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ホメオスタシス

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ごめんなさい。もう、限界です。ごめんなさい。
そう言ってあいつが出ていったのは昨日の夜の事。



ホメオスタシス



「おい、朝飯、」

準備してないのか、と言いかけてやっと思い出した。あいつは出て行ったんだっけ。

前日の晩に喧嘩しようが当たり散らそうが菊は朝早く起きて、味噌汁を作ってたっけ。なんて思い出しながら冷蔵庫を開けた。
まだ一人暮らしをしていた時とは打って変わって整理整頓がきちんと成された冷蔵庫。見栄えは良いが、使い慣れない俺には何処に何があるか分からない。あれは何処だ、そう聞いたら答えてくれる声はもう無い。

結局調理しないで食べられるものは見つからなくて、紅茶だけで済ます事にした。湯を沸かそうとシンクに立った時、排水溝から少し覗いたのはあいつが作った料理。多分昨日の俺の夕食になる筈だったもの。

昨晩は連絡もせず外食してきた。その事は日付も変わって一時間弱経って俺が帰宅してから、夕食はどうですか、と聞いてきた菊に告げた。
そうですか。そう、苦笑いする。それが常だった。今回もそうかと思った。

「そうですか」

抑揚も付けずにそう言った菊の顔は無表情だった。食器に盛り付けた料理を片付けていき、皿洗いを終えた後、流れる水も止めずに何か呟いた。

「あ?なんだよ」
「…………」

菊は水を止めてからゆっくりと顔を上げた。さっきの無表情では無く、泣きながら無理矢理笑みを浮かべていた。

「アーサーさん。私と別れて下さい」

その表情が今も脳裏にこびりついて離れない。あいつは何があっても笑ってばっかりで、今回も笑っていたのに。記憶の中の潤んだ眸は俺に何かを訴え掛けるようで、何も無いようで。

ああもう!菊はもう居なくなったんだ。俺とあいつはもう無関係。ただの他人。過去に囚われたままなどくだらない。

菊の顔を振り払うように急いで洗面所に向かうと、歯ブラシが二つあった。
わざと置いていったのかとも思ったけど、根っからのお人好しの菊がそんな事思い付く筈も無いか。衝動的にだったんだなあ。らしくも無い。

らしくも無いって何だ。俺はそんなにあいつの事知らないだろう、肩入れしてないだろう。

菊と付き合い始めたきっかけは向こうからの告白だった。当時恋人も居なかったし、あどけない顔が好みだったから首肯した。
それから気紛れにキスしてみたり、抱いてみたり、そんな事を繰り返している間に同棲するようになっていた。
菊は自己主張の少ない奴だったから衝突する事はあまり無かった。菊のはっきりしない態度に苛立って怒鳴りつけた時すら苦笑いしていた。何も言わなくても飯を作ってくれるし、美味かった。掃除も洗濯も、最近俺がした覚えは全然無い。

俺にとっての菊は都合の良い奴で便利な奴だった。ただそれだけの筈だ。ただそれだけの。

リビングに戻る時、廊下にぬいぐるみが転がってるのに気付いた。菊の私物のテディベア。唯一あいつがこだわりを見せたものだ。
一人暮らしを始める時に、淋しくないようにと兄弟がお金を出し合って買ってくれたのだと、ずっと前に話していた。

菊がずっと抱えていたそれの長めの毛は、遠目から見てもごわごわしている。片手で拾い上げる。掴んだテディベアの後頭部は湿っていた。
別に俺はこいつに何か引っ掛けたのを見てはいないから、濡れたのは俺が帰ってくる前か。あんなにこいつを大事にしていた菊は飲み物を零して放置なんてするかな。
そう言えば黒い眸はよく赤く縁取られていたような気がする。確か、昨日も。

ひっくり返してみると、熊は間抜けな顔をしていた。乱れた毛並みで目が少し隠れた所為で、少し情け無いような、泣きそうな顔。
それが俺に何か語り掛けてくるようで、腹が立って、投げ飛ばした。
フローリングを転がるぬいぐるみ。俯せたまま顔を上げない。ムカつくと言われたから、捨てられないようにとずっと顔を伏せている。あの悲しそうな顔のまま。
テディベアも持ち主の前では笑ったりするのだろうか。あいつも他の誰かには心の底から笑ったりするのだろうか。

気分が悪い、気分が悪い。外の空気でも吸いに行くかとコートを取りに行くと、まだ二着並んで掛かっていた。
馬鹿だろ、あいつ馬鹿だろ。コートぐらい着て出て行けよ。まだ寒いのに。しかも真夜中だぞ。馬鹿だ。本当に馬鹿。

忘れてきてしまった、仕方ない。そうあいつはまた苦笑いしているんだろうか。それを俺が責めればあいつはまた困った顔をして、すみませんと笑うんだ。馬鹿だ、馬鹿だな。本当に馬鹿だ。至上最低の大馬鹿野郎だ。今更気付くなんて。いい加減認めろよ。

菊はずっと温かい奴だった。だから傍に居ればずっと温かかった。居なくなって始めて、冷えきってしまったこの部屋でやっと、俺も同じぐらい温かかった事に気付いた。元の温かさを保とうと、今俺の体は痛いぐらいに熱い。此所よりもっと寒い所に飛び出した菊は今どうなっているのだろう。

結局俺が引っ掴んだのは小さい方のコートだった。こんな小さいの、俺にはきつ過ぎて不格好過ぎて着れない。
ついでに転がったテディベアも抱えてやった。上を向いたそいつは誰かの代わりに助けて助けてと泣いているようだった。

外に出ると身が縮むような寒さ。まだ日が出てるだけマシなのだろうけど。さて、あいつが行きそうな宛が一つも分からない。俺は何も菊の事を知らなかったらしい。
それでもと足を前に踏み出した。見付かるまで探せば良いだけなのだから。
見つけたら持って来た荷物を全部押し付けて、無計画に出ていくなって叱ってやって、それからそれから。

みっともないぐらいの必死に走り回って探すけれど、菊は見付からない。息が上がって苦しくなるばかり。でも足は止めない。これぐらい走ってりゃ、菊を見付けた時には冷えきった体を温めてやれるぐらいには熱くなってるかもしれない。
向かう場所も分からずに、ただただ走った。
作品名:ホメオスタシス 作家名:志乃