名前を呼んで
浮上するように意識が軽くなっていくのを感じるからだ。
ああ…、目覚めるんだ。
夢を夢だとわかるように、リカにとっては目覚めがすぐそこまできているのを感じて全ての意識がそこに向かう。
意識が鮮明になるほど日々の出来事が目の前を走馬灯のようにかけめぐる。
リカにとっては走馬灯の画面画面はすべて仕事色であり、悲しいかな考えることは全てそれだけになってしまうのはいかがなものかと自分でも悲しくなる。
――――今日も朝から仕事かぁ…。
新しい企画を作らないと締め切りに間に合わなくなるのよね。
新しい後輩がくるとかいっていたし、教育係りは珠瑠にまかせてみようかな…。
そういえば昨日の収録の時…。
リカは浮上しながら記憶をまさぐりながらゆっくりと目を開き、
「あれ…ここって…」
荷物が少なく、見慣れない色のカーテンがかかった窓が見える。
「おはよう、リカさん」
耳元で突然の声にリカは驚いてそちらに顔を向けて、そして息を呑む。
口元までタオルケットを引き寄せて隠そうとしつつも、やさしい微笑みを浮かべる空井と目が合うとようやく状況を把握できて
恥ずかしくも口元がほころんだ。
「…おはよう、空井さん」
その言葉に空井の顔が曇る。
「名前」
「え?」
「苗字じゃなくて名前で呼んで。」
あ、いけない。リカも昨夜の成り行きを思い出して赤くなる。
空井はあざとくそれを見抜き、思い出したの?と、いたずらっぽく微笑む。
「思い出してくれた?昨日はあれだけ名前呼んでくれていたのにね…」
空井の言葉は最後まで聞かずにリカは空井の口元を両手で押さえる。
「空井さんの、イジワル…」
「リカさんだから。」
「私だからイジワルするってことですか?」
なんだその理不尽な話は。むぅっと口を突き出すリカに空井は嬉しげに笑うと、唇にキスを落とした。
「リカだからイジワルをしたくなる。これってどういう意味かわかる?」
ああもうちくしょう。
そこでぎゅっと抱きしめながら睫がくっつくかくらい近い場所でそんなことを言われたら、
腹立ってもすぐに機嫌がよくなってしまう自分がくやしい。
だって空井のいう意味がくすぐったいぐらいわかって。
リカだからイジワルしたくなる。それって裏をかえせば、
「……好きな子だからっていう、あれ?」
「あたり」
たまらないくらいに胸が締め付けられる。
でもそのまま伝えるのはどうしてもできなくて。自分だけこんなにもドキドキさせられているなんてなんだかくやしくて。
「大祐さんって…」
口を開くと空井はリカの瞳を覗き込んだ。
「なぁに?」
「小学生…」
言ったな。そうつぶやくとリカの体を無茶苦茶にこしょばる。
きゃああとリカのコロコロと笑いがまざる笑い声が響くと、夢中になって二人してこしょばりだす。
しばらく二人でふざけあい思うぞんぶんにくすぐりあって笑いあい、はたとリカさんだなて突然に今までのトーンをかなぐり捨てた空井の声がして。
言いながら空井はリカの顎に指をかけて、わずかに上向きにさせられてキスを一つ落とす。
流れるままにリカも瞼を閉じて空井のそれに翻弄される。
最初は唇を食むだけのキスだったが、次第に角度が深くなり部屋には水音がやけに生々しく響く。
耳に響く水音がやみ、唇がはなれると白い糸がお互いの唇から垂れ下がり、そしてふつりと切れた。
「リカさん」
名前を呼ぶととろんとした目がわずかに開く。
上気した頬がやけに色っぽいと思いながら、空井は両肘をリカの頭の横について覆いかぶさる。
仰向けのリカと視線を合わし、唇が触れ合いそうなくらいの場所でお互いを見つめあうと、
リカがくすりともう一度笑う。
「大祐さん」
呼ばれて空井が返事をすると
「…大好き」
それだけを告げて空井の首にその細い腕を巻きつけた。
空井はわずかに目を瞠って、そしてすぐに僕もですとだけ告げた。
カーテン越しに白々とした光が透けて見え始める。
それが呼び水のように、二人の影が重なり合い。
まるで溶け合うように境目が消えていった。