The Doctrine
「腹減ったな…」
からりとした爽やかな風、雨の多いこの地にしては珍しく晴れた気持ちのいい天気だ。そして、空に飛ぶ不穏な影もない。
1945年夏、連合の勝利で第二次世界大戦に終止符が打たれ、平穏な時が訪れている。
先の大戦をちらりと思い返してアーサーは深くため息をつき、遠くをじっと見つめた。
確かに結果は勝利だった。だが、考えるのもうんざりするほどの犠牲を出したのは敗北した側だけではない。
枢軸との渾身の殴り合いはアーサー自身にも大きな傷を作った。
勝利に酔う気分がないといえば嘘になるが、失ったものを考えれば泡沫の平和にはしゃいではいられない。
力を失って押さえきれなくなった別荘地の反乱も頭痛の種だが、それ以上に重くのしかかっているのが、先の大戦で連合国の一員だったイヴァンのことだ。
彼は勝利の直後から子供のような情け容赦のない貪欲さで、本田やルートヴィッヒが戦争中に奪い取り、あるいは作り出した財産を懐に収め、培った力をもってして、彼と境を接する国々を半ば強制的にその家に囲いつつあるのだ。
触手のように伸ばされた彼の腕はついにはサディクやヘラクレスまで伸びるに至っている。
サディク達の戦いに影ながら手を貸しているが、それをやすやす支えきれるだけの体力はもうない。それらの負担がボディーブローのように彼の体を蝕んできているのだ。
だからとはいえ、援助を打ち切りイヴァンの好き勝手にさせるわけにもいかないだろう。
打開策を考えなければいけなかったが、空腹も手伝い、決定的なものは何一つ思いつかなかった。
「よっ。アーサー、思ったとおり元気ないな!」
後ろから突然底抜けに明るい声が響いた。
聞きたくもないが聞きなれた声に、こわばった肩の力を抜いたアーサーはうんざりとそちらへ視線を流した。
淡い金髪に眼鏡をかけた青い瞳。がっちりというには少々柔らかそうな体。その声の持ち主は、やはりよく見知った青年だった。
「アルフレッド。何の用だ? 俺はお前になんか、用はねぇぞ」
「ひどいな! 近況報告ついでに、せっかく会いに来たのに、君はそういうこと言うんだ」
わざとらしいアクションで腕を組んだアルフレッドにアーサーは肩をすくめた。
「一言でも会いに来てくれなんて言ったか? それとも『顔も見たくねぇ』ってのがお前の汚いアクセントじゃ、『会いにこい』って意味になるのか?」
一番分かりやすく言った嫌味を意に解した様子もない。大またでアーサーの横に歩み寄ったアルフレッドは、右手を伸ばして紙袋を胸の前に押し付けてきた。
「何だよ。こりゃ?」
思わず受け取ってしまった袋は暖かく、多少重い。眉を顰めて地面に座り、袋を開けるとハンバーガーとコーヒーが入っている。
「差し入れだよ」
「はぁ? ハンバーガーにコーヒーだ? こんなもの、この俺が食べると思ってるのか?」
「君は相変わらず素直じゃないな。最近食べてないんだろ。美味いぞ」
すべてを見透かしているといった風情のアルフレッドに、口の端がぴくりと下がる。
「お前から施しを受けるほど困っちゃいねえよ!」
嫌味なく笑って横に腰掛けたアルフレッドは、アーサーが包みを返すのを押しとどめた。
「そういわずに食べろよ。せっかく持ってきたんだしさ」
しばらく考え抜いた後、言葉を取り繕って、アーサーはハンバーガーの包みを手に取った。
「しかたねぇ…お前がどうしてもって言うから、食ってやるんだからな」
「あ~。はいはい」
「なんだよ! 最近…いや、最近だけじゃないが、お前生意気だぞ!」
「早く食べないと冷めるよ。冷めた食べ物嫌いじゃなかった?」
自分のことをよく知る言葉に、一瞬、彼が独立する前のことを思い出し、胸の中になんともいえない重苦しいものが去来する。
「うるせえ」
アーサーはごまかすようにハンバーガーにかぶりつき、噛む手間も惜しんで一口飲み込んだ。久しぶりのまともな食べ物はそれだけでも十分に胃袋を満たしてくれる。
「うめぇ…」
思わずつぶやいてしまってから、横に座った青年の視線に気づいて、片手で顔を覆い天を仰いだ。自分でも顔が紅潮しているのが分かる。
「いや…お前にしちゃ、不味くねぇってことで…それにその、腹が空いていてだな…いや! なんでもない! 聞かなかったことにしろ!」
青年は、ははっと声をあげ、白々いまでに明るく笑った。
「俺は正直、こないだの戦争が始まった頃は、大陸も違うわけだし、君たちの戦争にかかわるのもばかばかしいって思ってた」
「へぇ」
気のない相槌に気を悪くする風もなく、アルフレッドは独り言のように続ける。
「だけど、世界の自由を守るためには、孤立主義を取ってはいられない。そう思ってさ」
