train panic!!
真新しい制服に身を包んで、申し訳無さそうに一緒に行けないと言った母に強がりながらも不安だった私は、よく知った背中に声を掛けてしまった。掛けてしまって、後悔した。私が彼を知っていても、彼はどうか分からない。
「本田?本田じゃねぇか!」
しかし彼は私を覚えてくれていたらしい。顔を輝かせて久し振りだな、と言ってくれた。
train panic!!
ついこの間まで私と同じ中学校に通っていたアーサーさんは私の片思いの相手だった。けれどクラスが同じになった事も無かったし、ましてや話した事なんて。最後にきっと嫌な思いをさせてしまうだろうけど、気持ちを伝えるだけでも、と思ったけれど、それも出来ず。卒業して、もう縁は無いものとばかり思っていたのに。諦めよう忘れようと一生懸命自分に言い聞かせていたのに。
高校も同じみたいだな、と揃いの制服を着たアーサーさんの笑顔に胸がきゅうと苦しくなった。
「高校でも宜しくお願いします、会長さん」
「もう会長じゃねぇよ。アーサーで良い。こちらこそ宜しくな、本田」
今まで話した事が無かったかのが嘘のように話に花が咲いた。初めてこんなに近くでアーサーさんを見た。笑うといつもより少し幼く見える。嗚呼、駄目だ。もっと好きになってしまう。
話をしているとすぐに電車が来た。窓から見えるのは人、人、人。今まで通勤ラッシュとやらに遭遇した事が無かった私は予想以上の人の数に驚いた。
これに乗らなくてはいけないのか。足が竦む。
しかし私の事など関係無く人の波は動く。押されに押され、電車の中へ流されていく。
止まりたい意志も虚しく前へ前へ出る足に軽いパニックを起こしていると、突然右腕を強く引かれた。何度か人にぶつかって、最後に背中が硬い壁に付いた。
どうやら私の腕を引っ張ったのはアーサーさんのようで、私が居た方向を向いて謝っていた。
そうこうしている内に電車が動き出す。私は結局壁と壁に腕を付いてアーサーさんが作ってくれた、満員電車には何とも贅沢なスペースに収まった。
「大丈夫か?」
「ええ、お陰様で」
「ったく、心配したぞ。お前ちっちゃいし細いから、何かあったら簡単にぷちって潰れそうだ」
それはいくらなんでも無いですよ、と思いつつ、迷惑を掛けた私にそれを言う資格は無いだろう。すみませんと呟いた声は羞恥で掠れていた。
「お前、明日から大丈夫なのか?」
「え?」
「大丈夫じゃないよな。しょうがないから一緒に通ってやるよ。べ、別にお前の為じゃないからな!お前がちゃんと駅に降りられなかったりして遅刻したら、同じ中学だった俺も気分悪いからな、仕方なくだ!」
それはつまり、ずっとアーサーさんに会えて、お話出来ると言う事だろうか?しかもこんな至近距離になってしまったり?
咄嗟に頷いてしまったけれど、とても耐えられない。こんな、心臓が爆発しそうな思いを毎日しろと?今だって、アーサーさんにも聞こえてるんじゃないかと不安なぐらいなのに。
「お前可愛い顔してるのに抜けてるからな、うかうかしてたら痴漢にでも遭うんじゃないのか?最近は男にもあるらしいぜ。まあ、俺がさせないけどな」
その前に私は貴方の所為で心臓破裂で死んでしまいそうですけどねっ!
まさかそんな事が言える筈も無く、意味も無く条件反射で首を縦に振った。
次の駅に着いたらしい。私達の反対側の扉が開く。また新しい人が流れ込む。
一層狭くなる車内でもアーサーさんは空間を保とうと頑張ってくれた。
彼の背中越しに恰幅の良いスーツを着た男性に睨まれたが、目を逸らしてしまった。申し訳無いけれど、これ以上距離が縮んでしまったら私は死んでしまう。
「やっぱり人口密度高いと息苦しいよな」
苦笑いしたアーサーさんを直視出来ず、かと言って明後日の方向を向くのも失礼だからと顎の辺りを見て頷く。
嗚呼、もう私一体何やってるんでしょうか!
情けなさが高ぶるのと反比例するように視線は下がっていった。
そして目に入ったのが首元。一月前より幾分だらしなくなったシャツの間から白い鎖骨がちらりと覗いていた。
あ、どうしよう。なんて思った時には遅かった。
初めて見た部位の持つ妖艶さやそんな事を感じてしまう自分自身への羞恥、アーサーさんへの申し訳無さで体に熱が巡る。顔は赤くなっているだろう。アーサーさんが心配そうに声を掛けて来た。それがまた私を煽る。
がたん。
電車が大きく揺れた。アーサーさんの後ろで先程の男性が意地悪く笑った気がした。
「うわ、」
私の事に気をやり過ぎて腕が疎かになっていたらしい。男性に押されたアーサーさんがよろめく。乗客達には突然出来たスペースに疑問を感じるよりも少しでも自分のテリトリーを確保するのが大事らしい。あっという間に私達の有していた空間は無くなった。
争いに負けた私達は潰れていた。壁に背を付けた私に覆い被さるようにアーサーさん。
いかに密着していたかと言うと、それは腕こそ周っていなかったものの、熱い抱擁のよう。
薔薇の花の甘い香りがして、耳を吐息がくすぐる。ぴったりとくっつけられた体はお互いの体温を伝えていて、きっと私のドキドキも筒抜けだ。
「あ、後一駅だ、頑張れ!な?」
上擦った声に頷いたら、擦り寄って甘えるようになってしまったので、急いで止めてはいとひっくり返った声で答えた。
私の電車通学は前途多難のようです。
作品名:train panic!! 作家名:志乃