朧さんと奈落の新キャラシリーズ
灰色の空
餓鬼を粛清し損ねた俺は、人を騙すことを止めて、退屈な日々を送っていた。
(……つまらねぇな)
地面に寝転がり、目を閉じる。
浮かぶのは、餓鬼の泣き顔。
あの日餓鬼を粛清し損ねて以来、餓鬼の泣き顔が頭にチラついて、人を騙す気が起きなくなった。
(……つまらねぇ)
人を騙すことが出来ないのは――人の歪んだ顔を見られないのは酷く退屈だ。
何かおもしれぇことが起きねぇかな。
そんなことを思っていると、視線を感じた。
「…………」
俺を見る奴など此処には一人しかいない。
(……チ、人をじろじろ見やがって)
舌打ちして目を開けて、離れた場所にいる餓鬼を睨み付けると、餓鬼は怯えたような顔をして、俺から視線を外した。
餓鬼に見られるのはこれが初めてではない。あの日以来、餓鬼は離れた場所からよく俺を見つめていた。
「言いたいことがあるなら言えっつーの」
口にして、まあ、それはできねぇだろうがな。と思い、苦いものが胸に沸き上がった。
あの日以来、餓鬼が俺に話し掛けることはなくなったし、餓鬼が俺の傍にいることもなくなった。
(……自業自得なんだがな)
餓鬼との関係を壊したのは俺だ。俺に裏切られた餓鬼は心に傷を負い、一生それを引き摺るだろう。
胸に沸き上がったものが広がった気がして、俺は眉を寄せる。
(……罪悪感、なんてな)
そんなものが俺にあったとはな。
自嘲して笑い、目を閉じる。
とりあえず、寝るか。そう決めて、俺は意識を手離した。
「柩兄上、この本面白いですよ」
「本?俺は本は読まねぇ」
「少しでも読んでみたらどうですか?」
「読まねぇって言ってるだろ……まぁ、少しだけなら読んでやる」
「ありがとうございます!どうぞ!」
「ん。…………げ。女が浮気した女を殺しやがった……。お前、結構ドロドロした話を読むんだな」
「はい。人のこういった感情は興味深いです」
「……餓鬼らしくねぇな。まあ、結構面白いな」
「良かったです!」
嬉しそうに笑う餓鬼に手を伸ばして頭を撫ぜると、餓鬼は更に嬉しそうな顔をした。
餓鬼の笑顔を見て、たまには本を読むのも悪くねぇなと思いながら、餓鬼の頭を撫ぜ続ける。
「柩兄上と本の話が出来て嬉しいです」
餓鬼は、心を許したような顔で俺を呼んで、柔らかに笑って――
目を覚ました俺は、灰色の空が視界に入り、「……夢か」と呟いた。
(あの餓鬼と過ごした時の夢を見るとはな……)
餓鬼の笑顔が脳裏に浮かび、眉を寄せる。
(あんなのは、偽物だ)
餓鬼に接した俺は、作られた俺だ。
餓鬼と過ごした穏やかな時間は、所詮偽りに過ぎない。
(……そう、偽物だ。……偽物……なのに)
何故、俺はここまで浮かない心地でいるのだろう。
考えても分からず、目を閉じる。すると再び視線を感じた。
「…………俺は、謝らねぇぞ」
目を閉じたまま言うと、餓鬼の肩が跳ねて、餓鬼が躊躇いがちに此方に近付くのが分かった。
「……騙されたお前が悪いんだからな。俺は悪くねぇ」
餓鬼は俺から少し離れた場所で足を止める。
「……………………」
長い沈黙の後、餓鬼は口を開いた。
「何故……俺を殺さなかったんですか?俺は、裏切り者なのに」
「…………分からねぇよ」
俺と餓鬼の間に再び沈黙が落ちる。
「…………柩あに……柩さん」
「……何だ?」
「……俺は、柩さんを許せないけれど……でも、柩さんと過ごした日々は忘れません」
餓鬼ははっきりとそう言って、去っていった。
「……やっぱり、馬鹿な奴だ」
呟いて、目を開けて灰色の空を眺める。
暫く空を見つめ、目を閉じると、餓鬼を殺そうとした瞬間に聞こえた声が蘇った。
――兄上――!!
「……嗚呼、そうか」
俺が餓鬼を殺すことが出来なかった理由。それが漸く分かった。
「初めて、だったんだ」
兄と呼ばれるのも、家族のように慕われるのも。
「……理由が分かっても、意味なんてねぇけどな」
彼奴が俺を兄と呼ぶことは、二度とない。
俺が彼奴との関係を、壊したから。
……本当に馬鹿なのは、俺だな。
目を伏せて、俺は自嘲して笑った。
あれ程にも愉快だと感じた感情は、俺の中から消え去っていた。
作品名:朧さんと奈落の新キャラシリーズ 作家名:如月 苺