あなたの帰る場所
「正月なんざ出すわけがないのはわかり切ってるだろうに、よくもまぁ」
店長室のモニターを眺めて、一条は呟いた。
パチンコ店に置いて、基本的に三が日にご祝儀なんてものはない。むしろガチガチに釘を締め上げ、ろくに回転もない有様だ。
それはこの裏カジノでも同じことで目玉のパチンコ台はもちろんのこと、ブラックジャック、ルーレット、ポーカー、そのどれもが普段よりも客を勝たせない仕様になっている。
だが、振る舞い酒と五円玉の入ったポチ袋で気が緩むのか、はたまた自分にだけは神のご加護があると思うものか、正月の浮かれた気分で浮足立つのか、来た客は皆財布の中身を吐き出して帰っていく。正月早々神に呪いの言葉を吐くこともあるまい、と皮肉のひとつも言いたくなる。普段の客足より落ちるとはいえ、収益自体はそれほど悪くないのだから、全くもって正月様様だ。
「……こいつら、帰省はしないんですかね」
隣に立つ村上もしみじみと頷いてから、ふと一条に目を向けた。
「そういえば、店長は?」
「あぁ?」
ぎしりと背もたれに身を預け、一条は村上を見上げる。普段の一条ならまずやらない仕草だったが、従業員にも帰省しているものが多く、今は村上とふたりきりだという気安さもあった。
「お前こそどうなんだ?」
「この時期はチケットも高いですからね。時期をずらして帰ります」
「そういや、変な時期に有給申請出してたか」
一条はぺらりとシフト表をめくって確認する。村上の休みは一月後半に申請されていた。
「まとまった休みを取らないってことは、郷里は近いんでしたっけ?」
村上は後ろからシフト表を覗きこんだ。一条の休みは通常通り。定期的なそれ以外にはなく、帰省している者の多い今はその休みすらいくつか潰れている。
「休んでる暇なんかねえよ。帰るとこもねえしな」
一条はさらりと言って、シフト表を所定の位置に戻した。
「え」
あぁ、口が滑ったな、と一条は思った。帰るところがないなんてわざわざ言わなくてもいいことだった。聞いてはいけないことを聞いてしまったなどと、いらない気を遣わせてしまうだろうことは容易に想像がつく。かといって、何かを言いつくろうのもわざとらしい。さて、辛気臭い雰囲気になるのもごめんだし、何か言い付けることでもないかと一条が室内を見渡しかけた時、村上が口を開いた。
「じゃあ、ここってことでどうです?」
「は?」
突然何を言いだしたのかと、一条は眉を顰める。
「研修で出張なんかの時には、お帰りなさいって言うでしょう? お帰りなさいって言うからには、ここが帰る場所でいいんじゃないですかね」
ふざけているのかと村上の方にきちんと顔を向ければ、村上は至極真面目な顔をしていた。一条は毒気を抜かれて呟くような声で「何言ってんだお前」としか返事を返せなかった。
沼での勝負に敗れはしたが、その後一条は異例の速さで地下から這い登ってきた。
解放の日、一条は公園のベンチで目を覚ました。
這い登ったとはいえ、マイナスを0にしただけのこと。
地上に戻ったここからまた再起を図らねばならない。
それでも地上の空気は新鮮で、一条は大きく息をついた。
これまで丁寧に手入れしていた手指もボロボロなら、眉も整っていないありさまだが、ようやく自分を取り戻したという喜びは何物にも勝った。
まずは身なりを整え、何か収入の当てを見つけなくては……と、一条は考えこんだ。
叶うのならば、カイジにも、帝愛にも復讐を果たしたい。
当然大敗を喫した一条には、帝愛に戻る場所などないだろう。おそらくは黒崎にも見捨てられていると見て間違いない。
「っ……はっ……」
我知らず自嘲が漏れた。
地下から地上に這い上り、それでどうしようというのだ。
戻る場所もない、待つ相手もいない。
あるのはただ復讐の意志だけ。
ならば、捨て鉢になって短絡的な手段を選んだ方が効率はいいのかもしれない。ただ問題はカイジはともかく強大な組織を従える帝愛グループ相手にそれが叶うかどうか。それに短絡的な手段を選択するにしろ、元手は必要だ。
地下ではまだよかった。
むしり取る相手が明確だったし、相手が底辺のクズであることは知れたことだから、何をしようがちりとも胸は痛まない。それどころかこのオレの礎になれるのだから、感謝してもらってもいいぐらいだ。と、一条は本気で考えている。だが、地上ではそもそものカモを見つけることがまず難しい。
いきなり八方ふさがりで、一条は為す術もなくベンチに腰掛け、前方を見据える。
ここからどうやって玉座を目指せばいい?
