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選択

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私は2度、選択を迫られた。
一度めはマスターに胸を貫かれた時。
二度めはマスターの血を飲めと言われた時。

どうして私は、選んでしまったのだろう。
それも運命的に縛られた訳でもなく、自分の意志で。
ただ、
マスターのそばにいる事を。



目覚めるとそこは闇で。
そろりと手を伸ばすと、何かに当たった。さらりとしたサテンの感触に、それが棺だと思い出す。
毎朝死に、毎夜黄泉帰る。そんな日常にも、もう大分慣れてしまった。
蓋をあけると、棺はベットの態になる。広がってゆく視界と共に、ぼんやりと意識が覚醒してくる。
そこは地下室で、唯一私に与えられたプライベートな空間だ。死者の匂いに彩られた、私の砦。
横になったまま、しばらくぼおっとする。ひんやりした空気が心地良い。
おかしな話だ、この体にはもう温度なんて無いのに。
「何をしている、婦警。」
突然頭の中に声が響く。
「マスター…。」
「早く起きろ。今夜の月は面白い」
「…YES、マスター」
『命令』されてしまえば、頭よりも先に体が動く。手早く身支度を済ませて、マスターを探した。


「お前の存在は面白いな」
ほの赤く見える月を眺めていると、マスターが不意に口にした。
彼は時に独り言の様に喋りだす。実際、独り言の域にはいるのかも知れない。
「面白い…ですか」
「ふむ、実に興味深いな。何故お前はお前のまま存在するのだ、婦警?」
「…え、」
言葉の意味を計りかねてしまう。…いくつもの意味が折り重なって、彼の言葉は格言のようにとても難解だ。もっと簡単な言葉を使ってくれればいいのに。
「多くの者が人としての命を落とし、夜を渡るものとなった。だがお前のようにおっかなびっくり夜を渡る者はそうそうおらん。」
彼の声は低く、其の響きは私の体内の血を踊らせる。ただきっと、今回もまた自分がマスターの不興を買っているのであろう事を思うと、胸が痛む。
マスターの言葉には絶対服従だ。だがしかし、それだけで私は彼に従っているのだろうか。胸に荒れ狂うこの疼きは、彼に帰りたがっている血液のせい?

「多くの者は自らの欲求に従っている。だがお前は自分の有り様を自ら選択し、それに従っている。だからお前は、もう一度自分の在り方を選ぶだろう。其の点に於いて、お前は非常に希有な存在だ。」
「マスター…」

預言めいた主の言葉とその穏やかな口調に、とりあえず今回は叱咤ではない事を知る。
だから次に、言葉の意味が気になった。
私が変な存在だと言う事、私が何かをもう一度選ぶという事。
これ以上何を選ぶと言うのだろう。私はもう2度もマスターの隣にいる事を選んだのに。
戦う事に意義を見い出し、戦う事を考え、其のために常に力を貯える労力を厭わない、闇の中の闇、ただ一人の闇夜の王。
彼は何を思い人間に傅きながら暮らし、私を夜の世界へと誘ったのか。
ただ希求する新たな戦いの為なのだろうか。


其の時、ふと体が熱くなった。
鼓動が耳の奥で反響している。熱い、いいえ寒い。チカチカと点滅するような闇が辺りに満ちて意識を分断し、スイッチが切れるように意識が遠退いた。
パチン、と頬をはたかれて覚醒すると、間近にマスターの赤い瞳が迫っていた。
「しかし、いい加減認めたらどうだ。」
「……」
「お前はドラキュリーナとなった。それは変えようのない事実であろうに」
「……でも、マスタぁ…」
「ふん。まあいい」
そう言って近付いてきたマスターの顔に、思わず目を閉じる。いつも、まるで遊んでいるかのような顔をして、マスターは私に触れる。マスターの行動の意味は計り知れなくて、思い至ることは難しい。
しっかりと後頭部を押さえられ、喉に触れられた瞬間、そこからトロリと熱い何かが注ぎ込まれる。
「ま、すたぁ…」
信じられない程甘い声が出る。体がびくりと痙攣し、そのまましゃっくりのようにひくひくと震えてしまう。
お姫様のように抱き上げられても、気怠さに負けて私は顔を上げる事しか出来なかった。注ぎ込まれた生気はほんの少しなのに、沁みるように体中に熱は広がっていく。心の中まで焼かれて、体はすっかり弛緩してしまって動かせない。

「お前はまだ受け入れないのだな。まぁそれでこそ、お前だ。しかしそれでは辛かろう。人の血の代わりに私を貪るがいい」
混濁してゆく意識の中、私はマスターにしがみついた、ような気がした。
作品名:選択 作家名:蒼野ひのく