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希わなくても今ある奇跡で十分じゃないだろうか

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「おはよう、リン」
「オハヨウゴザイマス、レン」

博士が朝の挨拶を言うと、あるロボットはカチカチカチという音をさせて、何とも機械的な挨拶を返してきた。きっちり四十五度に曲げられた腰を、またカチカチカチという音をさせて戻す。現代の人間によくある、猫背ではなく、完全なる直立不動だ。その姿を横目で見て椅子に座り、新聞を広げた。するとロボットのリンは何も言われずともやるべきことは分かっており、勝手にコーヒーを淹れ出す。
「ああ、リン。今日はコーヒーじゃなくてハーブティーにしてくれ」
「カチッ。コーヒーカラハーブティーヘ」
リンの動作がぴたりと止まった。そして一秒後にまた動き出す。俺が新聞を読み終えた時には暖かかったハーブティーはほとんど冷めていた。
「リン。今は冬だから次にティーを入れるときは新聞を読み終わる直前にして欲しいな」
「新聞ヲ読ミ終ワル直前デスネ。サー」
表情のない顔でそう言って、リンはお辞儀をした。時計を見る。そういえばもうそろそろ掃除の時間である。俺は紅茶を飲み干して立ち上がった。かなり大きな音がしたのだが、ロボットであるリンには何の動揺も見られない。一方的にではあるがリンと手を繋いだ。
「今日は一緒に掃除をしようか、リン」
「?レン。掃除は鏡音リンノ仕事デス」
「そんなことないよ。いつもは仕事に追われてたから任してただけ。俺もするよ」
「仕事…。俺モスル…。ワカリマシタ。デハ箒ヲ二本ゴ用意致シマス」
「ああ頼むよ」
俺よりも大分小さいその背中にひらひらと手を振った。その姿が壁に阻まれて完全に視界から消えた時、俺は思わずため息をついた。おっとと口を押さえるが、高性能ロボットのリンは今のため息を捉えただろう。さらにはその息の二酸化炭素量、何時何分何秒にやったかなどすべてを記録したに違いない。あのロボットは鏡音リン制作プロジェクトチームの一人である自分でも出来すぎだと思う。自分の亡くなった姉の姿をモデルにしたせいもあって、時々リンが生物に見えてしまう。その度にあれは機械だと言い聞かせ、受け入れるのだが、それを完全に認めるにはあれをリアルに作りすぎた。まるで姉が帰ってきたようで本当にため息が出る。
リンが歩幅を完全に一定にして歩いてくる。箒を一本受け取って、また手を繋いだ。



リンは一階の掃除。俺は二階の掃除。リンに二階の掃除を任せたことはまだ数回ほどしかない。というのも二階は俺のワークルームで、うっかりデリートできない重要なものが山ほどあるからだ。あのロボットにはまだそれを判別できる処理能力はない。カントリーな机の下のほこりを、舞い上がらないよう丁寧に掃き取る。だがそれでも少し空に浮いたがマスクのお陰で器官には入らない。朝の八時から昼の十一時まで一気にやって、やっと満足した。
「ふう。これでもうこの部屋はいいな」
うんと頷いてマスクを下げた。箒と雑巾と塵取りを持って廊下に出る。ドアを蹴破ると嫌な音がしたが忘れることにした。二階から一階を見下ろすと、ちょうどリンが通るところだった。この家で一番金がかかった品物は、しょうもないことに実は絨毯だ。うっかり騙されて買わされたのだが、柄等が自分の趣味の範囲内なので今では特に気にしていない。その絨毯を惜しげもなく踏みながら、ロボットは水のはったバケツを運んでいる。いつもいつでも無表情なリンには、汗腺というものを取り付けていないので今も涼しい顔をしている。いやもし汗腺を取り付けていたとしても、あのロボットには汗を鬱陶しく思うことも清々しいと思うこともないのだろう。俺は用具を持ち直して隣の部屋の扉を開けた。



昼食を食べて掃除を再開し、十四時を迎えた頃、俺はようやく掃除をやめた。全ての掃除を終えた訳ではない。このままでは日がある内に終わらないだろうと分かったので、また後日へと回したのだ。要するに諦めたのだ。ちなみに一階を担当していたリンの方はきっちりと終わらせていて、更にはティータイムの準備も済ましていた。ならばなぜ二階の掃除が終わらなかったのかといえば、俺が、無くしたと思っていた物や忘れていた物などを見つける度に思い出に浸っていたからである。自身の感情を我慢できない完全なる自己責任だ。俺は掘り出した物をそこら辺に投げて、一階のティータイム場へと駆けつけた。当たり前だがリンの淹れるオータムナルのミルクティーは今日も美味しい。リンはほこりを立てない程度に歩き回り、色々な準備をしている。毎回ほぼ同じ時間帯に見る光景である。ふと思い付いてリンを呼んだ。
「何デショウカ。レン」
「うん。ちょっとさ。そこに座ってよ。で、一緒に飲もうかと思って」
そう言いながらティーカップに香しい匂いを注ぐ。リンは言われたとおり座るがカップには手をつけようとはしない。それもその筈である。リンにはこの液体は不必要なものであり、消化しようにもそのような器官はない。ロボットは設定された座り方のまま、動かない。例えば俺が中身を飲み干したり、溢したりすれば、それをフォローする動作はするだろうがそれだけである。リンのティータイムとはそんな召し使いじみた動きだけだ。俺は半分以上飲み干したティーカップを傾けて、彼のロボットを見ないまま話しかける。
「リン、俺はさ。お前が来てくれて本当に良かったと思うよ。ありがとう」
俺はうっすらと微笑んで傾けたそれを一口飲んだ。中身はもうなくなった。その時リンは初めて動き、お代わりを注ごうとティーポットに手を伸ばした。
「死んだ姉さんが帰ってきたみたいだった。あり得る筈もない奇跡が起こったみたいで、凄く幸せだった」
ティーカップを突き出すとまたやや赤っぽい液体で一杯になった。
「ありがとう」
リンはティーポットを元の場所に置き、また元の座り方に戻った。リンがさっきの言葉に何か感心を持ったような、そんな風は見えない。それでも俺はまた口を開く。
「ありがとうな」
感傷にどっぷりはまりそうになるのを堪えるように、二杯目のミルクティーを男らしく一気飲みした。リンが三杯目を注ごうと動くのを制して、彼女の手を握った。冷たくて細くて小さかった。俺の双子の姉は温かくて細くて、あの頃の俺と同じくらいの大きさだった。今あるこの機械の手をぎゅっと強く握って、思い切り笑いかけた。
「よし、買い物にでも行こうか!」
まるで人間というほどの素晴らしい造形のこのロボットは、俺の気持ちを全く理解することが出来ず軽く首を傾げたようだった。
俺はそんなロボットと薄い財布とを連れて、家から飛び出した。