君のためなら
「 よろしく 」
照れた顔は、笑顔で、それが間違いなく俺だけに向けられていることが、夢のようだったけれど、握っている手の温度と、触れた唇の感触が、現実だと証明していた。
話を聞いて、過去から逃げずに立ち向かおうとする彼女を知った。強いと思った。
その強さを向けられて、やはり、強いと知る。
怖いというけれど、それでも戦い続けていることが、彼女の魅力だと思ったし、芯の強さを物語っている。支えたい。一緒に越えられるのなら、それを助けたい。そのためにも、一緒にいたい。
本田と想いが通じ合って初めての週末になった。土曜日の半日出勤を終えて、一目散に家へ帰る。あれから毎日、仕事終わりの疲れを癒すという名目の元で、紅茶を飲みながら言葉を交わしてきた。けれどそれは長くて一時間だ。半日も一緒に過ごすのは今日が始めてだ。楽しみ半分、期待半分。久しい緊張も、混ざっているか。
玄関のインターホンを押すと本田が出てきた。目が合って、お互いに照れる。
どうぞと言われて入ろうとするが、大きなスニーカが目に入って、本田を見る。
「……男?」
誰かと聞こうと思ったのに、口をついたのは性別を問うもの。
友人かもしれないし、上司かもしれないじゃないか。
小さいなあ、俺。
でも、気になる。
「あ、はい。お昼までの約束ですから、もうすぐ帰ると思います」
そういう問題じゃ、ないんだけど。
部屋に入ると、いつか出会った青い目のやつがいた。ゲーム画面から視線を剥がして、振り向く。
「なんだい君。他人が図々しいんだぞ。女の子の部屋に押しかけたりして」
容赦ない言い草に言葉がつまり、本田に助けを求めた。当の本田は、「ああア、アルフレッドさんってば!」とかなんとか言いながら、こちらを気にしていた。その様子を見てると、少しだけ、ほんの少しだけ心がささくれた。
「ちぇ。菊ってばジャージじゃないんだもん。出かける用事でもあるのかと思ったら、こんなことか」
挑発されてるとわかる物言いだった。乗るな俺。大人だろ。相手は社会を知らない子どもじゃないか。
「前に借りたゲーム、あと少しでクリアするんだ。近いうちに返しに来るよ。じゃ、またなんだぞ菊」
立ち上がったアルフレッドが本田に顔を寄せた。止める間もないそれは自然に行われて、頬にキスを受けた本田は、見送りのためにアルフレッドを追いかけ部屋から消えた。
戻ってきた本田はにこにこしている。それなのに、癒されない。
「言ってないんだな」
「言ってない? ……あ、はい。タイミングがなくて」
タイミングも何もあるかよ。ただ一言いうだけだろ。
「隠したいのか?」
「え?」
「黙ってるつもりだったのか」
「そんなつもりは、」
「服だってそうだ。俺には素をみせられないのか?」
「は、え? 何を、」
「もういい。わかった」
ここから去るために足を進める。早く出よう。出なければ、治まらない。苛立ちが、悔しさが、治まらない。なんだよ、俺一人浮かれてるみたいじゃないか。一人になろう。家へ帰ろう。
立ち尽くす本田を横目に通り過ぎて、玄関へ立った。靴を引っ掛けようとしたとき、軽い衝撃を背中に受けた。
「嫌です! 一人は……」
「……俺は一人になりたい」
「ごめ、なさい」
「……何に対して謝ってるんだ?」
「ちゃんと話します。服は、替えません、けど、カークランドさんが好きですからっ」
弱ったな。この声が好きだ。許してしまいそうになる。背中に感じる存在が愛おしかった。まだよく知らないけど、それでも精一杯好きだと思った。
「今すぐ話して欲しい」
「はい。電話します。ですから、行かないで、ください」
可愛い。
身体を捻って、本田を抱きしめた。
「きく」
少しだけぼんやりして、それから音がするんじゃないかと思うくらいの勢いで顔を染めた。それに笑ってやる。
「菊、って呼ぶ」
ふるふると瞳を揺らしている。反応がいちいち可愛い。
「菊はアーサーって呼ぶことな」
なんだか、意図せずとはいえ、泣かせてばかりな気がする。今度は苦笑が漏れた。指の腹で涙を拭ってやり、唇を寄せた。慣れないのか、顎を引いてしまう。そっとすくって上向かせる。キスを、しよう。
「菊」
「はい」
「菊」
「……アーサー、さん」
呼んでくれた。菊の舌を滑るアーサーの文字に、心が打ち震えた。
「ごめん」
「え、と?」
「出会ったばかりなのはわかってる。それでも、知らないことが多すぎて、焦ったんだ」
呆れられるかもしれないと思って、覚悟して言ったのに、笑われてしまった。なんだか、悔しい。こっちは真剣だって言うのに。
「むくれないでください。嬉しいんです」
「嬉しい?」
「はい。もっと知りたいって思ってくださってるのでしょう? それが嬉しいのです」
ああ、そういうことか。自分の気持ちなのに気がつかなかった。
本田の言うとおりだ。もっと知りたいのに、時間では勝てない奴が側にいたから、焦ったのだ。
「私も、アーサーさんのこと、もっと知りたいです」
ふわりと笑う。今度こそ、癒された。大事にしたいと、思う笑顔だった。
「お腹、空いた」
「ふふ。さっきアルフレッドさんに作ったチャーハンがあるので、それを食べましょう。私も、まだですから、一緒に」
「残り?」
「いいえ。初めから三人分作りました」
「……ありがとう」
キッチンへ向かうために離れようとする菊を引き止める。
「服、替えなくていいのか?」
ふと気になったことを聞いただけのつもりが、真っ赤になってしまった。おかしなことを言っただろうか。
「替えません! ……それとも、変ですか?」
勢いよく宣言したかと思えば、急に自信をなくす。
「そんなわけない。可愛い」
「もうっ、褒めたって何もでませんからね!」
「なんで、替えないんだ?」
「言わせないでください」
「聞きたい」
言いにくいことなのだろうか。けれど、あいつに指摘されたことだと思うと、引き下がれない。知りたい。
「……」
「菊」
「好きな人の前でどうでもいい格好したくないだけです」
ふいと目を逸らして言った。
顔が赤い、のは果たしてどちらだろう。
「ご飯用意してきますっ」
出会ったばかりで、知らないことのほうが多いけど、惹かれてる。知りたいと思う。
これからの時間を掛けて、誰よりも知っていこう。
......END.