二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

恒常性

INDEX|1ページ/1ページ|

 
彼は私によく馬鹿と言っていたけれど、私は本当に馬鹿なのかもしれない。なんて、膝を抱えながら考えた。



恒常性



昨晩私は勢いに任せて家を出てきてしまった。本当に何も考えずに出て来てしまって、コートも財布も携帯も持っていない。
多分交番にでも行き、事情を話せば電話ぐらい貸してくれるだろうけれど、行動に移せず日も落ちそうな今まで公園のブランコを占領している。

アーサーさんが迎えに来てくれたらなあ、なんて馬鹿な事を考えてる訳では無い。彼にとって私がどうでも良い存在だと言う事はずっと前から分かっていた。
それでも、もし一瞬だけでもその目に私を映して貰えたらと、一緒に居る事を選んだのに。傷付いた回数なんて、手が何本あれば数えられるのかも分からない。それぐらい我慢してきたのに、どうして今になって許せなくなってしまったのか。

真夜中に出て来てからずっと泣き続けた私の涙はとっくに枯れているのに、まだ泣き足りない。
上京して以来、兄弟の贈ってくれたテディベアで泣き続けた私には、自分の硬い膝で泣くのは辛かったけれど、それでも嗚咽は止まらなかった。

何とか友人に連絡を取り、それから実家を継いだ兄にも事情を話し、申し訳無いけれどお金でも借りて実家に帰る。
それが私が今するべき事なのだろうけど、その最初の段階すら私には出来ないでいる。冷えきっている筈なのに寒さを感じず、昨晩から何も食べていないにも関わらず空腹感を知らない私の体はきっと壊れてしまった。動くのも億劫で、泣きじゃくる事しか出来ない。

こんな状況に陥っても、それでも私が考えるのはやっぱりアーサーさんの事。有り得ない。分かってるのに。
「きく、」
なんて、滅多に呼んでくれない私の名前を呼んで、迎えに、来てくれないかな、なんて。
「っ、き、く!」
分かってる、分かってる。馬鹿だ。本当に私は馬鹿だ。馬鹿。今でもまだ彼が――。

「きくっ!」

何が起きたのかよく分からなかった。耳元で掠れた声がしたと思ったら、ブランコが揺れた。後ろから何か覆いかぶさって、頬を荒い息がくすぐって、仄かに薔薇の香水が薫って。
嘘。有り得ない。有り得ない、そんな事。

「菊。ったく、探したぞ、ばぁか」

でも、やっぱり切れる息の合間で紡がれる声を私は知っていて、愛しくて、思わず名前を呼びそうになったのを唇を噛み締めて耐えた。

「何しに来たんですか」

こんな声自分で出るんだな、と思うぐらい冷たい声だった。ぴくりと彼は体を震わしたものの、普段と同じ声で答えた。

「お前を迎えに来た」
「見下して優越感を得られる馬鹿を?家事をしてくれるお手伝いさんを?八つ当たり出来るお人形さんを?好き勝手出来るセフレを?」
「違う。そんなんじゃなくて菊を、菊を迎えに来た」
「嘘吐き」

自分で言った言葉が胸に刺さる。そこからすうっと体が冷えていくような心地がした。
このまま冷たくなって、何も感じられないぐらいになってしまえば良いのに。そう思うけれど、背中を温める彼がそれを許してくれない。とことん意地悪な人だ。

「私は貴方にとって何だったんですか?」
「それは、っ……」
「それが答えですよ。もう止めましょう。それがお互いの為です」

彼なんか、私を忘れてその冷えた心を温められる人とでも巡り逢えば良い。私にはそれが出来なかったから。
このままでは私も彼も駄目になってしまう。私はまだアーサーさんが好きだけど、それはもう忘れよう。
まだ悲しく恋しくて切なくて泣いてしまうかもしれないけど、私は自分の膝では泣けないみたいだし、その内涙も止まるのだろう。
そうやって、忘れていって、他のもっとずっと素敵な人と巡り逢って、あの頃の私は馬鹿でしたって笑って話せれば良い。そのもっとずっと素敵な人を、私はこの人以上に愛せるかは分からないけれど。

「私達、もう終わったんです。もう他人なんです。誰より好きでした。さようなら、アーサーさん」

鋭いナイフのような言葉。自分で言った言葉に自分で傷付いた。きっと私だけ傷付いた事実にも傷付いた。
傷だらけの私。それでも、目を瞑ってしまうぐらい、貴方が好きでした。

「そうだな。もう終わりにしよう」

また涙が出た。まだ尽きないらしい。
せめて、笑顔でお別れしなきゃ。一番綺麗な私を記憶に残して欲しい。いつまで覚えていてくれるか分からないけれど。

まだ顔も作れていないのに、肩を掴まれ無理矢理振り向かされた。止めて下さい。そんな言葉は彼を見て飛んでしまった。

アーサーさんは泣いていた。
目尻を腫らせて、綺麗な翠色の目に赤を混ぜて。彼のこんな歪めた顔、始めて見た。

「終わりにして、もう一度始めたい。やり直したい。今度はちゃんと二人で」

泣きながら彼は私を抱き締めた。薄着の腕が私と一緒に閉じ込めたのは、私のコートとテディベア。
もう訳が分からなくて、信じられなくて、言葉が出ない。

「お前が出て行って、やっとお前がどれだけ大切だったか分かった。好きなんだ。でも大切に出来なかった。しようともしなかった。馬鹿は俺だった。ごめん」
「多分お前の気持ちは俺なんかが測り知る事は出来ないと思う。それぐらいお前を傷付けた。これからは心を入れ替えるなんて、大切にするなんて言ったって、嘘っぽく聞こえるかもしれないし、信用出来ないと思う。分かってる。それが俺がしてきた事の結果だ」
「でも、好きだって気付いたから、ちゃんと分かったから伝えたい。こんな事言うの自体がお前を更に傷付ける事になってるのかもしれないけど。ごめん。わがままだよな。でも戻ってきて欲しい。ずっと沢山我慢させてごめんな。それでも傍に居て欲しい」

アーサーさんの言う通りだった。こんな言葉並べられたって、嘘っぽくて、信用出来なくて。
でも、それ以上に嬉しくて、信じてみたいと思った。
また傷付くのは私なのに。馬鹿だなあ。

「菊の事が好きだ。無理にとは言わないけど、出来ればもう一度俺の事を好きになって欲しい。もし嫌じゃなかったら、帰って来て欲しい」

肩も声も震わせて、でもアーサーさんは私の目を見て言ってくれた。
久々に彼の目を見た気がする。それはきっとアーサーさんが私を見て居なかったからだけれども、私の所為でもあるような気がした。
私だって彼を見ていなかった。向き合わなかった。傍に居られたら良いんです。そう自分に言い聞かせて、彼に嫌われまいといつも作り笑いを振り撒いていたのは私だ。

「私は、私は最初からいつだって!」

悔しいぐらいに貴方が好きでした。そして、今も好きなんです。

もうそれも言葉にならなくて、彼の腕の中でみっともなく声を上げて泣いた。
今まで冷たかったのが嘘みたいに体が熱くて熱くて、今まで見知らぬふりをしていた何もかもが溶けて流れていった。

思い付く限りの言葉で彼を罵倒して、彼はひたすらそれに頷いて。それも尽きたら、彼の胸に顔を擦り付けて泣きじゃくった。
彼の胸もテディベアとは違って、私の膝みたいに硬かった。けれどどうしてか、泣き心地は良くて、体の水分が全て抜けてしまうまで泣いていられそうな気がした。
作品名:恒常性 作家名:志乃