milky way
神乃木は小気味良いリズムを打ち鳴らす雨の音を聞きながら、その日も変わらず仕事終わりの一杯を呷っていた。湿気の加減で苦みが変わるだとか、通ぶったことは言わない。コーヒーの味を除いても、今日の一服はいつもと少しばかり事情が違っていた。
ひとつは、コーヒーカップがふたつ並んでいること。
そしてもうひとつは、静まり返った事務所に響いたその嘆声。
千尋は、神乃木のデスクから一番近い窓から少し体を乗り出して、空を見上げていた。
「なんだ、コネコの集会は雨天中止かい?」
口の端を上げて笑う男を容赦なく睨みつけてから、千尋はため息をついて答える。
「天の川‥‥楽しみにしてたんですけど」
そう。今日は七月七日、七夕だ。
「これだけの土砂降りじゃあ、見れそうにないか」
「里にいた頃は、雨が降ってもうっすら見えたんですが‥‥」
遠い故郷に思いを馳せてか、今、同じ空を見上げているであろう妹を思ってか‥‥千尋はまたひとつ、大きなため息をついてソファに腰を下ろした。
「もし‥‥もしですよ?」
精一杯の間を使って、千尋が口を開いた。
「センパイが彦星だったら、どうしますか?」
「オレが、彦星かい?」
2杯目のコーヒーを注いだばかりの神乃木が、千尋に向き直す。
「ええ。1年に1度しか会えなくて、しかも今日みたいに雨が降っちゃったら?」
神乃木はそのまま左手に持ったコーヒーを喉を鳴らして呷り、空のカップをつきつけて言う。
「誰かが決めたくだらねえルールを守る‥‥そんなのはオレのルールには存在しないぜ!」
‥‥そうだ。
神乃木荘龍とはまさにこういう人間だ‥‥千尋はこの5ヶ月で彼をそう評価した。この手の質問をして、まともな答えを返すような柄ではない、と。
「ただ‥‥もしもどうしても会えないっていう事情があるのなら、オレは1年だって2年だって待ってやるぜ」
「え?」
自分から質問しておきながら、千尋はその返答にいささか驚いた。神乃木は目を丸くする千尋に構うことなく続ける。
「毎日必死に仕事して、ようやく会える日にアンタに誇れるように頑張っちゃうぜ」
「なっ‥‥なんで私なんですか!」
カップを置いたことで空いた手を額にあてた、キザったらしい仕草。似合わないと腹が立つのだろうが、不思議と彼には似合ってしまい、千尋も嫌いなものではなかった。あともう少しで渾身の異議を唱えそびれでしまうほどに、見入ってしまっていた。
「そういう質問じゃなかったのかい?」
そのニヤニヤ笑いは、少し、苦手だった。違うと言えば嘘になる‥‥そう見透かされているような気になるから。
千尋は精一杯の言葉を絞り出す。
「‥‥だいたい、毎日会えてるじゃないですか」
お互い、いくら忙しかろうと、嫌でも毎日ここで顔を見てしまう。会わない日があるなんて、とても考えられない。
「クッ‥‥違いねえ」
二人の間に、再び沈黙が流れる。
ほんの少し強くなった雨音を聞きながら、その心地よさに浸っていた。
いつの間にか空になった千尋のカップにコーヒーを注ぐ。神乃木がその“特製ブレンド”を人におごるのは、また珍しいことだ。
「‥‥ご褒美だぜ」
そう言って、そっとミルクを垂らす。
「来年は、見えますかね。天の川」
「何回だって一緒に見てやるさ、チヒロ」
それは綺麗な軌道を描き、すぐにコーヒーの闇に溶けた。