14 アウェーでの洗礼
朝からタバコの煙が立ち込めるむさ苦しく散らかった室内。突然響き渡ったソプラノに、そこにいる男たちは一斉に顔を上げ動作を止める。
次の瞬間、彼らの視線が入り口に立つ少女に向けられた。
「あの・・・」
朝、初出勤の身支度の仕上げの紅をさしながら覚悟を決め、勇んで支部の入り口に立ったユリウスだったが...男達からの一斉の視線に思わずたじろぎ、言葉も続かない。
---最初からこれでどうする?・・・ボクはミーチャのムッターなんだから!
俯きかけたその視線を上げ、強く光る碧の瞳で好奇の視線を見返した。
「ヒュ~、どんなお嬢ちゃんかと思えば...さすが亡命先から連れてきちまっただけのことはあるなーなかなかの別嬪さんだ!」
「しかしヤツもドジ踏んだもんだなーこの若さで子持ちかよ。まったく、先が思いやられるぜー」
「へへ、若さ故ってやつだろ?なぁ悪いことは言わねえ、ガキ連れて故郷に帰んな!愛だ恋だで生きていけるほど、この国は甘くねえぞ?」
「まあまあ。アレクセイだってまだ若いんだ、気持ちはわかるよ。見ろよ、この綺麗な金髪!俺が先にドイツで出会いたかったよー」
自分は何を言われてもかまわないが、故国の為に人生を投げ打って生きてきた夫を侮辱されるようなことはたまらなく悔しく、ユリウスはギュッと唇を噛み、燃える瞳でむさ苦しい男どもを睨み付けた。
「お~コワ!睨まれちまった~」
「・・・あんたたち、黙って聞いてりゃよくもそんなこと!」
―――女の人!?
奥のデスクからハスキーな女の声が上がり、ユリウスは驚いて視線を向けた。
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「ここが給湯室よ。まあ最初はこまめにお茶出しでもしながら、細かいことはいろいろ覗き見て徐々に憶えていくことね。手取り足取り新人の教育にかかりきりになれるほど、ここは悠長じゃないから。あたしはジーナ・ラザレンコ、実は私出戻りでね・・・まあでも勝手知ったる支部だから、なんでも困ったことがあったら言ってみてちょうだい」
「ありがとう、さっきも助かりました。よろしくお願いします・・・」
恒例ともいえる新人いびりに湧く事務室だったが、ジーナの一喝で男達はきまり悪げに押し黙りその場を離れていったのだった。
~~この子は愛する人の為に国や家族を捨て、この若さでしかも異国で子供を産み、1年足らずで夫とも引裂かれた。それでもこの国で生きる決意をしてこの支部に来てくれたの!そんなこの子を批判する権利、あんたたちにあると思うの⁉~~
女性同志の存在に安堵するユリウスだったが、先ほどの男達の好奇な視線や態度に言い返すこともできなかった自分が情けなく、これからのことを思うと今朝の決意もゆらぐような不安が押し寄せてくるのだった。
「根は悪いやつらじゃないのよ。アレクセイがモスクワで勇敢に戦ってくれたこともみんなよくわかってるわ。あなたにも、強くなってほしいこその...手荒い洗礼ってとこかしら?」
「・・・洗礼?」
ユリウスは籠の中で眠るミーチャを見つめながら、不安と共にこみ上げた涙をごまかす。
「・・・だってそうでしょ?乳飲み子を抱えたうら若い外国人のあなたが、今のこの国で一人生きていくのは並大抵のことじゃないわ。これから・・・踏みつぶされて泥まみれになるようなこともあるかもしれない」
「泥・・・?」
ジーナは鬼気迫る表情で、それでも後輩同志となったこのか弱い少女を必要以上に怯えさせないように、静かに語った。泥の意味はおいおい分かっていくだろうと...。
「そう、あなたは雑草のように強くならないと!何度踏まれても、命ある限りは起き上がってこの凍てつく大地に根付き逞しくなるのよ、この子のためにもね?」
「ジーナさん・・・」
身を固くしながら真剣な表情で自分の話しに聞き入る少女に気づき、ジーナはらしくない説教めいた語りをした自分に照れくささを感じ、慌てていつもの口調を努める。
「でも実際、あなたやるわね~。私の半分くらいしか生きていないのに人妻で母、んでこの国のために働こうって?私なんか・・・30目前でやっと結婚したけど、ひと月持たずに出戻って来ちゃったわよ~。根性なしなのかしらー?」
「そ、そんなこと!きっと・・・その方とは運命じゃなかったんですよ、きっと・・・あ、ごめんなさい!」
ジーナは首を振りながら、柔らかな金の髪に手を伸ばした。
「運命か・・・。あなたは信じてここまで来たのね・・・よく、頑張ってきたわね、偉いわ」
頭を優しく抱かれると、この国に来てからの出来事が一気に胸に押しよせ、ユリウスはこみ上げる涙と思いをこらえ切れずジーナの胸でむせび泣いた。
―――あったかい・・・。
それは・・・最愛の夫を戦地へ見送り、たった一人で幼子を育ててきた少女が、久しぶりに人に包まれて感じた温もりだった・・・。
作品名:14 アウェーでの洗礼 作家名:orangelatte