考え込んでも分からない。
一条は頭を振って立ち上がった。
目指すは、かつての自分の城。
裏カジノが存在していたビルだ。
「なっ……」
張り巡らされたブルーシートを見上げて、一条は息を飲む。
カイジに傾けられたビルはどうなったのか、新しいビルが建設されようとしていた。
ただでさえ老朽化していたビルを、人為的に傾けられたのだ。その後、解体されていたとしても不思議はない。
だがこれまでの自身の足跡を否定された気がして、眩暈がした。
別にビル自体に思い入れがあったわけでもなければ、よしんば裏カジノが残っていたとしても、顔を出せた義理もない。しかし、存在そのものが消え失せていようとは、想像の外だった。
一条が建設途中のビルを見上げていると、息を飲む音が聞こえた。
そちらに顔を向ければ、村上が立っていた。
「お戻りになったんですか」
嬉々として村上が駆け寄ってくる。
こんなみすぼらしい格好で再会するとは思っていなかった一条は、咄嗟に逃げ出そうかと思い、だが踏みとどまった。
逃げたところで、すでに姿を見られてしまったことには変わりない。
「ついさっきな」
虚勢を張るべく、以前のように威風堂々と振る舞おうと胸をそびやかす。スーツではないせいか、いまいち自身では心もとない。
「お元気そうで……あぁ、いけない。そうじゃありませんね。お帰りなさい、店長」
村上は泣きたいのか笑いたいのかわからない微妙な顔で、頭を下げた。
「お帰りなさいも何も、あの店はもうないし、オレはもう帝愛の人間でもないぞ」
まるで下手なコントのようだと、笑いたくなるのをこらえて、一条は皮肉気な笑みを浮かべてみせる。
「でも、あなたは地上に戻ってきてくれたでしょう?」
村上は顔を上げると微笑んだ。
「オレはあなたに何度でもお帰りなさいを言います。店なんかなくても、あなたが何者になっても。……だから、あなたの帰る場所はここでもいいじゃないですか」
そう言って村上は両腕を大きく広げた。
「おかえりなさい、店長」
「……バカなことを」
一条は目を見開いて、それから顔を背けた。
あまりにもクサいセリフに笑いだしてしまいそうだったからだ。なのに、視界は変に輝いて歪んでいる。
「あ、そうか。あなたはもう店長じゃないし、オレはあなたの部下じゃないんですよね」
村上は唇の端に苦さを纏った笑みを乗せ、大股に一条に近づく。
「っ!?」
「店も無くなったことだし、これからはオレがあなたの帰るところってことでどうですか?」
店長室のモニターを眺めて、一条は呟いた。
パチンコ店に置いて、基本的に三が日にご祝儀なんてものはない。むしろガチガチに釘を締め上げ、ろくに回転もない有様だ。
それはこの裏カジノでも同じことで目玉のパチンコ台はもちろんのこと、ブラックジャック、ルーレット、ポーカー、そのどれもが普段よりも客を勝たせない仕様になっている。
だが、振る舞い酒と五円玉の入ったポチ袋で気が緩むのか、はたまた自分にだけは神のご加護があると思うものか、正月の浮かれた気分で浮足立つのか、来た客は皆財布の中身を吐き出して帰っていく。正月早々神に呪いの言葉を吐くこともあるまい、と皮肉のひとつも言いたくなる。普段の客足より落ちるとはいえ、収益自体はそれほど悪くないのだから、全くもって正月様様だ。
「……こいつら、帰省はしないんですかね」
隣に立つ村上もしみじみと頷いてから、ふと一条に目を向けた。
「そういえば、店長は?」
「あぁ?」
ぎしりと背もたれに身を預け、一条は村上を見上げる。普段の一条ならまずやらない仕草だったが、従業員にも帰省しているものが多く、今は村上とふたりきりだという気安さもあった。
「お前こそどうなんだ?」
「この時期はチケットも高いですからね。時期をずらして帰ります」
「そういや、変な時期に有給申請出してたか」
一条はぺらりとシフト表をめくって確認する。村上の休みは一月後半に申請されていた。
「まとまった休みを取らないってことは、郷里は近いんでしたっけ?」
村上は後ろからシフト表を覗きこんだ。一条の休みは通常通り。定期的なそれ以外にはなく、帰省している者の多い今はその休みすらいくつか潰れている。
「休んでる暇なんかねえよ。帰るとこもねえしな」
一条はさらりと言って、シフト表を所定の位置に戻した。
「え」
あぁ、口が滑ったな、と一条は思った。帰るところがないなんてわざわざ言わなくてもいいことだった。聞いてはいけないことを聞いてしまったなどと、いらない気を遣わせてしまうだろうことは容易に想像がつく。かといって、何かを言いつくろうのもわざとらしい。さて、辛気臭い雰囲気になるのもごめんだし、何か言い付けることでもないかと一条が室内を見渡しかけた時、村上が口を開いた。