確かに大戦中、アルフレッドは、彼にしては珍しく積極的に武器や装備を供与し、かげにひなたに手助けしてくれた。独立した時の状況を思い起こせば信じがたい話だ。
「ああ、たしかにあの時は助かった」
「あの時だけじゃなくて、今も君のことを助けたいんだ。俺にも情報網ぐらいあるさ。今、大変なんだろ。特にイヴァンとのこと。うちも本田のうちのあたりのこともあるし、なにより奴は民主主義の敵だ」
急に声を落としたアルフレッドの方をちらりと向くと、珍しく真摯に見つめる青い瞳と目が合った。
その眼差しとまっすぐな言葉に耐えきれず、瞳が泳ぐ。
「…いや、まあ…その。まぁな」
「君は嫌がると思うけど、イヴァンと戦っている国への援助、俺に肩代わりさせてもらえないかな」
「…ひとつ確認する。俺への同情からじゃないよな」
「まさか。もちろん、俺の正義のためさ」
考えた様子もなく即答されて、アーサーはため息をついた。がっかりしてでないことは確かだが、なぜそれが漏れたのか良く分からない。
「君を助けるためじゃなくて、がっかりしたかい?」
「いや、そうじゃねえよ。バカ。お前に同情されたら終わりだ。ただ…そうだな、昔から変わらないと思っただけだ…多分」
「変わったよ。世界の平和と正義を守るために俺は戦う。そう言いきれるだけの力をつけた」
彼の言うことは事実だ。この戦争で彼自身はほとんど傷つかず、イヴァンとはまた別の方法で利を得て力を蓄えた。
確かにいまやイヴァンに対抗できるのは彼しかいないだろう。
「正義…ね」
聞こえないように一言つぶやいて、ハンバーガーを片付けたアーサーは砂糖とミルクをあるだけ入れて口をつけた。
「だから、たまにはその肩の荷物、俺に任せてよ」
冷静に判断すればアルフレッドの申し出は願ってもないことだ。
「ひとつ条件がある」
「なに?」
「次に持ってくるときは、こんな泥水持ってくんな」
「……せっかくの差し入れにケチをつけるなんて、君も変わらないな」
「うるせえ! 他は譲歩できてもこれだけは譲れん。いいな。そうしたら…その…認めてやらなくもない」
わざとらしく咳払いをしてみせると、大げさに肩をすくめてアルフレッドは立ち上がった。
「コーヒーはわざとさ。じゃ、そろそろ帰るよ」
次は紅茶を持ってきてやるよ! と言って手を振る青年に、おざなりに手を振り返してアーサーは寝転んだ。
からりとした爽やかな風、雨の多いこの地にしては珍しく晴れた気持ちのいい天気だ。そして、空に飛ぶ不穏な影もない。
1945年夏、連合の勝利で第二次世界大戦に終止符が打たれ、平穏な時が訪れている。
先の大戦をちらりと思い返してアーサーは深くため息をつき、遠くをじっと見つめた。
確かに結果は勝利だった。だが、考えるのもうんざりするほどの犠牲を出したのは敗北した側だけではない。
枢軸との渾身の殴り合いはアーサー自身にも大きな傷を作った。
勝利に酔う気分がないといえば嘘になるが、失ったものを考えれば泡沫の平和にはしゃいではいられない。
力を失って押さえきれなくなった別荘地の反乱も頭痛の種だが、それ以上に重くのしかかっているのが、先の大戦で連合国の一員だったイヴァンのことだ。
彼は勝利の直後から子供のような情け容赦のない貪欲さで、本田やルートヴィッヒが戦争中に奪い取り、あるいは作り出した財産を懐に収め、培った力をもってして、彼と境を接する国々を半ば強制的にその家に囲いつつあるのだ。
触手のように伸ばされた彼の腕はついにはサディクやヘラクレスまで伸びるに至っている。
サディク達の戦いに影ながら手を貸しているが、それをやすやす支えきれるだけの体力はもうない。それらの負担がボディーブローのように彼の体を蝕んできているのだ。
だからとはいえ、援助を打ち切りイヴァンの好き勝手にさせるわけにもいかないだろう。
打開策を考えなければいけなかったが、空腹も手伝い、決定的なものは何一つ思いつかなかった。
「よっ。アーサー、思ったとおり元気ないな!」
後ろから突然底抜けに明るい声が響いた。
聞きたくもないが聞きなれた声に、こわばった肩の力を抜いたアーサーはうんざりとそちらへ視線を流した。
淡い金髪に眼鏡をかけた青い瞳。がっちりというには少々柔らかそうな体。その声の持ち主は、やはりよく見知った青年だった。
「アルフレッド。何の用だ? 俺はお前になんか、用はねぇぞ」
「ひどいな! 近況報告ついでに、せっかく会いに来たのに、君はそういうこと言うんだ」
わざとらしいアクションで腕を組んだアルフレッドにアーサーは肩をすくめた。
「一言でも会いに来てくれなんて言ったか? それとも『顔も見たくねぇ』ってのがお前の汚いアクセントじゃ、『会いにこい』って意味になるのか?」
