僕ら
食堂の壁にかかった時計はとっくにお昼休みを過ぎた時刻を過ぎていて、並んで座る二人の横を今しも、「やばい遅刻だよ」という声が駆け抜けてゆく。少し前の海藤であれば、授業の五分前には席についておくのが常識だろう、ぐらいは真顔で言ってのけただろうが、最近は少々事情が変わっていた。乱暴に言ってしまうと、それは目の前の彼女からの悪影響だった。
長谷には、慕う先輩がいるらしい。その先輩の時間の使い方を真似して、以前より輪をかけてマイペースになってしまったのだと、よく長谷の世話を焼いている友人から聞いた。そのとき海藤は、遅刻寸前なのにのんびり歩く姿を怒ってやろうかと思っていたのだが、何故だか言葉が出なかった。
「欠課」
あの朝。長谷に好きな相手がいるのだと知った日も、そういえば彼女の爪に感動したような覚えがある。風が強くて、ばらばらと飛び散る髪の毛を長谷は抑えていた。指先から零れては風に解けてゆくのを追って、何度も、何度も。
海藤はそれを斜め後ろからずっと見ていた。
「に、なりますよ。このままじゃ」
声に反応してピクリと戦慄き、けれどすぐに本の上へと落ち着いた指から目は離さないままだった。長谷は病的に白いから、青白い血管が浮き上がってよく見える。
「これを読み終わったら、行きます」
「ああ。なるほど…」
「それ」
「え?」
「そのイチゴ牛乳、飲まないんですか」
「あっ、いや、はい」
もうぬるいから、と付け足した言葉が終わるか、終わらないか。視界の中の腕が伸び、あっという間に死角に入ったかと思えば手元のパックジュースを攫う。そうして二・三度パックを握りなおした後、海藤の前にそっと置きなおした。全て沈黙のまま。驚いて面を上げた海藤の方も見ないまま、だ。
「……」
「大丈夫です」
「あの、何が?」
「まだ飲めます」
そう言うと長谷はまた視線を落とし、引き続き読書を始める。さきほどと何一つ変わらないようでいて、俯いた口元が僅かに笑っているようにも見えたが、それはそうであったらいいなと願う心が起こした錯覚かもしれない。開きかけた口は、ストローを咥えることで閉ざした。
何もかもを超越したところにある長谷の沈黙の隣、ぬるくなったイチゴ牛乳はやっぱりまずくて、海藤はページを手繰るその手の先ばかりを追っていた。贈るとしたら、きっと線の細い金の指輪が似合うだろう。余計な宝石のついていないシンプルなタイプのヤツだ。色素の薄くて柔らかい髪にも、金のアクセサリーは映えるに違いない。海藤には確信があった。このことを長谷の想い人は知らないだろうという自信も、同様に。