「じゃあ、ここってことでどうです?」
「は?」
突然何を言いだしたのかと、一条は眉を顰める。
「研修で出張なんかの時には、お帰りなさいって言うでしょう? お帰りなさいって言うからには、ここが帰る場所でいいんじゃないですかね」
ふざけているのかと村上の方にきちんと顔を向ければ、村上は至極真面目な顔をしていた。一条は毒気を抜かれて呟くような声で「何言ってんだお前」としか返事を返せなかった。
沼での勝負に敗れはしたが、その後一条は異例の速さで地下から這い登ってきた。
解放の日、一条は公園のベンチで目を覚ました。
這い登ったとはいえ、マイナスを0にしただけのこと。
地上に戻ったここからまた再起を図らねばならない。
それでも地上の空気は新鮮で、一条は大きく息をついた。
これまで丁寧に手入れしていた手指もボロボロなら、眉も整っていないありさまだが、ようやく自分を取り戻したという喜びは何物にも勝った。
まずは身なりを整え、何か収入の当てを見つけなくては……と、一条は考えこんだ。
叶うのならば、カイジにも、帝愛にも復讐を果たしたい。
当然大敗を喫した一条には、帝愛に戻る場所などないだろう。おそらくは黒崎にも見捨てられていると見て間違いない。
「っ……はっ……」
我知らず自嘲が漏れた。
地下から地上に這い上り、それでどうしようというのだ。
戻る場所もない、待つ相手もいない。
あるのはただ復讐の意志だけ。
ならば、捨て鉢になって短絡的な手段を選んだ方が効率はいいのかもしれない。ただ問題はカイジはともかく強大な組織を従える帝愛グループ相手にそれが叶うかどうか。それに短絡的な手段を選択するにしろ、元手は必要だ。
地下ではまだよかった。
むしり取る相手が明確だったし、相手が底辺のクズであることは知れたことだから、何をしようがちりとも胸は痛まない。それどころかこのオレの礎になれるのだから、感謝してもらってもいいぐらいだ。と、一条は本気で考えている。だが、地上ではそもそものカモを見つけることがまず難しい。
いきなり八方ふさがりで、一条は為す術もなくベンチに腰掛け、前方を見据える。
ここからどうやって玉座を目指せばいい?
考え込んでも分からない。
一条は頭を振って立ち上がった。
目指すは、かつての自分の城。
裏カジノが存在していたビルだ。
「なっ……」
張り巡らされたブルーシートを見上げて、一条は息を飲む。
カイジに傾けられたビルはどうなったのか、新しいビルが建設されようとしていた。
ただでさえ老朽化していたビルを、人為的に傾けられたのだ。その後、解体されていたとしても不思議はない。
だがこれまでの自身の足跡を否定された気がして、眩暈がした。
別にビル自体に思い入れがあったわけでもなければ、よしんば裏カジノが残っていたとしても、顔を出せた義理もない。しかし、存在そのものが消え失せていようとは、想像の外だった。
一条が建設途中のビルを見上げていると、息を飲む音が聞こえた。
そちらに顔を向ければ、村上が立っていた。
「お戻りになったんですか」
嬉々として村上が駆け寄ってくる。
こんなみすぼらしい格好で再会するとは思っていなかった一条は、咄嗟に逃げ出そうかと思い、だが踏みとどまった。
逃げたところで、すでに姿を見られてしまったことには変わりない。
「ついさっきな」
虚勢を張るべく、以前のように威風堂々と振る舞おうと胸をそびやかす。スーツではないせいか、いまいち自身では心もとない。
「お元気そうで……あぁ、いけない。そうじゃありませんね。お帰りなさい、店長」
村上は泣きたいのか笑いたいのかわからない微妙な顔で、頭を下げた。
「お帰りなさいも何も、あの店はもうないし、オレはもう帝愛の人間でもないぞ」
まるで下手なコントのようだと、笑いたくなるのをこらえて、一条は皮肉気な笑みを浮かべてみせる。
「でも、あなたは地上に戻ってきてくれたでしょう?」
村上は顔を上げると微笑んだ。
「オレはあなたに何度でもお帰りなさいを言います。店なんかなくても、あなたが何者になっても。……だから、あなたの帰る場所はここでもいいじゃないですか」
そう言って村上は両腕を大きく広げた。
「おかえりなさい、店長」
「……バカなことを」
一条は目を見開いて、それから顔を背けた。
あまりにもクサいセリフに笑いだしてしまいそうだったからだ。なのに、視界は変に輝いて歪んでいる。
「あ、そうか。あなたはもう店長じゃないし、オレはあなたの部下じゃないんですよね」
村上は唇の端に苦さを纏った笑みを乗せ、大股に一条に近づく。
「っ!?」
「店も無くなったことだし、これからはオレがあなたの帰るところってことでどうですか?」