一番分かりやすく言った嫌味を意に解した様子もない。大またでアーサーの横に歩み寄ったアルフレッドは、右手を伸ばして紙袋を胸の前に押し付けてきた。
「何だよ。こりゃ?」
思わず受け取ってしまった袋は暖かく、多少重い。眉を顰めて地面に座り、袋を開けるとハンバーガーとコーヒーが入っている。
「差し入れだよ」
「はぁ? ハンバーガーにコーヒーだ? こんなもの、この俺が食べると思ってるのか?」
「君は相変わらず素直じゃないな。最近食べてないんだろ。美味いぞ」
すべてを見透かしているといった風情のアルフレッドに、口の端がぴくりと下がる。
「お前から施しを受けるほど困っちゃいねえよ!」
嫌味なく笑って横に腰掛けたアルフレッドは、アーサーが包みを返すのを押しとどめた。
「そういわずに食べろよ。せっかく持ってきたんだしさ」
しばらく考え抜いた後、言葉を取り繕って、アーサーはハンバーガーの包みを手に取った。
「しかたねぇ…お前がどうしてもって言うから、食ってやるんだからな」
「あ~。はいはい」
「なんだよ! 最近…いや、最近だけじゃないが、お前生意気だぞ!」
「早く食べないと冷めるよ。冷めた食べ物嫌いじゃなかった?」
自分のことをよく知る言葉に、一瞬、彼が独立する前のことを思い出し、胸の中になんともいえない重苦しいものが去来する。
「うるせえ」
アーサーはごまかすようにハンバーガーにかぶりつき、噛む手間も惜しんで一口飲み込んだ。久しぶりのまともな食べ物はそれだけでも十分に胃袋を満たしてくれる。
「うめぇ…」
思わずつぶやいてしまってから、横に座った青年の視線に気づいて、片手で顔を覆い天を仰いだ。自分でも顔が紅潮しているのが分かる。
「いや…お前にしちゃ、不味くねぇってことで…それにその、腹が空いていてだな…いや! なんでもない! 聞かなかったことにしろ!」
青年は、ははっと声をあげ、白々いまでに明るく笑った。
「俺は正直、こないだの戦争が始まった頃は、大陸も違うわけだし、君たちの戦争にかかわるのもばかばかしいって思ってた」
「へぇ」
気のない相槌に気を悪くする風もなく、アルフレッドは独り言のように続ける。
「だけど、世界の自由を守るためには、孤立主義を取ってはいられない。そう思ってさ」
確かに大戦中、アルフレッドは、彼にしては珍しく積極的に武器や装備を供与し、かげにひなたに手助けしてくれた。独立した時の状況を思い起こせば信じがたい話だ。
「ああ、たしかにあの時は助かった」
「あの時だけじゃなくて、今も君のことを助けたいんだ。俺にも情報網ぐらいあるさ。今、大変なんだろ。特にイヴァンとのこと。うちも本田のうちのあたりのこともあるし、なにより奴は民主主義の敵だ」
急に声を落としたアルフレッドの方をちらりと向くと、珍しく真摯に見つめる青い瞳と目が合った。
その眼差しとまっすぐな言葉に耐えきれず、瞳が泳ぐ。
「…いや、まあ…その。まぁな」
「君は嫌がると思うけど、イヴァンと戦っている国への援助、俺に肩代わりさせてもらえないかな」
「…ひとつ確認する。俺への同情からじゃないよな」
「まさか。もちろん、俺の正義のためさ」
考えた様子もなく即答されて、アーサーはため息をついた。がっかりしてでないことは確かだが、なぜそれが漏れたのか良く分からない。
「君を助けるためじゃなくて、がっかりしたかい?」
「いや、そうじゃねえよ。バカ。お前に同情されたら終わりだ。ただ…そうだな、昔から変わらないと思っただけだ…多分」
「変わったよ。世界の平和と正義を守るために俺は戦う。そう言いきれるだけの力をつけた」
彼の言うことは事実だ。この戦争で彼自身はほとんど傷つかず、イヴァンとはまた別の方法で利を得て力を蓄えた。
確かにいまやイヴァンに対抗できるのは彼しかいないだろう。
「正義…ね」
聞こえないように一言つぶやいて、ハンバーガーを片付けたアーサーは砂糖とミルクをあるだけ入れて口をつけた。
「だから、たまにはその肩の荷物、俺に任せてよ」
冷静に判断すればアルフレッドの申し出は願ってもないことだ。
「ひとつ条件がある」
「なに?」
「次に持ってくるときは、こんな泥水持ってくんな」
「……せっかくの差し入れにケチをつけるなんて、君も変わらないな」
「うるせえ! 他は譲歩できてもこれだけは譲れん。いいな。そうしたら…その…認めてやらなくもない」
わざとらしく咳払いをしてみせると、大げさに肩をすくめてアルフレッドは立ち上がった。
「コーヒーはわざとさ。じゃ、そろそろ帰るよ」
次は紅茶を持ってきてやるよ! と言って手を振る青年に、おざなりに手を振り返してアーサーは寝転んだ。
作品名:The Doctrine 作家名:みずーり