「 夏の朝 」
夏の朝。
数時間たてばうだるような暑さ。
どうせだらだらするのだから、今のうちに用事を。
そう思い、タオルケットを剥ぐって布団から身を起こす。
汗を吸って湿ったような布団を乾かすように、タオルケットは再び被せないでおいた。
玄関に出て新聞を回収する。それから玄関口と、そこに面した通りに水を撒く。目に付いた雑草を簡 単に抜いてから、庭の草木にも水をやる。今日も暑いはずだから、たっぷりと。それが終わればぽちくんの散歩だ。
ぽちくんとの散歩から帰ると、石垣の向こう、縁側の辺りから紫煙が立ち上るのをみた。愛犬は、なにか音を拾ったのだろう。紫煙の存在に気がつくと同時に繋いだリードを構わずに駆け出す。
慌ててついていくと、そこには空を仰いでいるアーサーがいた。
「すみません。起きてこられるとは思わなくて」
アーサーが口を開くより先に菊が言った。
「やっぱり散歩か。おかえり」
いいながら伸ばすアーサーの腕に誘われるようにして菊は彼に歩み寄る。そうして膝が触れ合いそうなほどそばに寄ったとき、アーサーはその唇から煙草を離した。リードを握っていないほうの手首をくんと下に引けば、抗うことをしらない菊と彼はあっさり口付けを交わした。
「起き抜けに煙草なんて、体に毒です」
「菊のせいだから仕方がない」
お前がいれば吸わないさ。
なんて、気障なせりふを彼は。
「まだ眠いのでは? 朝食はこれから準備ですので、寝ていてもいいのですよ」
「菊、」
拗ねた口調で名を呼び、離さずにいた手首を再び引いて、口付ける。
乱暴なせいで、歯がぶつかった。
「お前、煙草苦手だったよな」
「そうでしたっけ。好きですよ。私も吸いますし」
「……匂いがどうのって、いつだかに」
「……ああ……忘れてください」
「思い出したんならもう一回言え」
「どうしてそんなに機嫌が悪いのです」
「なあ、言えよ」
「本来の匂いが負けてしまうでしょう、煙草の匂いに。それが少しもったいないと思うだけです。これでいいですか」
「具体的に」
「例を出せと?」
「早く」
「うーん、これはどうですか。せっかくの鮭の七輪焼きの匂いに、煙草の匂いが混ざってしまっては、惜しいでしょう」
「そっか菊はそんなに家を出たくないのか」
「出たいです。今日は特売日なんです。行かねばどうするんです」
「残念だな、俺の機嫌を取る方が先だ」
話の途中で体勢を変え、ぽちくんをリードから開放して遊ばせる。それからアーサーの隣に腰を下ろして話を続ける菊を、アーサーは反論の隙を与えないように内側へ押し倒して上から覗き込んだ。
「朝一番に見るはずだった恋人がいないんだぜ。昨日のことは夢かと思って冷や冷やした」
「いつものことじゃないですか」
「同じ毎日の繰り返しだと思うなよ。毎日違う日だ」
「へえ、アーサーさん哲学に興味があるのですか」
「可愛くないな。食われたいのか?」
「まさか。朝からなんて狂ってます」
「本気で可愛くないな。生意気になった」
「それはあなたですよ。純粋でまっすぐな気持ちをストレートに届けようとしくれていたころが懐かしいです」
「お前だろ、それは」
「お腹すきました。退いてくださいませんか可愛いアーサーさん」
「可愛い菊の頼みだけど、聞いてやれないな」
お腹すいたなら、食わせてやるよ。
耳元でささやく声にぞわりと背筋に歓喜が走る。
ああもう、望んでいない振りは疲れる。
はやく、とっととくれたらいいのに。
太陽が高くなるほど、おかしくなる。
......END.