33 幼友達
「入れ」
その日の夜半過ぎー
晩餐を終え、書斎へ戻ったレオニードの元へリューバがやって来た。
昼間に起こった離れの闖入者の件をレオニードに報告する。
「憲兵隊の制服を着た、年の頃…23〜4ぐらいの体格の良い男でした。
メガネを掛け髭面でしたが、これは変装でしょう。憲兵隊大尉ニコライ・ツィムリンスキーと名乗っておりましたが、これも恐らく偽名でしょう。どうしますか?一応憲兵隊へ照会しますか?」
「いや。変装で偽名なのであろう?ならば照会したとて…意味無い事だ」
「そうですね」
「その賊は…どうした?」
「そのまま屋敷の外へつまみ出しました」
「撃たなかったのか?」
レオニードが少し意外だという表情を浮かべ、初めて顔をリューバの方へ上げる。
「…賊の至近距離に…イゾルデがいた。敵は動作に隙のない、かなり腕の立ちそうな男だった。万が一彼女が人質に取られた時、怖い思いをさせては気の毒だと思った」
「そうか…。それでいい。ご苦労だった」
レオニードはリューバを労う。
「屋敷全体の警備を見直した方がいい」
「そうだな」
「離れもだ」
「屋敷の警備の兵は…公の…皇帝陛下のものだ。勝手に人員を離れに割く事はならぬ」
「ではどうする?また今日のような事が起こらぬとは限らないぞ⁈私は飽くまでヴェーラ様の護衛だ。そうそうヴェーラ様のお側を離れて…別館に入り浸る訳にはいかない」
「そうだな…。だが…頼む。お前にしか頼めぬ。大変だろうが、今後も頼まれてはくれぬか?」
滅多に人に頭を下げることのないこの幼馴染みでもある主の懇願にリューバが折れる。
「OK。分かった。顔をあげろよ」
「すまぬな。その代わり屋敷全体の警備を強化する」
「そうした方がいいな。それから…」
「まだあるのか?」
レオニードが僅かに目を見開き肩を竦めた。
「離れの…イゾルデつきのあの女中、勤務態度が目に余るな。イゾルデが宝飾品や化粧品などに無頓着なのをいい事に、ちょこちょこ小さいものをくすねているようだし…主人に対する態度がまるでなっていない。あの娘に聞こえよがしに寵姫呼ばわりしていたぞ」
「それは…けしからんな。次現場を押さえたら即刻暇を出す」
「というよりもすぐに他の人間と変えるべきだ。あれではあの娘が可哀想だ」
「分かった。明日から他の人間を遣わそう」
「次の人間には給金に少しイロをつけた方がいい。ニンジンで釣れば馬はよく働くものだ」
「ふ…。お前には敵わんな」
「ふふ…。じゃあ敵わないついでに、もう一ついいか?」
「まだあるのか?」
「ロストフスキーを、セリョージャをきちんと労ってやれ」
「は?何のことだ?わたしがあいつに…」
「何のこと、と‼…あんたやっぱり人から何かしてもらうことがどこか当然と思っている、お殿様なんだな。いいか?セリョージャのあんたへの献身が当たり前だなんて思うなよ?…あいつがどんな思いであんたに尽くしているのかを、少しは考えるんだな!」
そう言うとリューバは人差指でレオニードのシルクのシャツの胸元を小突いた。呆れたような口調とは裏腹に、その黒い瞳は幼馴染みの主人に対する友愛に満ち溢れていた。
「ああ…。分かった」
レオニードの書斎を後にするリューバをレオニードが呼び止める。
「リューバ」
リューバが立ち止まり、ドア越しに顔だけ覗かせる。
「ありがとう」
その言葉に、リューバは敢えて何も答えずに、ドアから「気にするな」とでもいうように手をヒラヒラと振り、今度こそ書斎を後にした。
作品名:33 幼友達 作家名:orangelatte