里帰り
幅が広く、底が見えない、透き通ったこの川を渡るには船で渡る以外に方法がない。
その日はちょうど帰省ラッシュで、その船に乗り込もうと、乗り場には朝から長蛇の列が出来ていた。
「えぇと、ごめんなさい。ちょうど今、一人乗りの船が出払っていて…三人乗りのものでもよろしいですか?」
私よりも幾つか若いであろう女性が、申し訳なさそうに尋ねる。
「えぇ、勿論。ちょうど一人じゃ寂しいと思っていた所なの。」
私がそう答えると、女性はニコリと笑って、真っ白な船へと私を案内した。
「こんにちは。」
先に乗り込んでいた、短髪で眼鏡を掛けた男性と、長髪の穏やかそうな男性に挨拶をすると、眼鏡の男性は表情を変えずに事務的に会釈を、長髪の男性は笑顔とともに挨拶を返してくれた。
私が座るやいなや、船はゆっくりと岸から離れた。
「着いたら、誰に逢いに行きやすか?」
古びた笠を被った船頭さんが、呟くような、でもはっきりとした声で三人に尋ねた。
「私は…そうね、まずは弟に逢いに行きたいわ。ちゃんとやっているかいつも不安で…。」
それから、弟がとてもなついている大柄の男性に、弟のお友達だという銀髪のお侍さん、そして、あの、不器用な人。
もしも私があの人達の前にもう一度姿を表せることが出来るとしたら、どんな表情をするのかしら。
そう考えただけで自然に笑みがこぼれた。
「僕は別に誰に逢いたいとかは…ただ、あの滅茶苦茶な集団がまた馬鹿なことをしていないか見張りに行くだけだ。」
眼鏡の男性は早口で一気に喋ると、下がってきた眼鏡を中指でくいっと上げた。
「私は……」
長髪の男性は誰に逢いに行くのだろう?
「私は、誰に逢いに行けばいいのでしょう?」
男性は少し困ったような表情を浮かべた。
「賢くて真面目なあの子が無茶していないかも気になるし、体が小さくて、でも強がりなあの子が笑顔で過ごせているのか気になるし……それから、身よりのないあの子が、一人で泣いていないか、気になるんです。」
「分かってはいるんです。もう彼らは子供じゃない。私がこちらに来てから、もう十数年経っている。
でもね、やっぱり自分の子供同然に大切に思ってきた子達が、道を踏み外していないか…それが不安で、でもずっと確かめられなくて。」
そう言うと男性はうつむき、
「実は、今回が初めての帰省なんです。」
と、呟いた。
「怖かったんです。真実を知るのが。
正直な話、彼らがまだあっちの世界にいるかも分かりません。
もしかしたら私たちのように、今、この川を渡っている途中かもしれない。」
男性は、もう一度顔を上げて、川の向こう岸を見つめた。
「でも、もう許されるんじゃないか、と。
彼らはもう大人です。私の知っている、あの小さなこどもたちではない。
もう自分で決めた道を歩んでいて当たり前なのだと。
…そう考えて、今回初めてあちらに帰ってみようと思ったんです。」
男性がそう言い終わると、進行方向から小さな光がポツポツと現れて、次第に岸が見えるようになってきた。
船頭さんいわく、それは迎え火らしい。
「もうすぐ到着するみたいですね。」
船頭さんがなれた手付きで岸に船を停め、私たちは岸に上がる。
「では、あまり遅くならんよう気を付けていってらっしゃいませ」
船頭さんは一瞬ニコッと笑い、すぐにあちら側へ帰っていった。
「じゃあ、僕はこれで…。」
眼鏡の男性がまた中指で眼鏡を押し上げながら足早に去っていった。
「それでは私も。」
「あ、はい。」
長髪の男性も、いつの間にか遠くまで歩いていってしまっていた。
私もそろそろ行かなくちゃ、そう思って僅かな荷物を持ち上げる。
そして私は大切なものがないのに気が付いた。
「激辛せんべい、忘れてきちゃったわ。」
――――――――
「銀ちゃん」
居候の少女が、愛犬の散歩から帰ってくるなり、俺の腕を強く引っ張った。
「痛ぇ!な…なんだよ?!」
「姉御のとこで、焚き火やってたネ。こんなに暑いのに…焼き芋アルカ?きっと焼き芋アル!貰いに行こうヨ!」
神楽の目はキラキラと輝いていて、焼き芋を楽しみにしているのがひしひしと伝わってくる。
そんな気持ちを踏みにじるのはなんだか可哀想だが…
「焼き芋じゃねーよ。迎え火だ。」
「ムカエビ?新種のえびアルカ?」
「違う違う。先祖の霊が帰ってくるから、迷わねーようにすんだよ。」
神楽の手が腕から離れたのでソファーに座る。
「…私のマミーも帰ってくるアルカ?」
「あぁ、帰ってくんじゃね?」
「私もムカエビ参加してくるネ。」
そう言ってバタバタと玄関に向かう。
これでゆっくりジャンプが読める、とソファーに寝っころがった瞬間、玄関から神楽がぎゃいぎゃい騒ぐ声が聞こえ、何事かと玄関を覗くと、私服姿の沖田が立っていた。
「あれ、総一郎君どうしたの?」
「総悟でさァ、旦那。ちょいと避難させてくれやせん?」
「避難?」
沖田はずかずかと部屋の中に入り、ナチュラルにソファーへと腰掛けた。
「なんか今日になっていきなり猫が大量に屯所に集まり出して…餌だフンだなんだでゆっくりできないんでさァ。
せっかくの有休だってのに。」
そう言うとごそごそと持っていたスーパーの袋を漁り、真っ赤なパッケージのお菓子を取りだして机の上に置く。
「依頼料はこれで。」
机の上に置かれたお菓子の袋を取り、見覚えのあるそのパッケージを眺める。
「…あぁ、ちょうど食べたいと思ってたんだよ、激辛せんべい。」
【終】