撃つ。装弾。撃つ。弾かれる……。
悪魔が目の前に立っていた事に気付いた時にようやく彼は正気に戻った。彼は木に背を預けながらひたすらに後ずさろうとしていた、彼の手はひたすらに装弾して引き金を引く動作を繰り返していたが、装弾されるはずだった竜殺しのボルトはいつの間にかもう一発も残っていない。
何の表情も浮かべていなかった悪魔は、ボウガン男が正気に戻った事を嗤うように笑みを浮かべた。
「どうした、もうおしまいか?」
「あ、悪魔が……」
何とか絞り出したボウガン男の悪態に、悪魔は嘲笑を深くする。
「悪魔、悪魔か。確かに、今の私は少しだけ悪魔になった気分だ」
美しい悪魔は鱗の生えていない、なめらかな手でボウガン男をつかみ、持ち上げる。ボウガン男は最早その顔から目が離せなくなっていた。まるで魅入られるように。
「私を襲った理由は何だ? まあいい。お前はここで死ぬ」
ボウガン男は慌てて弁明を……最早それが無駄だと判っていながら喋らずには居られなかったが、彼の口からは声が出なかった。いや、口が動かない。まるで事の次第を話すことを身体が拒否しているかのように。
だが内心どれほど焦っていようと他人が見た彼の様子は、ただ反抗的に黙して語らずを貫こうとしているようであった。悠香はそれを見て笑みを消し、哀しげな瞳でボウガン男を見た。
「これで闇の世界に関わる事を辞め、真っ当に更生してくれればあるいは……あの時は本当に、そう思ってやったのだがな。ここまで裏目に出たのは残念だよ」
ボウガン男がからくりに気付いて口を開き、何か言おうとしたその瞬間。彼の姿は赤く燃え上がった。そしてその焔は他の者と同じように、剣に吸い込まれて消えた。
悠香は剣を再び鉄の棒に戻す。黒い煙は術者を失ったためかみるみるうちに消失していった。そっと自分の眼に手を当てた。
(焔を吸収し、火種をそこから作り、且つ他人の能力強度まで見ることの出来る意思を持った剣……)
悠香の戦闘能力を強化する剣。喜ばしい事であるはずだったが、悠香は先ほどの戦いである欠点を痛感した。この剣が意思を持っている、という利点にして欠点を。
(この剣は魔剣、妖剣の類だ。解放されるために力を求めている。私の意思の制御を離れれば、全てを焼いて回るだろう)
しかも、問題はそれだけではない。
(私の制御下にあったところで、消費する以上の速さで力を蓄えてしまえば、遠からず私の制御から脱してしまうか……)
悠香は魂の焔を使ったにも関わらず不調を感じなかった。それどころか、剣を得る前に感じていた様々な不調が全て消失しているくらいだ。だが、それらは完全に過去のものになったわけではない。この剣が全て肩代わりをしているだけなのだ。
つまり、悠香は力を使えば使うほどこの剣を砕くわけにはいかなくなる。それに悠香が力を沢山使えば使うほど剣に溜まった力は一時的に減るだろうが、その力で何かを焼けば結局は使った以上の力が戻ってくるだろう。
(覚悟していたつもりだったのだが、な……)
悠香は昏い予想を噛み締めながら、ゆっくりと森の奥を後にした。
作品名:魔獣戦線―流山悠香のある日の行動 作家名:ラルセト